ニュースイッチ

聴覚研究者が語る、音のパーソナライズ化で「脳」に起きる変化

“音のパーソナライズ化”がもたらすもの【第2部:柏野牧夫NTTフェロー】
聴覚研究者が語る、音のパーソナライズ化で「脳」に起きる変化

柏野牧夫NTTフェロー

誰もが自分の好きな音に囲まれた生活は、人や社会にどう影響するのか。イヤホンやヘッドホンの着用だけでなく、電車内や職場で耳栓をしている人も増えた。“音のパーソナライズ化”がもたらすものについて、【第2部】では、長年聴覚研究に携わる柏野牧夫NTTフェロー(スポーツ脳科学プロジェクト統括)のロング・インタビューから紹介する。
【第1部】ソニーの技術者が語る「音と人の関係」

何を聞くかで脳が変わる


 -イヤホンやヘッドホン、耳栓を常用している人が増えました。理由をどう見ていますか。
 「電車内や都市はうるさくなっているが、イヤホンやヘッドホンの着用が増えたのは、そのせいだけではない。聴覚過敏の人もいれば、着用したままの方が心地よく感じたという“気分”で継続している人もいる。一方、耳栓は聴覚過敏などの切実な理由が多い。自閉スペクトラム症の人の中には、小さな音は聞こえるが、音が混ざると聞こえにくいという人も多い。一方、人間関係が良くないという理由で、音が気になる場合もある」

 -イヤホンなどを常用することで、生活にはどんな影響がありますか。
 「自分を取り巻く『音環境』を自分で選べるようになり、大ヒット曲が生まれにくくなった。昔はテレビや有線放送などで多くの人が同じ音楽を聴いたが、今はSNS(参加型交流サイト)内の似た嗜好(しこう)を持つ人たちの中で音楽を共有し、その中でヒットする。また、このように音環境を四六時中個別化できることは、脳のチューニングにも影響する可能性がある」

 -何を聞くかで脳が変わるのですか。
 「音の情報は耳から入り、順番に脳幹、視床、大脳皮質の聴覚野へと伝達される。脳の大脳皮質で音の情報処理に関係する部分は、可塑性があり、経験した音に応じて変化する。一例は、言語音に対するチューニングだ。新生児は多様な言語に含まれる音に反応するが、しばらくするとその言語で意味のある音の違いにのみ反応するようになる。このため、日本語を話す人にはLとRの聞き分けが難しい。脳は経験で形成される」

皆が同じもので感動しにくくなる


 -音環境の変化や個別化によって、人はどう変わりますか。
 「昔は生まれてから親の声や日常生活、流行の音楽、虫や自然の音の中で育ち、脳はそれらを効率よく符号化するように形成されてきた。今、都会は虫などの自然の音がなく、人工的な音が増えた。脳はこの環境に合わせていく。(合成音声ソフトの)『ボーカロイド』の音楽に慣れた人は、生の歌声や楽器よりも、ボーカロイドの方を自然に感じるようになっても不思議はない」

 「音環境が個別化され、人がそれぞれ異なる音に慣れ親しむと、好みが分かれて、皆が同じものを聴いて感動しにくくなる。自分と異なる感覚を持つ人を怖いと思う人もいるだろう。だが、好きな音楽を深く詳細に味わえるようになるなど、それも進化の一つかもしれない。電子メールや車が普及した時も、得たものと失ったものがある。それと同じではないだろうか」

【第1部】ソニーの技術者が語る「音と人の関係」

大音量でなくても、“隠れた難聴”のリスク


 -イヤホンなどを常用するリスクはありますか。
 「聴覚はもともと24時間、周囲360度を警戒するシステムとして働いてきた。目では捉えられない背後の出来事に気づき、危険を察知する。イヤホンでふさがれた状態が増えれば、音に反応して動く経験が減り、緊急時の対応もできない。個別化は、(耳をふさぐ状態と音楽の趣味を共有しにくい状態の両方の意味で)“外の世界を無視するモード”と言えるかもしれない」

 「イヤホンなどを常に身に付けることで、『hidden hearing loss(隠れた難聴)』の発症が危惧される。複数の混ざった音から個別の音を聞き分ける能力が下がる。カフェでの会話が難しくなったり、上司の注意が聞こえなくなったりする。小さな音は聞こえるため、通常の聴覚検査では難聴とわからない。自分が注意力散漫なのではないかと悩む人も少なくない。音情報は健常者目線で作成されるが多いが、聴覚の性質を理解し、ユニバーサルデザインになる必要がある」

地獄耳・空耳のワケ


 -話は変わりますが、聴覚には特定の言葉が良く聞こえる“地獄耳”や、違う言葉に聞こえる“空耳”など不思議に感じる現象があります。どうやって起きているのでしょうか。
 「地獄耳は誰にでもある。自分の名前は脳の中で刺激に対する反応が準備されているため、雑音の多い中でも聞き分けられる。逆に空耳は、脳が慣れ親しんだ言葉に引きずられて反応している」

 「意識せずに聞こえている背景音も重要だ。古典的な実験で、こういうものがある。片方の耳に注意を向けさせている時、注意を向けていない耳に電気ショックと事前に関連づけられた都市名を呈示する。すると、精神性発汗などの交感神経反応が見られた」

 -認識してない音にも役割があるんですね。
 「人が受け取る情報の9割は視覚からという人もいるが、妥当な根拠に乏しいのではないか。音を消せば、ホラー映画も恐怖を感じない。例えば、恐竜に襲われるシーンは、最初は微かな音が徐々に大きくなり、目の前に恐竜が現れて恐怖がピークに達する。音がなければ感情は揺さぶられない。映画の音声を消せば、話をほとんど理解できない。最も不便なのは会話をできないこと。音のない時の不便さは1割では済まない」

音と体の関係がわかれば、働き方を改善できる


 -今後、聴覚の研究はどのように進み、生活に役立てられていきますか。
 「聴覚の基礎研究は、体と切り離して進められてきたが、音と体の関係はもっと真剣に調べられるべきだ。私の現在の研究対象であるスポーツは周りの状況を把握し、早く適切な行動をとることが重要で、ここで聴覚の果たす役割は大きい。他にも、応援が体にどう影響するのか。また、一流のスポーツ選手はコンディションを高める音楽を持つが、そこに何らかの理屈があるのではないか。音が体の動きや感情にどう影響するか体系的にわかれば、実生活にも役立てられると思う。例えば、働き方の改善では、仕事を時間で考えるのではなく、どう働き、どうリラックスするかを働き方に取り入れられる」

【第1部】ソニーの技術者が語る「音と人の関係」
ニュースイッチオリジナル
梶原洵子
梶原洵子 Kajiwara Junko 編集局第二産業部 記者
もっと聴覚の不思議について知りたいと思いました。【第1部】では、ソニーの2人のエンジニアの方に話を聞きました。よかったら、あわせてお読みください。

編集部のおすすめ