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日本の医学研究で欠けている“重なり合い"

専門特化された治療法が独善的にならず、「全人的医療」の追求を
 医学は日進月歩である。一瞬にして従来の診断・治療体系が変わる。医療における専門性の追求は絶対的に重要である。日々、深掘りしていかねばその専門性は担保できない。一方、専門領域を超える統合された医療の強化も常に求められている。

 人体は臓器別に神経系、循環器系、消化器系、内分泌系、呼吸器系、腎臓系、免疫系、血液系、筋肉骨格器系、皮膚科系、産科・生殖器系などと大まかな分類がなされ、さらに感染症系、悪性新生物系などが加わり細分化されていく。

 基本的にはそれらの機能の背景は、実は相互に深く絡み合っている。年齢による分類で、小児、成人、老年と分けられ、さらにプラクティカルにも外科的な治療、内科的な治療、放射線学的な治療、精神医学的な治療と分類される。

 また、基礎医学的にも、ゲノムを考え、解剖学、生理学、生化学、病理学と分かれる。

 これまでの医療は、専門性を主体として時に閉鎖的に育まれてきた。個々の医療や携わる医師の進化はもちろん目覚ましいものがあるが、近年、患者の立場から見ると統合された医療からは少し距離を感じる。

 理想的な医療とは、個々の患者の状態を全人的に診断し、その医療は統合された診断により戦略的になされるべきであり、専門特化された治療法が独善的に独り歩きしてなされるべきではない。

 医学に限らず、研究というものはできるだけ単純化されぜい肉をそぐような方法で本質の発見がなされてきた。しかし、現実には縦割りの研究のみでは人体の総合的な機能を評価することは困難である。

 多臓器、多系統にわたる疾患の総合的な評価は、単純化された仕組みでは困難であるため、統合的な研究手法を行うことが必要である。

 つまり、多次元の医学を念頭に医学の統合を行い、常に患者目線での合理的な医療を目指して工夫していくことが新たな発見や発明につながるものとして期待される。つまり「全人的医療」の追求である。

 全人的医療の追求を行うために、専門領域間やその重なり合った部分の研究をあえて取り上げて研究していくべきである。私は、今日の日本の医学研究ではこの努力がいまひとつ欠けているような気がする。

 このような総合的な医療が今後は重要であり、より人類の新しい医療を創造する手段・方法と考える。

 日本の科学力は、ノーベル賞の受賞数の多さが示すとおり、独創性においても、またその層の厚さからも、非常に高い水準にあり、優れた能力のある人材が日本にはあふれている。

世界の最高水準に達している


 最近の創薬における新有効成分の発明・発見は、世界でも米国に次ぐほどの実力であり、医療機器においても、内視鏡技術の先進性は右に出るものはないと思われる状況である。

 日本の医学は長い間、先進国である欧米の医学を目指してその手法を学び、発展してきたが、現在は世界の最高水準に達している。これからは、我々は自信を持って前例のない世界に向かってその能力を展開していかなければならない。

 米国は“Precision Medicine(プレシジョン・メディシン=精密医療)”という旗を掲げ、ゲノムなどのより厳密な診断や根拠に基づく医療の研究開発を唱えているが、これは誠に素晴らしい理念である。

 医薬品医療機器総合機構(PMDA)も、昨年2月より、“Rational Medicine”Initiative―「合理的な医療」を目指して―という旗を掲げた。

 これは、絶対的価値観に基づいて今後の医療のあるべき理想を目指し、多角的に多くの英知を集合して個々の人間にとって誕生から生涯を通じて最もふさわしい医療技術を患者に提供するための創造を目指すものである。

 あらためて申し上げるが、日本の医学は、従来の専門的な医学とともにそれらを統合する医学研究を一層強化していかなければならない。目指すべきは、診療科を超えた「高度専門・総合医療の推進」である。
(文=近藤達也・医薬品医療機器総合機構理事長)
【略歴】こんどう・たつや 68年(昭43)東大医卒。69年同大脳神経外科入局。78年国立病院医療センター脳神経外科。同センター病院長などを歴任。悪性脳腫瘍に対する術前照射・根治的摘出療法の開発などの研究に携わる。08年から現職。75歳。
日刊工業新聞2018年2月19日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
病院運営でも「専門職」の医師や看護師たちが増え、弊害になりつつあるといわれている。

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