「ばえる」「恋愛」の語釈やコラボ商品に見る、辞書に携わる人々の時代との向き合い方

定番商品のつくり方、育て方 #5 ~三省堂「新明解国語辞典」「三省堂国語辞典」~

 三省堂の「三省堂国語辞典」は1960年に、「新明解国語辞典」は1972年に誕生しました。「三省堂国語辞典」は、豊富な語を簡潔でやさしく説明する点に、「新明解国語辞典」は言葉を深く捉えた語釈にそれぞれの特徴があります。  今回、辞書出版部部長の山本康一さん、販売部部長の林治信さん、販売部販売宣伝課長の佐藤洋一さんに、語釈の面白さで度々話題になる「新明解国語辞典」の編集方針や「三省堂国語辞典」がプロ野球チームとコラボした背景、辞書の面白さを広める「今年の新語」という取り組み、今後の辞書のあり方などについて聞きました。(聞き手・平川透、写真・森住貴弘) 「定番商品」が定番たる所以は何でしょうか?類似の商品やサービスがある中で、「その商品」が選び続けられるために、つくり手は何を考え、何を大事にしているのでしょうか。 このシリーズは、主に商品開発やマーケティングの観点から、様々なジャンルの定番商品に携わる方にお話を聞き、「多くの人に長く愛される」ものづくりのヒントをお届けします。 —辞書編集者は普段どのような仕事をしているのですか? 山本さん:常に、世の中の言葉がどういう動きを見せているのかの観察が必要です。新聞、テレビ、インターネットなどの言葉の観察と用例採集を日常的に行いながら日々を過ごしています。  ある時期が来ると辞書の改訂の準備が始まります。我々編集部だけで辞書はできるわけではなくて、辞書の箱に名前が挙がっている編集委員の先生方が中心に動いていきます。編集会議を開いて、「次の改訂はどういう方針でいきましょうか」「新しい工夫をどういう風に盛り込みましょうか」などと方針を考えていきます。ある程度方針が固まったら編集作業に入ります。紙面の見本組を作成し、ゲラを出し、新しい語の追加、削除をしながら内容のブラッシュアップを行います。内容が固まったら校了を迎え、次の版が出ます。 —第七版から7年が経ちました。「新明解国語辞典」の改訂の周期を見ると、8年前後です。そろそろ出るのでしょうか?  かなり編集は進んできています。いつ出すかということはまだはっきりしていませんが。 —次の版に新しく取り入れるアイデアや方針はありますか?  なくはないですが、それはちょっと…(笑)ただ、「新明解国語辞典」は言葉に関する語釈がメインの辞書ですし、そこは揺らぎないところですから、そこを中心に世の中の言葉をしっかりと見つめて新しい版として結実させたいと思います。 —「三省堂国語辞典」は阪神やカープなどプロ野球チームとコラボしています。きっかけを教えてください。 林さん:営業発で始まった企画です。全国展開できるもので、普段あまり辞書を使わない人も思わず手に取りたくなる商品を模索する中で、プロ野球チームとコラボするということを考えました。チームのファンに辞書を通して楽しんでいただき、もちろん使うための辞書としても安心していただけるという商品を作ろうということで始まりました。 —どのような反応がありましたか? 佐藤さん:「ファンの友達のために辞書を4冊買いました」「辞書なんか学生の頃に買って30年以上買い換えていなかったけど、この機会に買い換えた」(60代の方が、)「最後の辞書だと思って買いました」といった声をいただきました。 —自社の辞典が選ばれるためにどのようなことをしていますか?書店に行けばたくさんの種類の国語辞典が並んでいます。また、多くの人は国語辞典の内容の違いについてあまり気にしていないのではないかと思います。 佐藤さん:「内容の違いを楽しんでいただきたい」ということで、2015年から毎年年末に「今年の新語」という企画をやっています。辞書を編む人の視点で、その年に話題になった言葉のベストテンを決めて、三省堂から刊行する4種類の辞書の語釈を発表しております。  去年であれば「ばえる(映える)」「VTuber」などです。語釈の書き方の違いを見るとそれぞれの辞書の性格を知っていただけます。 —「新明解の語釈が面白い」とインターネットなどでしばしば話題になります。例えば「恋愛」の語釈が話題になりました。そこで、「恋愛」に意味やカテゴリーが近そうな言葉の語釈も面白いのかなと気になり、「惚れる」「告白」「愛」を引いてみました。  主観的で恐縮ですが、率直に申し上げますと、「恋愛」とそれ以外の語では語釈に温度差があるなという印象を受けました。「恋愛」ほど語釈に力が入っていないと言いますか。