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ロータリーエンジンを世に知らしめたマツダ「コスモスポーツ」、社長が選んだ1枚のデザイン画から始まった

ロータリーエンジンを世に知らしめたマツダ「コスモスポーツ」、社長が選んだ1枚のデザイン画から始まった

「コスモスポーツ」の車体は、素人では継ぎ目がわからないという

東洋工業(現マツダ)のロータリーエンジン(RE)搭載車の中でも、最初の「コスモスポーツ」は最も有名なクルマだろう。1967年(昭42)5月の発売から4年前、63年10月の全日本自動車ショー(現東京モーターショー)の会場に松田恒次社長が試作車に乗って広島から駆けつけ、話題となった。松田社長は高松宮殿下や池田勇人総理の私邸、各地のディーラーもコスモスポーツで訪問。RE開発の順調ぶりをアピールした。

現在の視点から見ても未来的なコスモスポーツのデザインは、小林平治という社内の若いデザイナーが書いた1枚のデザイン画を松田社長が気に入り「これで行け」と命じたものだという。偏平な車体のため、通常のサスペンションでは格納スペースが取れず、後輪に「ド・ディオン式」という珍しい形式の車軸懸架サスペンションを使っている。

車体も特別な作り。鋼板と鋼板を突き合わせて継ぎ目を溶接し、ビードと呼ぶ接合部を手で平らに磨いてあたかも1枚板のように仕上げている。「1台1台、手づくりだったようだ。今なら商品企画しても採用されないような、とんでもない手間をかけている」と、100周年記念のレストアプロジェクトに携わった岡和田繁さん。

発売当時の価格148万円は、現在の貨幣価値なら1000万円を超える。3輪トラックの泥臭いイメージからの脱却を目指していた同社にとって、広告塔としてもまばゆいような役割を果たした。

REの量産に当たっては、特殊な「トロコイド曲線」を描いた繭形のハウジングの内面を精密に加工するために、2次元の数値制御(NC)装置を備えた専用工作機械を開発。ローターのシーリングの溝や穴を加工する専用機も開発した。

松田恒次社長の死去を受け、70年11月に後任に就いた長男の松田耕平社長は、すべてのラインアップにREを搭載していく「ロータリーゼーション」を推進。搭載車の拡大にあわせて、REの生産能力も68年に月産1000台、70年に同1万台と急速に拡大。71年には同4万台の新工場建設に着手した。だがREは品質や燃費に問題を抱えていた。73年のオイルショックを受けて搭載車が大量の在庫となり、経営悪化の原因となる。新工場も稼働せずに中断した。

マツダは12年に「RX―8」の生産をやめるまで合計199万5674台のRE搭載車を生産した。コスモスポーツは「記録より記憶に残る」クルマと言えるだろう。

◇コスモスポーツ(前期型) ●全長×全幅×全高=4140×1595×1165mm ●車両重量=940kg ●乗車定員=2人 ●駆動方式=フロントエンジン・リアドライブ ●エンジン=水冷ロータリー、排気量491cc×2「10A型」 ●最高出力=110馬力 ●変速機=4速手動変速機 ●総生産台数=1176台(前期後期の合計)
日刊工業新聞1月22日

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