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「トヨタが認めた町工場」「自動車業界のシンデレラ」…。逆境からのサクセスストーリー

「トヨタが認めた町工場」「自動車業界のシンデレラ」…。逆境からのサクセスストーリー

複雑形状のパイプをプレスのみで実現することで高いコスト競争力を発揮する(写真はモーター冷却パイプ)

「トヨタが認めた町工場」、「自動車業界のシンデレラ」。国本工業をこう呼ぶ人は少なくない。当時、従業員数50人にも満たない企業がトヨタ自動車といかにして直接取引するようになったのか。国本工業のサクセスストーリーは逆境こそ最大のチャンスであることを教えてくれる。

複雑形状をプレスだけで

2006年、国本工業は過去に全くつきあいがなかったトヨタに部品を供給することになった。供給するのはV型8気筒のエンジン部品。搭載車種は「レクサスLS600h」。レクサスの最高級車である。

きっかけは、1年前にトヨタが開いた技術商談会への出展だ。担当者の目にとまり、声をかけられた。

トヨタの担当者を惹きつけたのは国本工業のパイプをプレスで曲げる技術。パイプの端をつかんで曲げて角度をつけるベンダー曲げに比べ、プレス曲げは金型を使って一気に成型するので、つかみしろが不要になる。曲げと曲げの間に直線がない「連続曲げ」やパイプを鋭角に曲げる「極小曲げ」も実現する。材料のムダを減らせ、部品も軽量化でき、作業時間も減らせる。当然、コストは下がる。

国本工業の部品を採用したことで、トヨタの調達原価を大きく低減できたという。2007年にはトヨタと直接取引が始まり、その他の車種でも本格的に採用が始まるが、当時の国本工業の従業員数は50人にも満たなかった。

国本賢治社長は「当社は『運』が良かったのかもしれない」と振り返る。というのも、世界的な自動車メーカーを唸らせたこの技術を国本工業は狙って生み出したわけではない。苦境に追い込まれた故の産物だったからだ。

排気系のプレス加工の受注が転機に

国本工業は1945年に織物製造で創業し、1950年代にはプレスも始める。オートバイブームの波に乗り、大手二輪車メーカーのマフラーやタンクのプレス加工にも携わる。このメーカーのバイクスタンドの9割を供給していた時期もあった。

経営が暗転するのは20世紀末。取引先の二輪車メーカーの国内生産の縮小に伴い、仕事が激減。60人ほどいた従業員は半分以下になった。「続けるより、会社を畳んだ方がいいのでは」。賢治社長の父である国本幸孝会長(当時社長)の脳裏にこうした思いがよぎるほど会社は危機的な状況に陥った。

退路を断たれた、幸孝会長が必死に自社技術を売り込んでいると、地元の自動車部品メーカーから排気系のプレス加工の仕事が舞い込む。自動車部品を手がけるのは初めてだった。

試作だけなら外注に出す選択肢もあるが、量産も視野に入れれば自社でどうにかしなければいけない。だが、加工に必要なベンダーはない。ベンダーを買うお金もない。資金も設備もないなか、試行錯誤を重ねる日々。工場にあったプレスで試作を繰り返し製品を作り上げた。国本社長は「二輪の仕事がなくなり、設備もなく、設備も新しく買えなかった。条件が限られたから生まれた技術」と当時を振り返る。

4代目の社長となる国本賢治氏

この技術が原価低減活動を進めていたトヨタから高い評価を受けたのは前述の通りである。その後、エンジン部品のみならずモータ部品やコンバーター部品と順調に受注を拡大していくわけだから、業界のシンデレラと呼ばれるのも決して大げさではないだろう。

徹底した自動化を追求

軽量化、コストダウンが常に求められる自動車業界において国本社長も常にその意識は持ち続けている。その意識を具現化しているのが主力の浜北工場(静岡県浜松市)。自動化を進める現場では、従業員の姿もまばらだ。

同工場で、ひとつのラインは15工程から構成されている。自動化ラインに配置されている人は0.5人。つまり、2ラインに一人の計算だ。

これが、自動化されていない場合、1ラインに7-8人を配置することになる。国本社長は「部品あたりの搭載台数が多い部品からラインの自動化を進めていている。当社の従業員は78人だが、自動化していなければ200人は必要」と語る。

自動化が進む工場。人影はまばらだ

工場内にはセンサーやカメラも導入されていて、ラインごとに生産状況を把握し、異常も早期発見できる。社内のDX(デジタルトランスフォーメーション)の一環で、部材の自動発注、作業管理などのシステムも構築されている。

驚くべきことに、自動化やシステム化は大半が自前。1970年代に大手外資系メーカーの生産管理システムを販売し、その後、10年以上にわたり、システム会社を運営していた経緯から、社内にソフトウェアのノウハウが眠っていた。現在、社内のDX用に開発したシステムを外販する計画もある。

協力会社とともに成長

ただ、国本社長は「自動化やシステム化をいくら進めようが当社だけではモノはつくれない」と、協力会社の重要性を説く。

国本社長の思いは呼称にもあらわれている。協力会社を決して「下請け」と呼ばず、社員にもその慣習を徹底させている。「自社だけで利益を得ようとするのではなく、ともに成長していく姿勢で取引することが、巡り巡って自社の成長につながる」と強調する。

協力会社の9割は県内に立地するが、技術力を持つ会社が地元にまだあるのではと常にアンテナを張る。

「中小企業というより小企業」(国本社長)である自社を世界のトヨタが見いだしてくれた。その思いを忘れず、今度は自分たちが「第二の国本」を探す。「私が言うのはおこがましいかもしれないが、公に認められていないだけで他社に真似できない技術を持つ会社はまだまだある。埋もれていて光が当たっていないだけ。そうした会社と地域を引っ張っていきたい」。シンデレラストーリーはいまなお進行形である。


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