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自分が考えたのか、AIが考えたのか区別できなくなる時代が来る?

大阪大学・石黒浩教授インタビュー


自分が機械化すること


 ―石黒先生は自身のアンドロイドを開発し、各地で講演活動も行っています。自分がアンドロイドになるとはどういうことなのでしょうか。
 「いろいろな所へ行って講演しているが、単純に経験が2倍になる。アンドロイドが講演すると、参加者からメールをもらう。そうすると後付けで、講演したんだな、と思え自分の経験になる。講演費は研究への寄付という形でもらうが、自分が講演に行くより高いときもあるくらい」

 ―スカイプやテレビ電話で講演することもできますが、アンドロイドが講演することとの違いは。
 「全然違う。存在感があり、アンドロイドがしゃべるということで、周囲も人間がいることと同じ感覚になる」

 ―身体が機械化されていっても、身体が持つ「存在感」というのは消えないんですね。
 「周りが身体にしばられている限りは消えないだろう。だがパラリンピックなどを見ていると変わってきていることを感じる。陸上競技などでは、義足の選手の方がオリンピックより良いタイムを出すようになってきている。これからそういう競技が増えるかもしれないし、そうなるとものすごく世界観が変わるのではないだろうか。ただ全員が機械の体になり、全員がオリンピックで金メダルを取れるようになれば意味はなくなる。まだ人間が身体性にとらわれている段階では“機械の身体”は意味を持つだろう」

ロボットは生命性を持つか


 ―最近では新たなコンセプトのロボットを開発されました。
 「『機械人間オルタ』は今までとは違うコンセプトをもとに作ったロボット。人工生命のプログラムと機械制御で、機械でも生命性を持つことができるかという実験となっている」
機械人間オルタ

 ―ここでいう「生命性」とは何でしょうか。
 「例えばロボットとハムスターがいるとする。ハムスターの首をちょんと切るのは嫌だなと思うが、ロボットの首を切ってもハムスターの時と同じくらい嫌とは感じないだろう。僕らの目標は、ロボットはハムスターと同じくらいの生命性に近づくか、ということ。本にも書いたが、『食べられるロボット』も開発中だ。“新鮮でおいしい"というものと、“生々しくて気持ち悪い、食べられない"というものの境界は何なのかを調べようとしている」

 ―ロボットやAIの文脈で、「人間とは何か」という哲学的な問題が語られることが増えてきたように思います。
 「研究にはボーダーがないので、新しいコンセプトを考える必要のある“研究者”としては哲学などより根本的な問題を考えていく必要がある。ロボットやAIの研究者や学生たちの意識も変わってきていると思う。世界中から講演に呼ばれることが増えているのもその理由の1つだろうね」
(聞き手:ニュースイッチ編集部 昆梓紗)

『人間とロボットの法則』
(石黒浩 著、日刊工業新聞社)
 
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昆梓紗
昆梓紗 Kon Azusa デジタルメディア局DX編集部 記者
本では、ロボットのことだけでなく人間がどう世界を見ているか、社会と接しているかが簡潔に書かれています。ちなみに石黒先生が一番新しいことを思いついたり思考がぴたっと整理されるのはお風呂上りに髪を乾かしている時。「だから髪は大事にしている」とのことでした。

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