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有名人も賛成する「ベーシックインカム」。成功のカギは仕事に対するマインドシフトか

<情報工場 「読学」のススメ#74>『みんなにお金を配ったら』(アニー・ローリー 著 |/上原 裕美子訳)

<ただ「生きている」だけで生活に必要最小限のお金がもらえるUBI>

フリーランスのライターをしていた頃、とても割りに合わない仕事を受けたことがある。とあるイベント(内容にまったく興味がなかった)を取材して(といってもその場にいて様子を観察し、あいさつや講演を聞いているだけ)、400字程度の文章を書く、というものだ。字数が少ないのでラクじゃないかと思うかもしれないが、このイベントの拘束時間が、なんと「5時間」。しかも取材者(私一人だけ)用の椅子が用意されおらず、最初から最後まで立ちっぱなしだ。

字数が字数だけに、この時の原稿料は雀の涙ほどだった。どうして仕事を請けたかというと、クライアントとの関係を崩したくなかったから。ここで断って、他の実入りの良い仕事を他のライターに取られたら困る。要は、将来得たい収入のために、あまり気の進まない、メリットが感じられない仕事を請けざるを得なかったということだ。

よくある話なのかもしれない。『みんなにお金を配ったら』(みすず書房)にも、米国のライター、スコット・サンテンスさんの、似たような(いや、もっとひどい)経験が紹介されている。「ベーシックインカムがなかった頃のぼくは、50ドルの原稿料のためにまる1週間つぶして調査と執筆をするような仕事も引き受けていたものだった。割に合わない50ドルでも、ゼロよりはマシだという理由で」

この発言の中にある「ベーシックインカム」が、同書のテーマである。知っている、あるいは聞いたことがある人も多いだろう。正確には「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」。政府が、「すべての国民」に対し一律に、生活に最小限必要な額の現金を支給する、というシンプルかつ大胆な制度を指す言葉だ。

UBIは「生きている」だけで、どんな境遇にあろうとも現金が毎月もらえる。収入も年齢も、世帯構成も、犯罪歴も関係ない。文字どおり「すべての国民」に同額が支給されるのだ。

これは絵空事ではない。すでにドイツ、オランダ、フィンランド、カナダ、ケニアなどで実験的に運用が始まっている。インドでも運用を検討中で、スイスでは国民投票が行われ、UBI導入は否決されたものの、かなりの支持が集まったという。また、マーク・ザッカーバーグ、ヒラリー・クリントン、ビル・ゲイツ、イーロン・マスクといった著名人が、UBIへの支持を表明している。

UBI推進のメリットとしてよく挙げられるのが、AIやロボットに仕事を奪われた人々の生活を保障する、というものだ。さらに、米国などの先進国で深刻な課題となっている貧富の格差や貧困層の拡大を是正する上でもUBIは有効とされる。

<「大聖堂を作っている」と言ったレンガ職人のマインドがUBI普及には必要>

先ほど発言を紹介したライターのサンテンスさんも、ある種のベーシックインカムを受給している。アーティストを支援するクラウドファンディングサイトを利用し、毎月およそ1,500ドルを受け取っているのだ。そのために今は「割りに合わない仕事」をせずに済んでいるという。

『みんなにお金を配ったら』で著者は、サンテンスさんにとってのUBIが、「人は、したくない仕事でも(お金のために)しなければならない」という固定観念から人間を解放する“パラダイムシフト”であると指摘する。UBIで最低限の収入が保証されているからといって、好きな仕事ができるというわけではない。だが、たとえ失敗しても生活が破綻することがないため、新しいチャレンジはしやすくなるのではないか。

ここで思い出されるのが、有名なイソップ逸話「3人のレンガ職人」だ。

ある旅人が、街角でレンガを積んでいる3人の職人に出会い、それぞれに「あなたは何をしているのですか?」と尋ねる。すると、1人目の職人は「見ればわかるだろう。レンガを積んでいるのさ。なんでこんな仕事をしなくちゃいけないのか。まったくついていない」と答える。2人目は、「ここに大きな壁を作っている。これが俺の仕事なんだ。家族を養わなくちゃならないからね」と言う。

