AI進展で注目、研究開発力支える基盤「ラボラトリーオートメーション」の現在地
人工知能(AI)技術やデータ駆動型研究開発の進展でラボラトリーオートメーション(研究の自動化)が注目されている。AIをはじめ、ソフトウエアは膨大な実験データを解析する技術ができつつある。ハードウエアにも良質なデータを大量に生成する能力が求められる。ただ研究室で行われる実験は多様で共通化が難しかった。ラボラトリーオートメーションは科学技術系予算という国費で自動化技術を育てられる数少ない分野だ。研究開発力を支える基盤を作る試みが進んでいる。(小寺貴之)
【知見を蓄積】AI・ロボ・生命科学を融合
「研究者がロボットの使用感を得たのが、この1―2年のこと。本気で研究の自動化を実践した研究者はいなかったのではないか」と理化学研究所の神田元紀上級研究員・ラボラトリーオートメーション研究会会長は振り返る。双腕ロボットを使った細胞培養や全ゲノム解析などを進める。研究と並行してラボラトリーオートメーションの勉強会を毎月開き、自動化事例の共有やコミュニティー作りを進めてきた。
研究の自動化はロボットの研究者がリードしてきた。2009年に英国チームが酵母を用いた研究で仮説生成や検証実験を自動化している。他にもロボット科学者がテーマとする移動ロボの研究など、華々しい成果はあるものの普及には至っていない。これらは研究ロボを作ることが目的になっているためだ。生命科学などの研究者から見ると手段が目的化してしまっている。
日本では研究基盤としての自動化技術が注目されている。そのためラボラトリーオートメーションの勉強会では、小さなスケールの電子工作からシステムインテグレーターが取り組む自動化事例まで幅広い情報が交換されている。例えばロボットで4度Cに冷やした試料を扱うと結露が問題になり、安価な除湿テクニックが重要になる。他にも3Dプリンターでの治具作製やクラウド環境との接続、AI解析ツールの使用感など、科学論文にならない知見を積極的に交換している。
神田上級研究員は「研究の自動化はAIとロボ、生命科学などの融合研究。成熟技術で先端領域を開拓することが大切」と説明する。安定しない先端技術を掛け合わせるとトラブル対応が膨大になるためだ。そのためロボットとAIは大学生の課題解決型学習(PBL)として成熟技術を導入し、生命科学などの研究者と組んで自動化に当たるといった工夫が重要になる。
材料分野でも研究の自動化は進んでいる。物質・材料研究機構の松田翔一主任研究員らは空気電池の電解液探索を自動化した。生命科学分野で使われる96穴プレートと自動分注機を駆使して、電気化学実験を自動化した。1000万通りの実験条件の中から約1万条件を実験し、電解液の添加成分の協調効果を発見した。
松田主任研究員は「探索空間の設定が研究者の腕の見せ所」と説明する。電池に限らず実験条件を広げると簡単に組み合わせ爆発を起こしてしまうためだ。実験装置の処理能力から探査空間の広さとデータをとる密度を考える。電池では材料分子の劣化や界面での電子授受など、いくつもの物理現象が起きる。研究対象の複雑さとデータの量を勘案し、現象を解き明かせるか推し量る。ここに研究者の経験が生かされる。
この電気化学実験ロボは普通の研究室に導入するには金額が1ケタ大きい。松田主任研究員は「完全自動を目指すと装置の開発費が膨らむ。完全自動を開発した知見を元に、半自動の普及版のシステムを設計すると自動化が広がるだろう」と期待する。国の戦略研究などで開発された自動実験装置で論文を書いたら、その知見を学術界に波及させる工夫が重要になる。
廉価なロボットを使って自動化する例もある。東京大学の長藤圭介准教授らは約15万円の中国製ロボットアーム2台で粉体成膜の実験を自動化した。粉体分散液を垂らして焼いて出来を撮影する。3万2768通りの実験条件の中からAI技術のベイズ最適化で絞り込み、40回の実験で成膜条件を見つけた。長藤准教授は「学生はロボットを買ってきて1週間で実験システムを構築した。万能な自動機はないため、DIY(日曜大工)のように手軽に組み立て実験し、次の研究に使うことが重要」と指摘する。
