ブレードランナーとヘンリー・フォード、「管理型未来」の現実はどうなった?

 1982年に公開された映画「ブレードランナー」はSF映画の金字塔と呼ぶにふさわしい作品だろう。物語は、人間の代わりに過酷な労働を強いられるレプリカント(人造人間)が地球外の惑星で反乱を起こし、地球に侵入。捜査官役のハリソン・フォードとレプリカントが壮絶な追跡劇を繰り広げる。

 ハリソン・フォードは特殊な機械でレプリカントと人間を見分けるが、人工知能の高度化に伴い、区別は困難を極める。やがては主人公自身もレプリカントではと自問し、苦悩する。

 興行収入は振るわなかったが、同作は混沌(こんとん)とした近未来都市を映像で表したことが多くの映画ファンをうならせた。映画の舞台設定が2019年であったこともあり、再び脚光をあつめている形だ。

 環境破壊が進み荒廃した雰囲気と高度なテクノロジー。超高層の塔と対照的な地上のスラム群。人間のような機械と、機械のような人間。我々がアニメや映画で一度は見たことがある「未来都市」の要素がちりばめられている。

 原案は米国のSF作家P・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。ディックはSFの大家として知られ、トム・クルーズ主演で2002年に公開された「マイノリティー・リポート」もディックの作品が原作になっている。

 彼の作品は管理型未来への警鐘が下地にあるが、短編「自動工場」もそうだ。舞台は人口が激減した終末世界。人工知能(AI)が操る工場が世界を支配していた。工場は情報回路が破壊されており、天然資源やエネルギーをひたすら消費し、供給し続けていた。

 同作が発表されたのは1955年だが、すでに生産現場での機械と人間の関係性が問われていたことがわかる。

 工場の効率化がどうあるべきかは、1913年にヘンリー・フォードがミシガン州デトロイト郊外にはずみ車の発電機の生産に組み立てラインを設けたときからの古くて新しい課題だ。フォードは労働者の考えることを必要最低限にし、労働者の動きを最小限にすることを具現化した。

 この成功を契機に他の分野にも広げモーターの作業時間は10時間から6時間にシャシーは12時間以上から約1時間半に縮めた。組み立てラインの成功で、フォードは1919年には世界の自動車生産高の半分を占めるにいたった。ただ、巨大化しすぎた故、生産現場での人間から労働の意味を剥奪した。ディックの未来社会への暗示は20世紀初頭からくすぶっていたのだ。

 2019年の今、工場の機械化やAIの導入は飛躍的に進んだが現時点では、ディックが危惧したような事態は起きていない。人間と機械の調和が進み、人間よりも機械が担うのが適切な業務には自動化が進む。

 例えば、生産現場での稼働管理では、センサーが生産ラインに設置されて製造設備が故障する前に起こりうる不具合をデータ処理で検知して、生産活動を止めることなく業務を効率化している。

 データは意思決定の脇役であったが、もはやデータがなければ意思決定ができない状況になりつつある。そして、データ処理も全てをクラウド上で一括管理するのではなく機器に近い場所で処理することでリアルタイムの可視化を容易にする「エッジコンピューティング」などの手法も見られる。

 人間が機械に置き換えられるという議論はいまだに根強いが100年以上前から、人間が向き合ってきたテーマでもある。生産現場での活力を高めながらいかに目的を定め適切なプロセスで効率化するか。めまぐるしく進歩する技術との対峙(たいじ)は続く。

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