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<特集>中部のモノづくりはなぜ強いのか#01

トヨタが生まれた歴史をたどってみた

地理的な優位性が産業の発展につながる


 では、なぜ中部は製造業が発達したのか。理由としてまず挙げられるのが地理的優位性だ。中部は日本の中央に位置していることから、東西両地域へのアクセスに優れている。同時に東京・大阪という大都市の間にあることから、両都市を結ぶルートが発達するにつれて必然的に交通の便が向上した。

 これに伴い、関東・関西両地域を市場として展開できる強みを得た。工場立地に適した広大な平野、物流拠点としての伊勢湾があることも大きな地理的強みとなっている。また、周辺に大河川があることで水に恵まれ、同時にその上流が水力発電に適していたことも産業が発達する基盤となった。
 
 北陸も、関西、関東、そして東海へのアクセスがいずれも優れていることが利点として挙げられる。近年は鉄道、道路、港湾の整備も進み、利便性はさらに高まりつつある。北陸も東海同様に水資源が豊かで、安価な電力を利用できることが工場立地に有利な条件となった。
 
 工場立地に関する研究でよく言及されるアルフレート・ウェーバーの工場立地論では、輸送費の最小化を工場立地の主要条件としている。彼の著書『工場立地論』は1909年に発表されたもので、現在とは社会環境は大きく異なるが、工場立地に際して輸送費が重視される点は今日も変わらない。

 先の帝国データバンクの調査では、工場に投資する際に重視する条件として、「既存自社施設の立地状況」を挙げる企業が最も多くなっている。2番目に多かった「用地の価格」に次いで「交通利便性」が上位に挙がっている。この結果からも、東京・大阪間に位置し交通の便に優れた中部が、モノづくりの拠点である工場の立地に関して好条件にあることが窺える。
 
 ルーツは木材。後に精密機械や工作機械へ昇華

 地理的背景とともに、歴史的背景も見逃せない。中部のモノづくりの歴史を辿ると、まず飛騨や木曽の木材にそのルーツが求められる。江戸時代、これらの地域で産出された良質な木材が名古屋に集められた。その契機となったのが、徳川家康による名古屋城築城だ(1610年)。

 新たに造られた運河を使って大量の木材が名古屋に運び込まれ、城と城下町の建設が進められた。木材は家具や仏具の製造も盛んにし、やがて時計やからくり人形をつくる技術へと進化を遂げた。ここで育まれた技術は、後に精密機械、工作機械の製造技術へと昇華していく。

 木材は、明治に入ると鉄道車両の製造など、幅広い分野で使われるようになった。そうした中、材木商を営んでいた鈴木摠兵衛が1893年に愛知時計製造(現・愛知時計電機)を創業する。この会社では、時計のほか兵器部品、航空機、自動車などさまざまな製品がつくられ、この地域の工業のみならず、日本の近代産業の発展にも大きな貢献を果たした。
 
 陶磁器産業も、この地域では古くから盛んだった。愛知県瀬戸市、同常滑市、岐阜県多治見市など、良質な陶土と燃料となる木材が豊富に手に入る地域では、戦前から戦後に至るまで窯業が発達した。1876年、実業家の森村市左衛門が森村組を創業し、陶磁器などの貿易を行うようになる。ここから、日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)、東洋陶器(現・TOTO)、日本碍子(現・日本ガイシ)といったメーカーが誕生した。これら森村グループは、今も陶磁器業界をリードしている。
 
 「繊維王国」から世界のTOYOTAに

 中部は繊維産業でも一大拠点になっていた。江戸時代、尾張、知多、三河、美濃の各地で、農家の副業として綿織物産業が発達した。知多木綿や三河木綿は広く知られる。明治に入ると、尾張地区では毛織物も盛んに行われるようになり、愛知は「繊維王国」と呼ばれるまでになった。繊維産業をさらに飛躍させたのが、自動織機を発明した豊田佐吉だ。彼はその画期的な発明をもとに豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)を創業。1933年、佐吉の息子喜一郎が自動車製作部門を社内に設置する。ここからトヨタ自動車の歴史が始まったことは周知の通りだ。
 
 繊維産業は、近代以降長らくこの地域の工業生産でトップの地位にあった。明治時代に四日市港、名古屋港が開港すると、それまで行われていた軽工業に加えて、機械、化学工業なども発達した。1940年には、繊維を抑えて機械が中部の工業生産トップを占めるようになる。そして、戦時中には航空機産業がこの地に集積し、多くのシェアを占めるようになった。もちろん、その背景には木材、繊維を起源とする江戸時代から培われた高い技術力があったことは言うまでもない。

 ※次回は10月16日公開予定
日刊工業新聞2015年10月15日「モノづくり中部の鼓動 技、一路」より
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
自分は石川県小松市出身なので、いわゆる「中部の人」。ただし中部の人以前に「北陸の人」が先にある。ただ北陸と言っても福井は関西の文化の影響を受けているし、富山はどちらかと言えば東京に出てくる人が多い。石川はちょうど中間的な位置で、関西にも名古屋にも東京に比較的等距離のような気がする。個人的には物心ついた時からドラゴンズファンで、「ナゴヤ」という響きが結構好きだった。記事にもあるように中部と言っても、ひとくくりにできないのは確かではあるが、道州制になった場合はかなり強力な経済圏になる、と改めて感じだ。

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