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“科学的”ってどういうこと? 怪しい科学をどう見抜く? 分子古生物学者・更科功さんにインタビュー


ニュースの内容や誰かの主張を吟味するときのような、世の中の様々な情報や物事と対峙するとき、どのように考えを進めればよいでしょうか? 一つには「科学的に考えてみる」ことが挙げられます。科学者が大切にする物事の考え方とは? 怪しい科学ときちんとした科学の見分け方は? 『若い読者に贈る美しい生物学講義』(2019年、ダイヤモンド社)を書いた分子古生物学者の更科功さんに、物事を考えるときに役に立つかもしれない「科学の態度」について聞きました。(聞き手・平川透)

更科功(さらしな・いさお)
東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書多数。

■哲学から派生した科学が、哲学より広まった理由

―そもそも科学はどのように誕生したのでしょうか?

もともと、周りのことを知る学問を哲学と言っていました。記録がある限り、古くは古代ギリシャ時代からあります。その一部が科学になったのでしょう。私は理学博士ですが、イギリスの伝統で理学博士は英語で「ドクター・オブ・フィロソフィー(Ph.D.)」。フィロソフィーは日本語で哲学ですね。

科学は哲学から派生し、圧倒的に力を持つようになります。

―哲学との違いは何ですか?

「必ず現象に戻る」という点。科学は一回一回現象に戻って、一つの主張が現象と合っているか確かめる。一つの主張をすることを「仮説」と言いますが、仮説を出すたびに現象に戻って確かめなくてはならない。「現象に戻る」ということが、それまでの哲学ともっとも違う点だと思います。哲学も現象に触れますが、一回一回立ち返るということはしないですね。

■100%正しい演繹と100%は正しくない推測の違い

―「仮説を出す」とはどういうことですか?

科学では何かを考える場合、推論をします。推論には「演繹(えんえき)」と「推測」があります。仮説を出すときは、推測をします。

例えば、「友人が池に落ちた」という現象を分かっていたとすると、その現象から「服が濡れた」とする推論は100%正しい(*ここでは、裸で落ちた、池の水は抜かれていたなどのケースは除く)。これが演繹。演繹の場合は、結論(服が濡れた)は根拠(池に落ちた)に含まれている。ただし演繹の場合は、知識の広がりがないですよね。

■知識はどのように広がるか?

一方、推測の場合。服がびしょびしょの友人があなたの家に訪ねてきたとします。なぜ濡れているのかは分かっていません。そこで、「池にでも落ちたの?」って聞き返すわけですね。これが推測。演繹と違って、「池に落ちた」という情報は「服が濡れた」という情報の中に入っていません。だから「池に落ちたのではないか?」という推測を確認する。それが「現象に戻る」ということです。本当に池に落ちたのかどうか、事実と合っているかどうか調べる行為です。調べてみると、実際は「雨に降られた」ということが新たに分かるかもしれない。

推測はこのように100%は正しいということはないけれど、どんどん知識が広がりますね。推測による知識の広がりこそが科学が発達してきた理由かなと思っています。

■大雑把でも、月に行って帰ってくるくらいには科学は役立つ

―著書では「100%の正しい結果は得られないのが科学だが、それでも科学は重要だ」ということを説いていました。

例えば、ロケットが月に行って戻ってくる技術の計算はニュートン力学でやっています。現在はアインシュタインの一般相対性理論がありますが、一般相対性理論から見れば、ニュートン力学は正確ではないというか、内包されているイメージです。

ニュートン力学だとロケットの計算をするときの有効数字(*測定した値として意味を持つ桁数)はせいぜい7~8桁までらしいのです。距離や軌道を、例えば5.38442*10の何乗メートルのような計算をするときに有効数字が10桁まではいかない。一方、一般相対性理論は10数桁まで正しい。そういう意味では、ニュートン力学は一般相対性理論に比べれば大雑把だと言えます。

ニュートン力学は完全に正しい理論ではないけれども、月に行って帰ってくるくらいには役に立つ。「完全に正しくなければ役に立たない」ということは世の中にないというか、そんなこと言っていたら何もできなくなってしまう。そこそこ正しければ十分役に立ちます。

■古生物学ではどう考える?

―分子古生物学で扱うような大昔のことは分からないことだらけではないでしょうか? より科学的な考え方が引き立ちそうなイメージです。

私は以前、生物工学という学科に身を置いていて、実験でも決まったアプローチをとればきちんと結果が出ていました。いちいち「科学とは?」と考えなくてよかった。

一方、古生物学という学問では、何度も実験を繰り返して「再現性があり、確実だ」ということは言いにくい。少ない証拠で合理的な結果を導くために、科学的であることを意識しなければいけません。古生物学は、基本的にあまり確実ではない科学なんですよね。昔のことはきちんと考えないと、とんでもない方向に転がってしまう。

ただし、再現性がまったくないわけではない。例えば、化石の話。1億年前の地層から恐竜の化石が出てきたとします。現生の哺乳類からもDNAをとって、恐竜と哺乳類の共通の祖先が2億年前にいたという結果が出たとします。もし、恐竜の化石が3億年前のものだったら共通祖先が2億年前にいたという説が否定されるわけですよ。共通祖先が2億年前なのならば、恐竜の化石はそれよりも新しいはずなので。恐竜と哺乳類の共通祖先のDNAが2億年前で恐竜のDNAが3億年前だということになれば、どちらかが間違っていることになりますね。

恐竜の化石が1億年前のものだったのなら一応、整合的・調和的なので、そういう意味では別の証拠と調和的なものが出ている間は、弱いけれど検証されていると言えます。古生物学ではきれいな再現性は得にくい。調和的な証拠がたくさん出てくれば、弱いかもしれないけれど、再現性という意味としては同じものになる。

■「怪しい科学」を見抜くいくつかのポイント

―怪しい科学ときちんとした科学ってどうすれば見分けられますか?

