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69年ぶり復活の「日本製鉄」、新社長のミッションは?

橋本英二副社長が社長に昇格
69年ぶり復活の「日本製鉄」、新社長のミッションは?

会見する橋本次期社長(右)と進藤社長

 新日鉄住金は10日、4月1日付で橋本英二副社長(63)が社長に昇格する人事を発表した。進藤孝生社長(69)は代表権のある会長に就任する。経営体制の若返りを進めるとともに、海外経験が豊富な橋本氏のもとで海外事業を拡大する。同社は4月1日に「日本製鉄(にっぽんせいてつ)」への社名変更を予定しており、新しい経営体制で船出する。宗岡正二会長(72)の処遇は今後調整する。

橋本氏は10日に都内で開いた記者会見で、米中貿易摩擦など世界経済の不透明さが増す中でも「(新興国などの鉄鋼の)自国産化の流れは変わらない」と強調。「新興国など需要が伸びるところに経営資源をつぎ込み競争に勝ち抜く」と意欲を示した。
【略歴】橋本英二氏(はしもと・えいじ)79年(昭54)一橋大商卒、同年新日本製鉄(現新日鉄住金)入社。09年執行役員、13年常務執行役員、16年副社長。熊本県出身。新日鉄住金は10日、4月1日付で進藤孝生社長が代表権のある会長に就任し、橋本英二副社長が社長に昇格する人事を発表した。同社は4月に進藤社長が就任5年となるほか、4月1日付で社名を「日本製鉄」に変更する。節目の年に経営陣の若返りを図る。

日刊工業新聞2019年1月11日



社名復活に託された思い


 戦後の1950年の旧日本製鉄解体後、「日本製鉄」の名称が69年ぶりに復活する。新日鉄住金は16日、2019年4月に「日本製鉄」に社名変更すると発表。1970年の八幡製鉄、富士製鉄合併で発足した旧新日本製鉄歴代社長の悲願が半世紀を経てようやく実現する。

 「社名は今はこれでいい。いずれその時期が来る」。2012年10月、当時の新日本製鉄と住友金属工業が合併して現社名になった時から新日鉄出身のある最高幹部はこの日が来るのを予想していた。

 現社名の新日鉄住金という商号も「『住友』の名称を残してほしい」という旧住金側の要求に対し「我々も『日本製鉄』にこだわっていない」とやんわり断り、現社名に落ちついた経緯がある。

 ただ、海外での商号は「NIPPON STEEL&SUMITOMO METAL CORPORATION」とフル表記している。世界のシームレスパイプ市場で圧倒的なブランド力を持つ「井桁」マークが必要だったからだ。

 実は、旧新日鉄発足当時から同社の海外商標は「NIPPON STEEL CORPORATION」だった。明治の官営八幡製鉄所をルーツとし、それに民間製鉄所が大同団結して1934年に発足した旧日本製鉄。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による過度経済力集中排除法で引き裂かれたが、再統合が実現した際、稲山嘉寛、永野重雄両氏の「統合時の日本名は『新』が付いても良いが、海外の名称は復活させよう」との合意があったといわれる。

 その意味で日本製鉄の名称復活は意味深い。「グローバルに展開していく時に日本発祥の製鉄会社であることを打ち出す」。そう宣言する進藤孝生社長は、旧新日鉄発足から3年後に入社した生え抜きである。
(文=八木沢徹)

日刊工業新聞2018年5月18日



梶原洵子
梶原洵子 Kajiwara Junko 編集局第二産業部 記者
進藤・現社長は今年の新春インタビューで、「海外ビジネスが増えるほど、我々は日本発祥の企業であるとの意識を強くし、相手にもそれを分かりやすく説明する必要がある。これらを踏まえると『日本製鉄』以外の商号は考えられなかった」と語っていました。海外ビジネスでは、日本企業であること自体が交渉などをしやすくすると聞きます。誰でもすぐにわかり、訴求力の高い社名だと思います。

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