こういった違いはどうして出てくるのでしょうか? 山本さん:一番の理由は、第一版から第四版まで主幹を務められた山田忠雄先生の「どこまで語を追求するのか」の姿勢にあると思われます。山田先生は言葉を無味淡白に平均的に並べるのではなくて、もう少し社会に響くような形で解説しなくてはいけないのではないかと考えておられました。  言葉の表面的な意味を探るだけではなくて、社会的な捉えられ方、もっと言えば一種の社会批評みたいなことも含めて捉えなければならないというお考えです。時には「言葉の説明」を超えて、その時の社会情勢とか人々の関心の集まりであるとか、あるいは山田先生個人のお考えも出てくるわけです。  それが非常に鋭い意見になる時もあれば、行き過ぎたりバランスを崩したりする場合もありますが、それが「新明解国語辞典」の個性の一つであると思います。辞書に個性はいらないというご意見ももちろんありますし、バランスのとれたものであるべきで、整合性もある程度は必要だとは思いますが。  山田先生は辞書の編纂者であると同時に、古辞書の研究や「今昔物語」など古典の研究においても優れた業績のある国語学者で、歴史も含めて広く言葉を観察し続けてこられた方なので、そういう興味関心、経験、知識からくる先生の深い造詣や意見があったのだろうと思います。 —辞書編集者ならではの職業病ってありますか? 山本さん:やっぱり色々な言葉が気になるということでしょうかね。常に言葉の観察はしています。メモはスマホで全部やっています。例えば、新聞記事をマーキングして写真を撮ってメモ帳に貼り付けています。 —最近メモした言葉には何がありますか?  例えば一見すれば新しい言葉ではない「ざわつく」。「ネットがざわつく」というフレーズがあるじゃないですか。非常によく使われるようになってきました。「熱量」もよく使われるようになってきています。辞書には当然載っていますが、いわゆる物理学の用語としてです。最近は「情熱の量」という新しい意味で使われるようになっていますよね。 —これからの辞書のあり方についてのお考えを教えてください。 山本さん:言葉の変化がはやく起こるようになってきています。歴史的に見ても、どういうところから変化が起こるのかと言うと、話し言葉や会話の中で、色々なバリエーションが生まれ、それが普及していくことによって旧来の意味と違う、あるいは比喩的に拡大した意味で使われるようになります。その変化の伝わり方、あるいは広がり方がはやくなってきました。  昔は変化が落ち着いたところを捉えていたのですが、今は変化のあり方自体を捉えていかないといけないのではないかと思われます。これまでの編集方針のように、「(ある言葉が)今すごく流行っているけれども、すぐに使われなくなるから、辞書に載せるかどうかは様子を見て、7、8年サイクルで考えればよい」と待っていたら、どんな言葉も載らなくなってしまいかねません。従来のやり方ではなくて、今使われている言葉を敏感に掴み取って、それなりにきちんと反映させていく。反映させていくだけではなくて、本来の使われ方と比べてどういう位置にあるのか、どういう評価がされるのかといったことを説明していくことを問われるのではないかと思います。  そういう意味では、紙と電子媒体の両方に軸足を置かないといけません。電子媒体は、新しい変化をすぐに反映させ、逆に紙は時々の変化をきちんと切り取って捉えていくという、「電子媒体と紙」両面で言葉を捉えることが新しい取り組みとしてやっていけるのではないかと思います。 【略歴】 山本康一(やまもと・こういち) 1993年入社、『大辞林』『三省堂例解小学国語辞典』『新明解類語辞典』『必携用字用語辞典』等の辞書の編集、および辞書のデータベース化ほか電子関連業務にも携わる。 林 治信(はやし・はるのぶ) 1991年入社、営業部にて名古屋、中部地区を担当の後、販売部へ。販売会社(書籍の卸会社)及び書店営業に携わる。 佐藤洋一(さとう・よういち) 2002年入社、営業部、販売部を経て、17年より現職。現在、主に宣伝・プロモーション業務に携わる。 連載「定番商品のつくり方、育て方」 #1 #2 #3 #4 3月18日午前6時公開 #5 #6 コンバース「オールスター」【近日公開予定】 #7 ハウス食品「うまかっちゃん」「バーモントカレー」【近日公開予定】 #8 *掲載順は公開順ではありませんので、ご了承ください。

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