ニュースイッチ

METI

山梨と郊外にこだわり次は海外へ、シャトレーゼ「逆転の発想法」

幾多の苦難乗り越え、今や国内528店舗・海外60店舗
山梨と郊外にこだわり次は海外へ、シャトレーゼ「逆転の発想法」

全国で520を超える店舗展開は国内最大規模を誇る

 山梨県発祥の総合菓子メーカー「シャトレーゼ」。国内では郊外を中心に528店舗(2019年9月末時点)の工場直売店を展開し、菓子の製造小売りとしては最大規模を誇る。近年はシンガポールをはじめ海外にも進出。この9月には東京・銀座に都心型の新ブランドによる店舗をオープンしたばかりで事業拡大に拍車がかかる。そんな同社だが、経営の根幹を揺るがす苦難の時期があった。これを乗り越え、年商700億円を超えるグループ企業へ成長を遂げた裏には、齊藤寛会長の「逆転の発想法」、そして地元山梨にこだわる経営があった。

大手ができないことを


 シャトレーゼホールディングス(HD)の創業は1954年、今川焼き風のお菓子「甘太郎」の店舗を山梨県甲府市(旧紅梅町)に出店したことにさかのぼる。当時、砂糖は統制品で、他の店は人工甘味料を使うところが多かった。そんな中、北海道の小豆と上白糖、水あめを使い、素材にこだわった今川焼風の菓子甘太郎は「本物の味」と人気を博し、朝早くから昼まで行列が出来るほどの人気ぶりだったという。ただ、温かい作りたてを提供するため、夏になると売れ行きが落ちるのが悩みだった。

 「夏にも売れるソフトクリームでもよかったが、やるからには大きな事業にしたい」。齊藤寛会長はアイスクリーム業界参入の決断をこう述懐する。勝沼市の自宅裏に工場を構え、アイスを作り始めたが、実は「これが苦労の始まりだった」。

 全国に販売ネットワークが確立されていた大手メーカーと競わなければならず、売れ行きは芳しくなかった。設備投資の負担も重くのしかかり、資金繰りに奔走する日々だった。

 追い詰められた齊藤会長が目を付けたのは、「大手ができないこと」。大手メーカーは計画生産のため、傷みやすい生菓子の製造はしていなかった。

 そこで67年に低コストで衛生的なシュークリーム製造に乗り出した。あわせて社名も現在の「シャトレーゼ」に変更。当時の相場が1個50円のところを、アイスクリームで培った生産技術を生かし、およそ5分の1で提供することができた。冷蔵庫のある小売店はまだ珍しかった時代ゆえ、廃棄品が出るのではないかとの懸念もあったが、1日に50万個も売れる大ヒット商品になった。
創業者である齊藤寛会長

逆転の発想で起死回生


 75年には、首都圏を中心にフランチャイズによる洋菓子専門店を展開し、日本一の生菓子メーカーへと成長していった。菓子生産が間に合わなくなったため、50億円を投資して旧中道町(現甲府市)の食品工業団地に中道工場を建設することにした。

 ところが中道工場の稼働を5ヵ月後に控えた84年4月、主力の勝沼工場(旧勝沼町、現甲州市)が火災で全焼してしまう。卸売り用の菓子が生産できず、スーパーの売り場は他社へ奪われてしまった。急遽、新工場での製造を試みたが、新しい設備に慣れない環境のため、うまくいかず廃棄の山が続いた。

 悲嘆に暮れる齊藤会長に、さらに追い打ちをかけたのが、自身の右腕として活躍してくれていた弟の急逝。経理担当の妹も病気で1年間離脱することになってしまった。従業員の間にも不安が広がる中、齊藤会長は決して下を向かず、「大丈夫だ」と従業員を、そして自身をこう鼓舞し続けた。

 「人生には波があり、ピークが来ると、必ず次には落ちてしまう。けれども、その次には大きなチャンスが待っている。だから高い波が来ているときはおごらず、落ちているときは失望してはいけない。苦境に立たされた時こそアイデアが出るものだ」。

 売り場が減って商品が提供できない状況を逆手に取り、85年、工場直売店を甲府市にオープンさせた。すると、連日行列が出来るほどの賑わいをみせた。翌年には、千葉県の国道16号沿線に工場直売店のFC1号店をオープン。これを皮切りに全国各地から出店申込が相次ぎ、郊外型FC店の全国展開が進んでいった。

 94年には白州工場(旧白州市、現北杜市)を稼働。素材の調達、生産、配送、販売まで一貫して行う「ファーム・ファクトリー」という独自のサプライチェーンを打ちだした。齊藤会長は「地域けん引企業として、山梨県産の農産物も積極的に使っている。使用量は、おそらく県内の企業一」と胸を張る。

 白州工場では、アイス・焼き菓子が生産され、全国、そして海外に送られている。軟水である白州の水は口当たりがまろやかで雑味がなく、素材の味を引き立てる。合成添加物を極力使っていないため口当たりも良い。品質管理が難しく一般流通を介さない独自の工場直売システムだからこそ実現できたといえる。

世界へ、そして都市部へ


 これまで郊外を中心に店舗を展開してきた同社だが、15年には海外展開に踏み出す。第1号となったのはシンガポール。客足の少ないスーパーの出口、たった5坪を借りて店を出したこともあった。それでも、評判はSNSなどを通じて広まり、客足は絶えなかった。現在では9か国・地域に60店舗を展開する。

 今年は創業65年の歴史で新たな節目となりそうだ。高級路線の新ブランド店「YATSUDOKI(ヤツドキ)」を9月14日、東京・銀座にオープンした。郊外中心の既存店舗とすみ分けを図り、2020年からは大阪、名古屋、札幌などにも出店し、フランチャイズも含め、年間30店舗を目指している。厳選した素材による手作りの専門店品質で、手土産やオフィス需要を狙っている。

 郊外で磨き上げたビジネスモデル。それが海外展開、そして新たなブランド戦略につながりさらなる飛躍の原動力となりつつある。
新ブランドの第1号店は東京・銀座にこの9月にオープンした

【企業情報】
▽所在地=山梨県甲府市下曽根町3440-1▽社長=齊藤貴子氏▽創業=1954年12月▽連結売上高=662億円(2019年3月期)
狐塚真子
狐塚真子 Kozuka Mako 編集局第一産業部 記者
今でこそ全国、海外展開をすすめる総合菓子メーカーとなったシャトレーゼHDですが、まるで苦難の時期があったとは感じさせない、会長のパワフルさ・明るさが印象的でした。取材中おっしゃられた「だいたい僕くらいの年齢になると、浮かれて過去の自慢話をしたりするけれど、それは年寄りのすること。僕は常に未来のこと、長期の目標を考えている。」という齊藤会長の言葉に、これからも何か大きなことをやり遂げるのではないか、と期待が高まりました。

編集部のおすすめ