怪しい科学ときちんとした科学のきれいな見分け方はないです。まず、本質的ではないですが一つの見分け方としては「言葉遣い」があります。例えば「マイナスイオン」という言葉があるじゃないですか。マイナスイオンという言葉は、科学では通常は使いません。もしマイナスイオンという言葉が出てきたら、慎重な態度で読んだり聞いたりした方がよいでしょう。

また、これも本質的ではない見分け方ですが、怪しい科学かどうかを考えるときによく言われるのは、「説明責任」。例えば、よく知られたことであれば弱い証拠の提示でよいけれど、ものすごく珍しいことであれば強い証拠を提示する必要がある。

昔、大学にいたときに、別の研究室ではレーザーを空に発して色々と実験していました。東京の駒場でレーザーを発していると近くの渋谷の空に明かりがつくんです。レーザー光が雲に当たるので。その明かりのせいで「UFO(未確認飛行物体)だ」と騒ぎになって、新聞にも載りました。教授も「お騒がせしました」と謝罪文を出す事態までに発展したんです。「UFOだ」と主張するには強い証拠が必要です。しかし、UFOだと説明するにしても、弱い証拠しかないんですね。

■相対性理論を否定する簡単な方法がある?

怪しい科学かどうかを見極められる本質的なポイントは、「歴史的な経緯」があるかどうかだと思います。

例えば、相対性理論を提唱したアインシュタインは有名人なので、相対性理論を否定する内容の本は売れるらしいんです。「相対性理論は間違いだ」という主張をするときに、どういうポイントを攻めればよいでしょう? 相対性理論には「光の速度は一定だ」という前提があります。もし光の速度が一定ではなかったら、相対性理論が崩れてしまう。

光の速度の一定性を最初に証明したのは、「マイケルソン・モーリーの実験」(1887年)。その結果を元に相対性理論が作られました。その実験を否定すれば、相対性理論は崩れる。

実際、今から見ればその実験は穴だらけなんですよ。歯車などを用いた原始的な実験でした。否定しようと思えばいくらでも否定できる。「穴」を根拠に相対性理論を否定する本が何冊も世に出たわけです。しかし、現在までに世界中で何百回何千回と光の速度の一定性というのは確認されているので、「マイケルソン・モーリーの実験」が正しいかどうかというのはもはや関係ないんですね。

何百回何千回という実験の土台の上に理論が築かれている。そういうものがきちんとした科学。怪しい科学というのは、そういう土台がない。そのあたりに見分けるポイントがあると思います。

■科学者の態度で怪しいかどうかが分かる

さらに別の見分け方としては、「当事者と話す」ことですね。

怪しい科学ときちんとした科学を見分けるのは難しいけれど、怪しい科学者ときちんとした科学者を分けるのは比較的簡単です。科学というのは、いくらやっても100%正しい結果が得られないので、少しでも実験を正確にしようと細かく気をつけます。条件をコントロールしてきちんと実験をしようとするんですね。例えば精度を96%から97%にするためにきちっと取り組むわけです。

一方、怪しい科学は「100%正しい」と言いがち。どうせ100%正しい結果が得られるのならば、きちんとした実験をする必要はないじゃないですか。そういう風に実験をしている人はだいたい怪しいです。本当に怪しい人はそもそも実験しませんけれど。

一時期、怪しいかどうかの見分け方について興味を持って調べていたのですが、伝家の宝刀みたいな感じでスパッと見分ける方法はないと思いますね。だから人は誰しもだまされる可能性があるのでしょう。「自分はだまされないと思っている人ほどだまされる」という話もありますよね。歴史的な経緯や情報の蓄積を調べれば、どれくらい正しそうか分かるけれども、本質的に切り分けることは難しいと思います。

■複雑と単純の往来

―書名にある「美しい」とはどういうことですか?

二つ意味があります。

理論や数式というのは、簡単な形の方が「本当っぽい」です。なぜ本当っぽいのかは分かりませんが、単純な方が本当っぽくて美しい。ものすごく複雑な現象を単純な現象にまとめることが科学の特徴。混沌としたものが、少数の法則に収束していく様を美しいと感じます。

もう一つはその逆です。宇宙で最も多様性に富むのが生物だと思います。仮に地球以外に生物がいてもきっと多様性に富んでいると思います。少数の原理から多様性が生み出されていることを美しいと感じます。

複雑なものから単純な数式が出る。単純な原理から複雑で多様なものが生じる。このような複雑さと単純さの行き来があることが、科学の美しさだと思いますね。

更科先生の本『若い読者に贈る美しい生物学講義』の紹介
生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、IPS細胞とは何か・・・。最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る。あなたの想像をはるかに超える生物学講義!全世代必読の一冊!!(ダイヤモンド社の内容紹介ページより引用)
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