復興のシンボルとなった石巻の老舗造船メーカー、震災から9年目の倒産事情
ヤマニシ(宮城県石巻市)は、1920年3月に設立。東北で最大規模の老舗造船業者で、漁師ごとに要求が異なる小型漁船の建造で培った技術力を強みに外航貨物船、コンテナ船等を受注し業容を拡大、ピーク時の2010年3月期には年売上高約198億2100万円を計上していた。
東日本大震災では津波により製造設備等が甚大な被害を受け、実質的な休業を余儀なくされたが、12年2月に企業再生支援機構(現地域経済活性化支援機構)や金融機関による支援(設備資金、運転資金の融資等)を受けて再スタートを切った。また、同年11月には東日本大震災事業者再生支援機構が約40億円を出資するなど支援を受け、地域経済復興のシンボル的な存在として再建の道を歩み出した。
しかし、競合激化を背景に新規受注を確保するため赤字受注が散発し、13年3月期から17年3月期までの5年間、新造船事業は売上総利益段階から赤字となっていた。一方で修繕事業は震災後の特需もあり、黒字を確保していたが、新造船事業の赤字をカバーするだけの規模ではなかった。
さらに黒字だった同事業も復興需要の収束に伴い受注が減少したうえ、外注業者の廃業により、収益率の高い船舶エンジンの整備にかかわる修繕を、費用が高い外注業者に新たに依頼せざるを得なくなり、18年3月期には売上総利益段階で赤字に転落。このため、災害からの復旧費用や減価償却費などの諸経費負担も重荷となり、12年3月期から18年3月期まで当期純損失計上を余儀なくされるなど、赤字経営から脱却できずにいた。
その後も、メーンバンクによるデット・デット・スワップによる追加金融支援などにより、19年3月期には約1600万円の当期純利益を計上したが、あくまでも表面上の回復に過ぎなかった。世界的な造船不況という業界環境の中で根本的な解決策が見当たらないまま自主再建を断念、会社更生法による再建の道を選ぶこととなった。
(帝国データバンク情報部)