システムの規模は小さいものの研究には有用だ。粉体成膜では40回の探索で適した条件を見つけたが、研究としてはそれ以上探索してもいいものができないか検証している。この実験の品質をロボット化で一定に保てる。実験者のテクニックや鼻薬が入らない分、安定したデータでAI探索できる。
この探索手法の評価にもロボット実験は有用だった。従来から実験計画法という探索法はあるが、研究者の私見が入るため手法自体を比較できない。ベイズ最適化は情報科学の研究者がさまざまなアルゴリズムを提案しており、最適解に至るまでの戦略が違う。探索手法自体を比較し、実験系にあったアルゴリズムを求める研究へと発展していく。
【挑戦的市場】国費で育成、全産業に波及へ
化学プラントなどの製造装置が確立した分野ではロボットを使わずとも実験を自動化できる。産業技術総合研究所の村山宣光副理事長はプロセス・インフォマティクス(PI)を推進する。製造装置の運転パラメーターを変化させ、できあがった部材や製品の性能との対応をデータ科学的に求める。
村山副理事長は「手持ちのレシピを顧客の要求スペックに落とし込む仕事はPIの得意技。効果をすぐに実感できる」と説明する。素材業界では製造時の温度や圧力、流量、時間などのプロセスのパラメーターと原料の配合レシピなど、変数は少なくない。熟練技術者の経験と勘などで性能を出してきたが、AIでの最適化で条件出しが効率化された。これは既知のデータ空間の内側にある条件を求める〝内挿〟にあたるためだ。組み合わせ数は膨大でもデータから最適解が求まる。
この次は、実験ができない探索空間をシミュレーションで仮装的に実験してデータを補完し性能を予想する〝外挿〟が研究のホットトピックスになっている。さらに複数のシミュレーションをつないで工程をまたいだ性能の予測の研究が進む。シミュレーションと実験のデータをすり合わせてシミュレーションの精度を高める必要がある。2022年度は経済産業省事業として機能性化学品のフロー精密合成とファインセラミックスのPI開発事業が立ち上がる。村山副理事長は「PIは産業競争力に直結する。産総研の材料・化学領域では全員がデータ駆動型の研究スキルを身に付けられるよう推進している」と力を入れる。
そしてラボラトリーオートメーションの究極の形は、やはりロボット科学者である。沖縄科学技術大学院大学の北野宏明教授・ソニーコンピュータサイエンス研究所(東京都品川区)社長は、2050年を目標にノーベル賞級の発見をするAIシステムを目指す国際プロジェクト「ノーベルチューリングチャレンジ」を進める。
沖縄科技大とコランダム・システム・バイオロジー(東京都港区)とでマルチオミクスの完全自動網羅解析システムの開発を始めた。3年間で3億円を投入して患者のゲノミクス(ゲノム配列の網羅的解析)とトランスクリプトミクス(遺伝子転写状態の網羅的解析)、プロテオミクス(たんぱく質の網羅的解析)、メタボロミクス(代謝因子の網羅的解析)、細菌叢の網羅的解析を全自動化する。
血液や糞便などの試料をシステムに投入したら各種データがデータベースに格納されるまで人手は介在しない。専用装置を開発し、年間10万件の処理能力を見込む。北野教授は「ノーベルチューリングチャレンジに向け、ロケット発射台に至る道路を作るような挑戦」と説明する。
現在のデータ駆動型AIが得意なのは最適解の探索や背後に潜むパターン抽出だ。実験が自動化され、標準化された高品質の大量データとAIは相性がいい。この次は既知のパターンや数学モデルと合致しない領域から、新しいモデルを見い出せるかが焦点になる。非合致領域が広過ぎて原理現象が複雑過ぎるとモデル化できない可能性がある。こうした領域への対応を北野教授は「研究のフロンティア。まさに科学的発見のプロセスの理解と再定義と言える」と説明する。研究という営み自体を科学する。
ラボラトリーオートメーションは大型プロジェクトから小規模なDIYまで大小さまざまなサイズのプロジェクトが進む。大型プロの知見は分野や手法ごとに整理され学術界全体に還元されることが望ましい。ロボット産業の振興としても、実験の自動化は多品種変量で短期構築が求められる挑戦的市場だ。そして科学技術系予算という国費で技術を育てられ、全産業に波及効果がある。日本の製造業が生産技術を育んだように、学術界は研究技術を戦略的に育成する必要がある。研究開発力と産業競争力を高める戦略が求められている。