<特集>中部のモノづくりはなぜ強いのか#02

伝統技術が現代に継承

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技能五輪に向け練習に熱が入る菅沼タイル店の若手
 全国有数の工業都市として知られる浜松市も、モノづくりのルーツは江戸時代にさかのぼる。今日、繊維、楽器、オートバイが同市の3大産業と称されているが、その元となる産業は近代以前から盛んに行われていた。

 繊維産業は、江戸時代に上州館林から伝わった結城縞の技術を、小山みいがこの地で発展させたことに起源がある。楽器は、山葉寅楠が元城小学校にあった米国製オルガンの修理に成功したことを契機に、1888年にその製造を始めたことが発祥となる。

 そのベースとなったのが、江戸時代に発達した製材産業だ。製材産業は木工機械の技術を高め、一方、繊維産業は自動織機の技術を発展させた。こうして培われたモノづくりの伝統技術が、戦後オートバイの製造にも繋がっていく。
 
 岐阜県関市の刃物産業は、江戸時代からさらに時をさかのぼったところにルーツがある。13世紀、九州の刀匠・元重が関に移り住み、以後多くの刀匠がここに集まるようになった。刀作りに欠かせない良質な土や水、松炭が手に入ったことがその背景にある。

 今日では、独ゾーリンゲン、英シェフィールドと並ぶ「世界3大刃物産地」として知られる。剃刀、包丁、つめ切り、ナイフなど、今日の生活に欠かせない製品において、国内で圧倒的なシェアを占める。伝統産業が近代工業・先端技術のルーツになっている例は多々あるが、関市の刃物は古くから培われた伝統技術がそのまま今日のモノづくりで生かされている好例としても注目される。

前田家が尾張から職人も引き連れ、その技術が工作機械や繊維産業の基盤に


 
 一方、北陸でも江戸時代に今日へ繋がるモノづくりの源流が生まれた。ただ、その礎が築かれた時期はさらに時代をさかのぼる。1581年、尾張出身の武将・前田利家が金沢城に入った。その際、尾張の商人や職人も金沢に移り住み、この地域の産業振興に大きな役割を果たした。

 彼らが住んだ地区・尾張町は今日も地名として残っている。同様に、尾張出身の武将・佐々成政も同年富山城に入り、この地域の基礎を築いた。東海と北陸のモノづくりは、歴史的にも大きな結び付きがある。
 
 江戸時代、前田家は全国各地から一流の職人らを呼び寄せ、武具や調度品の製造を始める。「御細工所」という製造所を設け、そこに職人を集め工芸品をつくる技術を高めていった。同時に茶や能を奨励したことで関連する技術が発達し、今日の各種製造業に繋がっていく。

 また、江戸時代に基盤がつくられた繊維産業が明治に入ってさらに発展。後に「繊維王国石川」と呼ばれるまでの主要産業となる。さらに織機の開発が工作機械製造に発展し、今日北陸は工作機械メーカーの一大集積地となっている。
 
 富山は江戸時代、前田家の統治下で売薬が奨励され地場産業となった。今日も、医薬品メーカーが多数立地し、製造品出荷額の中で多くの割合を占める主要産業になっている。

 また、売薬で蓄えた資本が、近代産業発展の礎になった。北陸初の電気事業会社である富山電燈(現・北陸電力)のほか、鉄道、繊維、製紙、出版などの企業が売薬資本によって誕生し、この地域のモノづくりの発展に寄与した。

日刊工業新聞2015年10月15日「モノづくり中部の鼓動 技、一路」より

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