記者が見たMRJ初飛行! 11.11ドキュメント

その瞬間、まさかの・・・



 11月11日、国産旅客機「MRJ」が愛知県豊山町の県営名古屋空港から初飛行した。私(ニュースイッチファシリテーターの杉本要)も記者兼カメラマンとして、その瞬間に立ち会った。優雅に離陸していくMRJ。ハイタッチや握手で喜びを分かち合う関係者。胸には熱いものがこみ上げた。日本の航空機産業にとって歴史的な一日となった「11.11」を取材ドキュメントで振り返りたい。

05:45


 晩秋の肌寒い朝だった。空は快晴。11月11日。MRJがいよいよ初飛行する日だ。
メディアは朝6時30分に現地集合だったため、「念には念を」と前もって行動したつもりだった。それでも5時45分、現場に到着した時にはすでに大勢の報道陣がスタンバイ。本紙(日刊工業新聞)は、名古屋支社ほぼ総出+東京本社からも応援という万全の体制を敷いていたが、どうやら他のメディアも同じ勢いのようだ。

 カメラ位置抽選の列に並ぶ。本紙が引いた数字は「22」。100社弱というメディア登録の中では、けっこう早いほうだ。いい撮影位置がゲットできるかもしれない。
 メディアの取材場所である空港エプロンにバスで移動する。途中、制限エリアに入るために少し手間取ったようで、バスは停止した。すると右手前、フェンスの向こうに、「本日の主役」が見えるではないか。朝日を浴びて輝く「MRJ」だ。整備士が機体の周りを入念にチェックしている。

 しばらくするとMRJの隣に駐機していたJAXAの飛行検査機「飛翔」がエンジンを回し、やがて離陸していった。「飛翔」はMRJに先駆けて飛行試験の空域へ飛び、気象条件などをチェックすることになっている。これが飛んだということは、三菱は今日、ついに本気でMRJを飛ばすようだ。

 実は、私はこの段になってもなお、MRJが飛ぶことに対して100%の自信を持てずにいた。4年以上に及ぶMRJの取材で、計3回の初飛行延期を目にしてきた。「あと一回くらい遅れるかも」、「直前で飛ばないかも」。そんな気持ちがどこかにあった。取材先(三菱航空機ではない)の中には、さらなる遅れを懸念する人も何人かいた。三菱を信じたい。信じたいが・・・。

 バスは報道陣用の撮影スペースに到着した。各社、くじ番号順に好きな位置へ撮影機材を置いていく。すると撮影スペース後方にも、スーツに身を固めた関係者・来賓が続々と集まってくる。歴代の三菱重工業社長経験者や三菱航空機社長、機体審査に当たる国土交通省関係者、初号機の受領を待ち続けるANA関係者など。思わずノートを片手に話を聞こうとするも、「ここでは取材NGです」、と遮られてしまった。

09:00


 午前9時頃、MRJに随伴する三菱航空機の社有機が離陸した。これに航空自衛隊岐阜基地から飛び立った練習機も合流。名古屋空港上空を時計回りに周回し、「主役」の離陸を舞っている。

 そこに女性の場内アナウンスが入った。「ただいま、MRJはエンジンを始動したとの情報が入りました」。現場には緊張が走る。いよいよだ。私も、ウェブ配信用の動画を撮るため、所定の位置でMRJの始動を待つ。

 9時20分、MRJはついに滑走路に向かって走行し始めた。我々のいる撮影スペースに背を向け、誘導路をゆっくりと南側に進んでいく。日の光を浴び、胴体上部、魚で言えば尾びれのあたりが白く輝いている。壮観だ。

 誘導路を南端まで進んだMRJは、滑走路手前で数分間待機した後、滑走路に進入した。場内アナウンスが日本語と英語で告げる。「MRJはまもなく離陸します」。
 周りではテレビ局の記者やアナウンサーが、刻一刻と迫る初飛行の瞬間を逃さぬよう、レポートを続けている。世紀の瞬間を逃してはいけない。ビデオカメラをいったん持ち直し、そのときに備えた。

ついに初飛行、その瞬間―


ニュースイッチオリジナル

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日刊工業新聞 記者

日刊工業新聞 記者
11月15日
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「MRJが飛んだ日」を振り返りました。後になって、じわじわと飛んだ実感がわいてきます。まだまだ正念場が続きますが、この日の感動は忘れないようにしたいものです。

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