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幻の航空兵器(上)国産初のジェット戦闘機「橘花」

幻の航空兵器(上)国産初のジェット戦闘機「橘花」

終戦間際に初飛行したジェット戦闘機「橘花」(富士重工業提供)


 当時、まだ自動車と同様の「レシプロ式」が主流だった航空機のエンジン。しかし、基本的にはプロペラを回して前方の空気をそのまま後方に吹き出すだけなので、スピードには限界があった(プロペラの回転速度が音速に達すると衝撃波が発生し、空気抵抗が急に増えてしまう)。当時はこれに加え、燃料事情も悪くなっており、粗悪な燃料でも動かすことのできる高性能なジェットエンジンが求められていた。

 航空機の性能はほとんどエンジンで決まるといっても過言ではない。ドイツやイタリア、英米などは1940年代前後に次々とジェットエンジンの実用化に成功し、なかでもドイツは42年に世界で初めてジェット戦闘機(メッサーシュミットMe262)の飛行に成功していた。日本の陸海軍も、当初は独自にジェットエンジンを開発する方針をとったがいずれも実戦配備には至らず、1944年、軍事同盟を結んでいたドイツからMe262に搭載されていたBMW製のエンジン「BMW003」の図面を取り寄せて開発することになった。

海の藻屑


とはいえ当時のは図面の取り寄せもままならない状態だった。大戦中で鉄道や船を使った物資の輸送は敵の妨害を受ける中、日本とドイツは、開発したばかりの潜水艦を使って軍人や技術資料を運んだ。ただ、戦争末期になると戦局の悪化により、潜水艦も撃沈されることが少なくなかった。
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日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
人も物資もお金も不足する中、日本の技術者はなおも最先端の航空機開発にチャレンジしました。終戦でこうした技術の系譜はいったん途切れてしまいますが、戦前の技術の蓄積は航空機以外の分野、例えば自動車や新幹線に展開されていったようです。

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