METI
人生100年時代、個人の職業寿命が企業寿命を上回る
企業は“社会人のチカラ”が成長する機会を提供せよ
「人生100年」時代の到来は、学びを通じ常に自身を「アップグレード」することを私たちに迫る。どんな場面や環境下でも能力を発揮し、人生を、そして社会を豊かにする力をいかに養うべきか。新たな「学び」を実践する人、「学び直し」を後押しする人、活躍の場を広げる人―。さまざまな姿からヒントを探る。
それにしても、なぜ経済産業省が「学び」の旗を振るのか。大臣官房参事官で産業人材政策室長の伊藤禎則氏は、日本にとっての「『希少資源』は人材」と指摘。産業政策のテーマが人材戦略に広がってきたからだと語る。施策の裏にある思いとは―。
誤解を恐れず言えば今や、日本にとっての希少資源は資金ではない。圧倒的に人材です。付加価値の源泉が「資本」から「人材」へ移行しているからこそ、文部科学省や厚生労働省など関係省庁とも緊密に連携しながら、政府挙げて人材政策に取り組んでいるのです。
AI(人工知能)をはじめとする第四次産業革命の波や少子高齢化による人口構造の変化に立ち向かい、日本が新たな付加価値を生み出すには、質と量両面での人材確保が喫緊の課題です。
解決策のひとつは「生産性の向上」ですが、効率化や省力化投資だけで、克服することは困難です。やりがいや喜びといった働くことへのモチベーションを伴ってこそ、生産性は高まるのであり、効率化とモチベーションはいわばコインの裏表。異なる二つの要素をつなぎ合わせるカギとなるのが、教育であり人材投資であると考えます。
重要なのは「何を学ぶか」ではなく「学び続ける」ことにあります。技術や社会がめまぐるしいスピードで変化するいま、特定分野に偏った知識やスキルはあっという間に陳腐化してしまいます。
人生100年時代、より長く活躍し続けるには、賞味期限の短い「スキル」だけではなく、どんな組織や企業においても通用する力、すなわち社会人としての基礎力を、見つめ直し磨き上げることが肝要です。「人生100年時代の社会人基礎力」とは、すなわち「人材としてのOS」。これを常にアップグレードしていく必要があります。
世界的ベストセラー「ライフ・シフト」で、著者のリンダ・グラットン英ロンドン・ビジネススクール教授は「教育→仕事→引退」という単線型のライフスタイルを複線型に改める意義を説いています。学びは学校を卒業したら終わりではなく、「学ぶ」と「働く」がより一体化していくのがこれからの社会。与えられた仕事をこなすだけでなく、自ら積極的にさまざまな世界に飛び出し、異なる価値観を持つ人たちと触れ合い、視野を広げることが、社会的な感度を高め、キャリアの複層化につながるのでないでしょうか。
2017年に経産省の若手職員がまとめたリポートでは、かつてのキャリア感を「昭和すごろく」と表現しました。これに対し、これからのキャリア観は、決められたレールの上を着実に進み、定年と同時に「上がり」を迎える「すごろく」ではない。さまざまな世界に飛び出し、先々で自分の「切り札」を手に入れる、いわば「ポケモンGO」のような世界がイメージされます。
その際、問われるのは、スキルや資格を単に「収集」するのではなく、自身の「強み」を補強する、あるいは幅を持たせるような能力を戦略的に身につける姿勢です。
働き方改革、1億総活躍社会、さらには人生100年時代―。さまざまなキーワードが叫ばれるなか、企業側に戸惑いがあることは承知しています。従業員の自由な学びや経験を後押したところで、「いずれ辞めてしまうのではないか」「本業に結びつかない」といった声があるのは事実です。
しかし、考えてほしいのです。日本にとって人手不足は、当面の問題ではなく長期的に続く構造変化です。人材投資に躊躇する企業は間違いなく市場からの退出を迫られる。こうした中でイノベーションを創出し、グローバル競争を勝ち抜いていく上で、人材戦略の巧拙は、経営戦略そのものです。その重要性を再認識し、喫緊の課題として取り組んでほしい。
企業寿命30年説を前提にすれば、人生100年時代では、明らかに個人の職業寿命が企業寿命を上回る。ひとつの企業に勤め上げて終わりではない時代には、企業の社会的役割も変わってくるでしょう。経産省の「人材力研究会」で議論されたように、従業員の「雇用保障」から「能力開発」の色彩が強まってくる。人材の流動化がさらに進めば、能力開発どころか「成長の機会を提供すること」が重要で、その下でどれぐらい投資を回収できるかが精一杯かもしれません。