3人目の職人は、前の2人とはまったく違う答えをした。「俺たちはね、歴史に残る大聖堂を作っているんだよ」

もしUBIが導入されていたとしたら、きっと1人目と2人目の答えはあり得なくなる。少なくとも「家族を養う」ためにつらい仕事をする必要はなくなる。逆に3人目のように、大きなやりがいをもって仕事をするマインドが広がるのではないだろうか。

しかし、世の中には「誰もやりたがらないが、誰かがやらなければいけない仕事」も少なくない。それらはどうするのか。簡単だ。AIやロボットにやってもらえばいい。

もちろん、理想どおりにはいかないだろう。現時点でAIやロボットが「何でもできる」わけではない。仕事や働き方に対する人々の考え方も一朝一夕には変わらない。UBIが普及する土壌は、もう少ししないと整わないのかもしれない。

<狩猟採集社会での「獲物の分配」にも似たベーシックインカム>

『みんなにお金を配ったら』は「パラダイムシフト」というが、UBIは、労働やお金の意味を大転換させるものであり、貨幣経済が始まって以来、いやもしかすると、狩猟採集社会から農耕社会への転換以来の大変革をもたらす可能性すらある。

『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』(ジェイムス・スーズマン著、NHK出版)に、アフリカ南部に今も生活する狩猟採集民であるジュホアン・ブッシュマン の暮らしが紹介されている。それによると、彼らは仕留めた獲物を、バンドと呼ばれる遊動的な居住集団の中で、徹底して平等に分配する。狩りに参加しない子どもや女性、老人、病人や怪我人にも、すべて同じ分量が分け与えられるという。

しかも、獲物を仕留めた当人には「謙虚さ」が求められ、獲物を分け合う宴席で他の人々から「侮蔑」されるのだそうだ。賞賛ではない。「たいした獲物じゃない」だの、「持って帰るほどの価値はない」だのと、ぶちぶち責められる。これは一種のパフォーマンスであり、多くの獲物をとった者を崇めて上下関係や序列を作らないためのものらしい。

UBIで平等にお金が配られるのと、狩猟採集民が平等に獲物を分配するのは、似てはいないだろうか。ただ、UBIの場合「誰」が、分配の対象となる“獲物”を持ってくるのか。ここで言う獲物”とは、UBIの財源のことだ。

『みんなにお金を配ったら』では、財源として金融取引税や付加価値税、適切に設定された炭素税や不動産税などを充てる案を紹介している。その中で興味深いのは、ビル・ゲイツ氏が提案している「ロボット税」だ。AI・ロボットによって生産性が上がるのであれば、その所有者から税金を取るべき、という考え方だそうだ。

ロボット税の案を採用するとなれば、「獲物」を持ってくるのはロボットという事になる。だが、狩猟採集民の論理に従えば、ここでロボット(とその所有者)を崇めるべきではない。あくまで社会は人間が動かしていくのだ。

UBIについては、まだまだ議論が必要だろう。その前に、こういう考え方があることが浸透していかなければならない。UBIは大多数が同意しなければ、成立し得ない。実は、そこがUBIの最大の難関なのかもしれない。(文=情報工場「SERENDIP」編集部)

『みんなにお金を配ったら』
-ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?
アニー・ローリー 著
上原 裕美子 訳
みすず書房
256p 3,000円(税別)
情報工場 「読学」のススメ#74
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
ベーシックインカムには「政府や役所の仕事を簡略化できる」というメリットもあるという。とくに途上国などでは、国民の収入をきちんと把握できておらず、貧困層だけを優遇したり、支援したりすることが手続き上難しかったりもする。UBIならば、全員一律定額支給なので、面倒な役所手続きは回避できる。そうして簡略化できた分の人的コストを、他の有意義な公的サービスに回すこともできるだろう。ベーシックインカム導入までには議論が必要だが、シンプルさを失わないことが大きなポイントになるのは確かだろう。

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