MRJが受け継ぐ"零戦"の精神
開発者が語る「日の丸ジェット」の実力は?
零戦から受け継がれる飛行機作りの精神
最後に紹介したい発言は、零戦からYS―11、そしてMRJ(正確には他にもたくさんの機体がある)と、脈々と受け継がれてきた「飛行機屋」としての精神について。
零戦は徹底的な軽量化をした戦闘機として知られる。機体の骨組みにいくつもの丸い穴をあける「肉抜き」や、パイロットの座席後部にある鋼鉄製の防御板を撤去するなど、1グラム単位で軽量化を図った。岸氏は、こうした地道なモノづくりは、現代のMRJにも通底する精神だと語る。
「飛行機は軽ければ軽いほど燃費が良くなる。よって、重量軽減については開発段階で終わりではなく、量産に入った後も継続的に実施していく。こういう地道な努力は、日本人はかなり得意だと思う。零戦も、1グラム単位で軽量化(を目指してきた)。MRJは『10万分の1グラム単位』でやれということをみんなに言っている。日本人の持つ特性として、ひとつのことに一生懸命に、最後まで諦めずにやっていくということがあるのではないか」
「YS―11も戦後初めての民間機であり、第二次世界大戦の時にいろんな飛行機を作っていた方々が集まって開発した。MRJも三菱重工、三菱航空機だけでなく、日本の各社の方の応援をいただき、会社を超えて設計や地上試験を進めている。日本としてきっちりやっていくことも受け継いでいる」
部品点数にして100万点(自動車の30倍以上)にもなる航空機の開発は、やはり一筋縄ではいかないものだ。初飛行後も、機体に問題が発覚し、設計変更を迫られる可能性がある。型式証明の他にも、顧客向けのアフターサポート体制の構築や生産のコストダウンなど、課題を挙げればきりがない。それでも今、MRJは数々の課題を乗り越え、初飛行に臨もうとしている。開発はこれからが正念場だ。
岸信夫氏(きし・のぶお) 82年(昭57)大阪府立大工卒、同年三菱重工業入社。05年先進技術実証機プロジェクトマネージャー。10年三菱航空機入社、12年MRJチーフエンジニア、13年執行役員チーフエンジニア、15年副社長。4月から三菱重工業交通・輸送ドメインMRJ事業部長を兼務.神奈川県出身。>
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