働く側からすれば、「自分をいかに成長させてくれるか」との視点でより厳しく企業を選別する。だからこそ、これまでの「会社と従業員」の延長線ではない、新たな「関係性」をどう構築するかが問われているのです。
それにしても、なぜ経済産業省が「学び」の旗を振るのか。大臣官房参事官で産業人材政策室長の伊藤禎則氏は、日本にとっての「『希少資源』は人材」と指摘。産業政策のテーマが人材戦略に広がってきたからだと語る。施策の裏にある思いとは―。
【経産省産業人材政策室参事官が語る】
誤解を恐れず言えば今や、日本にとっての希少資源は資金ではない。圧倒的に人材です。付加価値の源泉が「資本」から「人材」へ移行しているからこそ、文部科学省や厚生労働省など関係省庁とも緊密に連携しながら、政府挙げて人材政策に取り組んでいるのです。
AI(人工知能)をはじめとする第四次産業革命の波や少子高齢化による人口構造の変化に立ち向かい、日本が新たな付加価値を生み出すには、質と量両面での人材確保が喫緊の課題です。
解決策のひとつは「生産性の向上」ですが、効率化や省力化投資だけで、克服することは困難です。やりがいや喜びといった働くことへのモチベーションを伴ってこそ、生産性は高まるのであり、効率化とモチベーションはいわばコインの裏表。異なる二つの要素をつなぎ合わせるカギとなるのが、教育であり人材投資であると考えます。
陳腐化しない能力を
重要なのは「何を学ぶか」ではなく「学び続ける」ことにあります。技術や社会がめまぐるしいスピードで変化するいま、特定分野に偏った知識やスキルはあっという間に陳腐化してしまいます。
人生100年時代、より長く活躍し続けるには、賞味期限の短い「スキル」だけではなく、どんな組織や企業においても通用する力、すなわち社会人としての基礎力を、見つめ直し磨き上げることが肝要です。「人生100年時代の社会人基礎力」とは、すなわち「人材としてのOS」。これを常にアップグレードしていく必要があります。
すごろくからポケモンGOへ
世界的ベストセラー「ライフ・シフト」で、著者のリンダ・グラットン英ロンドン・ビジネススクール教授は「教育→仕事→引退」という単線型のライフスタイルを複線型に改める意義を説いています。学びは学校を卒業したら終わりではなく、「学ぶ」と「働く」がより一体化していくのがこれからの社会。与えられた仕事をこなすだけでなく、自ら積極的にさまざまな世界に飛び出し、異なる価値観を持つ人たちと触れ合い、視野を広げることが、社会的な感度を高め、キャリアの複層化につながるのでないでしょうか。
2017年に経産省の若手職員がまとめたリポートでは、かつてのキャリア感を「昭和すごろく」と表現しました。これに対し、これからのキャリア観は、決められたレールの上を着実に進み、定年と同時に「上がり」を迎える「すごろく」ではない。さまざまな世界に飛び出し、先々で自分の「切り札」を手に入れる、いわば「ポケモンGO」のような世界がイメージされます。
その際、問われるのは、スキルや資格を単に「収集」するのではなく、自身の「強み」を補強する、あるいは幅を持たせるような能力を戦略的に身につける姿勢です。
働き方改革、1億総活躍社会、さらには人生100年時代―。さまざまなキーワードが叫ばれるなか、企業側に戸惑いがあることは承知しています。従業員の自由な学びや経験を後押したところで、「いずれ辞めてしまうのではないか」「本業に結びつかない」といった声があるのは事実です。
しかし、考えてほしいのです。日本にとって人手不足は、当面の問題ではなく長期的に続く構造変化です。人材投資に躊躇する企業は間違いなく市場からの退出を迫られる。こうした中でイノベーションを創出し、グローバル競争を勝ち抜いていく上で、人材戦略の巧拙は、経営戦略そのものです。その重要性を再認識し、喫緊の課題として取り組んでほしい。
変わる企業の役割
企業寿命30年説を前提にすれば、人生100年時代では、明らかに個人の職業寿命が企業寿命を上回る。ひとつの企業に勤め上げて終わりではない時代には、企業の社会的役割も変わってくるでしょう。経産省の「人材力研究会」で議論されたように、従業員の「雇用保障」から「能力開発」の色彩が強まってくる。人材の流動化がさらに進めば、能力開発どころか「成長の機会を提供すること」が重要で、その下でどれぐらい投資を回収できるかが精一杯かもしれません。
働く側からすれば、「自分をいかに成長させてくれるか」との視点でより厳しく企業を選別する。だからこそ、これまでの「会社と従業員」の延長線ではない、新たな「関係性」をどう構築するかが問われているのです。