ノーベル生理学・医学賞受賞の大隅氏「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する」
どうなる日本の科学(9)東工大栄誉教授・大隅良典氏
**日本のイノベーション政策の中に科学はない
ー科学にも実用志向が求められるようになりました。生命科学は薬剤設計に反映しやすく、基礎と応用が両立しやすい分野です。
「生物学が医学に従属してしまった。医学に役に立たない生物学は存在しないことになっている。生物学は動物を扱う学問と思っている学生は多く、その学生にとっては植物を扱う研究は生物学に位置づけられていない。日本の教育の偏った部分なのだろう」
「科学にとってサポーターの存在は重要だ。天文学はとても多くのファンがいる。宇宙に憧れ、宇宙やその成り立ち、基礎物理を知りたいという思いが研究を支えている。そして人間は生き物であり、自分の存在を知りたいと願う人は多いはずだ。なぜ生物が生きているのか、その成り立ちやメカニズムに迫る研究は多くの人が興味を持つ。本来、生物学はものすごい数のファンがいて良いはずだ」
「一方で、人間に結びつかない生物学を意味のない研究と考える人が研究者の中にもいる。好奇心に応えることだけでなく、科学の波及効果に対して長年『役に立つ』ことを求められてきた弊害が現れている。理学部はすぐには役に立たないことをやるから存在意義があったが、いまは学生から『役に立たないことをやっていていいのか』と問われる。科学が育たない状況が生まれている」
ー応用研究の先生が基礎科学に取り組む例は多く、実学の中の基礎研究としての科学もあります。
「工学の研究者も、かなりの人が気が付いている。科学技術の製品応用だけを研究していてもモノにはならないため、基礎に立ち返る先生もいる。ただ組織が対応できていない」
「例えば企業で一年ごとにプロジェクトを入れ替えていては研究者の力を引き出せない。毎年テーマを換えたから成功したという成功談があるだろうか。研究者を浪費していては、新しいものも生まれない。10年先を見据えた研究が減り、企業の研究力が低下している」
「M&Aでベンチャーを買収しても、その技術を使う時に日本人研究者の基礎力が問われる。同じ科学技術立国を目指していても日本とドイツは違い、日本のイノベーション政策の中には科学はない。科学技術といっても、技術の基礎としての科学、役に立つ科学から抜け出せていない」
ー科学の基盤を充実させるためノーベル賞の賞金などを基に8月に財団を立ち上げました。一般から寄付金を集めます。大きな資金を動かすには国などと連携が必要では。
「投資家や国のファンディング機関などと一緒に仕事をする提案はいくつも頂いた。身動きがとれなくなるかもしれないと思い、お断りした。小さくても新しい仕組みを作りたい。何兆円は動かせないが、ひな型を作りたい。扱う資金が増えても投資効率を求めて集中投資すると、現在大学を貧困にしている最大要因と同じになってしまう」
ー寄付金は集まりますか。
「小さな金額を多くの人から集めたい。幸い賛同者は多い。毎月1000円を寄付してくれる方や100万、200万円を寄付してくれる方もいる。何十万人の人に少しずつ協力してもらうことが重要だ。一方で、ごく少数ではあるが数千万や億単位の寄付を頂くこともある。こうした寄付が活動のベースとなっている。金額よりも多くの人に支えられる財団でありたい」
ー人が増えるとエキセントリックな方に成果が乏しいと糾弾されるリスクが増えます。国の投資機関と組んだ方が運営は楽では。
「その点も議論してきた。その上で財団を市民と科学の接点として機能させたい。実験教室や研究室訪問に日々対応すると、小さな研究室は研究ができなくなる。寄付を通して科学に関わり、市民にとって科学を身近なものにしたい。効率だけを求め、それに反する人を攻撃するような社会から脱却するきっかけになれればと思っている」
ー研究者が論文数や被引用数で評価される環境で研究者は科学に取り組めますか。
「若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。自分の軸を持てないと研究者が客観指標に依存することになる。だが論文数などで新しい研究を評価できる訳ではない」
「例えば一流とされる科学雑誌もつづまる所、週刊誌の一つだ。センセーショナルな記事を好み、結果として間違った論文も多く掲載される。彼らにとって我々がオートファジーやその関連遺伝子『ATG』のメカニズムを研究していることは当たり前だ。その機構を一つ一つ解明するよりも、ATGが他の生命現象に関与していたり、ATGの関与しないオートファジーがあるという研究の方が驚きをもって紹介される。研究者にとってインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまえばそれはもう科学ではないだろう」
