放電加工機の歴史を変えたソディック創業者逝く

古川利彦氏、日本のモノづくりを支えた発明者人生

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古川氏は一代で放電加工機の世界大手に育てた(2013年撮影)
 ソディック創業者で取締役名誉会長の古川利彦(ふるかわ・としひこ)氏が6日、病気のため死去した。78歳だった。古川氏は自ら創業したソディックを1代で放電加工機の世界大手に育てあげた。1958年(昭33)に国内初の放電加工機メーカーだったジャパックスの前身、日本放電加工研究所に入社、65年に世界初の電極無消耗回路を開発した。“抜き加工”程度しかできなかった放電加工の領域を飛躍的に拡大させた。

 電源開発とアフターサービスの子会社取締役を務め、サービスの重要性を痛感。76年、経営が悪化した親会社がサービス部門を吸収しようとした際、これに反対して独立し、ソディックを創業した。

 さらに電極の制御が難しく、困難だとみられていた放電加工機の数値制御(NC)化に成功したことで、放電加工機は金型だけでなく、電気・電子、自動車産業などにとって不可欠な機械となった。

 顧客の困り事をじかに見聞きし、解決する経営を重んじた。その結果、祖業の放電加工機をはじめ、射出成形機やマシニングセンター(MC)、リニアモーター、近年では金属3Dプリンターなど事業が拡大した。

 学術と産業界への貢献が認められ、13年に母校の東京電機大学から名誉博士号を授与、15年に旭日小綬章を受章した。

評伝


 放電加工機の開発に生涯をささげた人だった。手がけた製品は放電加工機やリニアモーター、セラミックスなど完成品から部品、素材分野に及ぶ。これほど幅広く、多数の製品を1代で開発・事業化した経営者はそう多くはないだろう。

 多様な開発は「日本には資源がないので、技術開発を怠れば国は滅びる」という故岡崎嘉平太氏の教えが礎となった。全日本空輸(現ANAホールディングス)社長などの要職を務めた岡崎氏は、実父の故古川貞三氏らとジャパックスを創業した経緯があり、古川氏の良き師であった。

 岡崎氏の教えに基づき「お客さまの要望に応える製品を作るためならば、決して苦労をいとわず、課題を克服する」ことを信条とし「一生懸命、努力をすれば、解決の糸口が必ず見いだせる」と部下を指導し、励ました。

 また、製造業の多くは設計や開発部門を重要視し、サービス部門を軽視しがちだが、「サービスこそが1番大事」として、生涯これを貫いた。

 発明人生の後半は、何度か命を脅かされる病との闘いが伴ったが、不屈の精神力で克服。健康になると、好きなゴルフを楽しんだ。6回程ホールインワンを達成したが、自慢することはなく、下手なゴルファーと一緒でも決して傷つけることなく思いやる、優しい人だった。実際、同氏の人柄にひかれ、多くの経営者が集まった。

 古川氏の発明人生を集約すると、世界の放電加工機業界の歴史そのものであったと言えよう。合掌。
(文=石上明男)

日刊工業新聞2018年7月12日

COMMENT

六笠友和
編集局経済部
編集委員

4年前の取材中、古川会長に古いノートを見せてもらったことあります。びっしりと数式が並んだそのノートは、ご自身が学生の時のものでした。新しい気付きや、認識を再確認するため、時折ノートを開いているのだと語っておられました。大きな成功をおさめ、74歳になっても勉強しようとするお姿に、思わず背筋を伸ばしました。 どうぞ安らかにおやすみください。

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