ー現在の客観指標は評価方法としては不完全ですが、専門外の研究を評価できる研究者は多くないのでは。
「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する。日本の研究者は日々忙しく異分野の論文を読み込む余裕を失っている面もある。だが異分野の研究を評価する能力が低くては、他の研究を追い掛けることはできても、新しい分野を拓いていけるだろうか。研究者は科学全体を見渡す能力を培わないとダメになる」
「例えば地方大学で若手を公募すると100人、200人の応募がある。とても一人一人を審査しきれず、有名雑誌に掲載され論文数の多い人から選ばれることになる。だが東大や京大の大きな研究室で研究ができても、地方大の資金繰りの厳しい環境で知恵を絞る研究に向かない。2-3年、研究予算を確保できずに科学を諦める人もいる。そして予算申請に何年も『役に立つ』と作文を続けていると、その気になっていく。これを一概にけしからんとはいえない」
ー「面白い」と「役に立つ」など、社会が科学に求める内容が変ったといえませんか。
「科学として面白い研究を役に立つと変換して報道されることもことも多い。面白い研究は面白いと書いた方が意味がある。メディアが読者や社会を軽んじているのではないか。これに助長され『役に立つ』とこじつけた研究や論文が増え、何年も継続して若い世代の視野を狭めている。若手が縮こまれば日本の将来はないだろう」
ー若手へのメッセージを。
「自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない」
「本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある」
「我々は財団と市民参画を通じて実現したい。私はノーベル賞を受賞の前後で研究者としての環境や評価は何も変わらない。受賞後、科学の窮状を説明し、市民と科学を近づける財団の活動に多くの賛同を頂いた。これは大きな励みであり、同時に本当に重いプレッシャーになっている」
(聞き手=小寺貴之)
ー科学にも実用志向が求められるようになりました。生命科学は薬剤設計に反映しやすく、基礎と応用が両立しやすい分野です。
「生物学が医学に従属してしまった。医学に役に立たない生物学は存在しないことになっている。生物学は動物を扱う学問と思っている学生は多く、その学生にとっては植物を扱う研究は生物学に位置づけられていない。日本の教育の偏った部分なのだろう」
「科学にとってサポーターの存在は重要だ。天文学はとても多くのファンがいる。宇宙に憧れ、宇宙やその成り立ち、基礎物理を知りたいという思いが研究を支えている。そして人間は生き物であり、自分の存在を知りたいと願う人は多いはずだ。なぜ生物が生きているのか、その成り立ちやメカニズムに迫る研究は多くの人が興味を持つ。本来、生物学はものすごい数のファンがいて良いはずだ」
「一方で、人間に結びつかない生物学を意味のない研究と考える人が研究者の中にもいる。好奇心に応えることだけでなく、科学の波及効果に対して長年『役に立つ』ことを求められてきた弊害が現れている。理学部はすぐには役に立たないことをやるから存在意義があったが、いまは学生から『役に立たないことをやっていていいのか』と問われる。科学が育たない状況が生まれている」
ー応用研究の先生が基礎科学に取り組む例は多く、実学の中の基礎研究としての科学もあります。
「工学の研究者も、かなりの人が気が付いている。科学技術の製品応用だけを研究していてもモノにはならないため、基礎に立ち返る先生もいる。ただ組織が対応できていない」
「例えば企業で一年ごとにプロジェクトを入れ替えていては研究者の力を引き出せない。毎年テーマを換えたから成功したという成功談があるだろうか。研究者を浪費していては、新しいものも生まれない。10年先を見据えた研究が減り、企業の研究力が低下している」
「M&Aでベンチャーを買収しても、その技術を使う時に日本人研究者の基礎力が問われる。同じ科学技術立国を目指していても日本とドイツは違い、日本のイノベーション政策の中には科学はない。科学技術といっても、技術の基礎としての科学、役に立つ科学から抜け出せていない」
ー科学の基盤を充実させるためノーベル賞の賞金などを基に8月に財団を立ち上げました。一般から寄付金を集めます。大きな資金を動かすには国などと連携が必要では。
「投資家や国のファンディング機関などと一緒に仕事をする提案はいくつも頂いた。身動きがとれなくなるかもしれないと思い、お断りした。小さくても新しい仕組みを作りたい。何兆円は動かせないが、ひな型を作りたい。扱う資金が増えても投資効率を求めて集中投資すると、現在大学を貧困にしている最大要因と同じになってしまう」
ー寄付金は集まりますか。
「小さな金額を多くの人から集めたい。幸い賛同者は多い。毎月1000円を寄付してくれる方や100万、200万円を寄付してくれる方もいる。何十万人の人に少しずつ協力してもらうことが重要だ。一方で、ごく少数ではあるが数千万や億単位の寄付を頂くこともある。こうした寄付が活動のベースとなっている。金額よりも多くの人に支えられる財団でありたい」
科学雑誌も“週刊誌”の一つ
ー人が増えるとエキセントリックな方に成果が乏しいと糾弾されるリスクが増えます。国の投資機関と組んだ方が運営は楽では。
「その点も議論してきた。その上で財団を市民と科学の接点として機能させたい。実験教室や研究室訪問に日々対応すると、小さな研究室は研究ができなくなる。寄付を通して科学に関わり、市民にとって科学を身近なものにしたい。効率だけを求め、それに反する人を攻撃するような社会から脱却するきっかけになれればと思っている」
ー研究者が論文数や被引用数で評価される環境で研究者は科学に取り組めますか。
「若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。自分の軸を持てないと研究者が客観指標に依存することになる。だが論文数などで新しい研究を評価できる訳ではない」
「例えば一流とされる科学雑誌もつづまる所、週刊誌の一つだ。センセーショナルな記事を好み、結果として間違った論文も多く掲載される。彼らにとって我々がオートファジーやその関連遺伝子『ATG』のメカニズムを研究していることは当たり前だ。その機構を一つ一つ解明するよりも、ATGが他の生命現象に関与していたり、ATGの関与しないオートファジーがあるという研究の方が驚きをもって紹介される。研究者にとってインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまえばそれはもう科学ではないだろう」
ー現在の客観指標は評価方法としては不完全ですが、専門外の研究を評価できる研究者は多くないのでは。
「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する。日本の研究者は日々忙しく異分野の論文を読み込む余裕を失っている面もある。だが異分野の研究を評価する能力が低くては、他の研究を追い掛けることはできても、新しい分野を拓いていけるだろうか。研究者は科学全体を見渡す能力を培わないとダメになる」
「例えば地方大学で若手を公募すると100人、200人の応募がある。とても一人一人を審査しきれず、有名雑誌に掲載され論文数の多い人から選ばれることになる。だが東大や京大の大きな研究室で研究ができても、地方大の資金繰りの厳しい環境で知恵を絞る研究に向かない。2-3年、研究予算を確保できずに科学を諦める人もいる。そして予算申請に何年も『役に立つ』と作文を続けていると、その気になっていく。これを一概にけしからんとはいえない」
若手が縮こまれば日本の将来はない
ー「面白い」と「役に立つ」など、社会が科学に求める内容が変ったといえませんか。
「科学として面白い研究を役に立つと変換して報道されることもことも多い。面白い研究は面白いと書いた方が意味がある。メディアが読者や社会を軽んじているのではないか。これに助長され『役に立つ』とこじつけた研究や論文が増え、何年も継続して若い世代の視野を狭めている。若手が縮こまれば日本の将来はないだろう」
ー若手へのメッセージを。
「自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない」
「本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある」
「我々は財団と市民参画を通じて実現したい。私はノーベル賞を受賞の前後で研究者としての環境や評価は何も変わらない。受賞後、科学の窮状を説明し、市民と科学を近づける財団の活動に多くの賛同を頂いた。これは大きな励みであり、同時に本当に重いプレッシャーになっている」
(聞き手=小寺貴之)
日刊工業新聞2017年12月27日の記事に加筆