トヨタから新興ゼロボードに転職、キャリアで目覚めた新たな目標
小野泰司さんは2022年7月、トヨタ自動車から設立1年目だったゼロボード(東京都港区)に転職した。巨大製造業から、企業の温室効果ガス排出量算定を支援する新しいビジネスへの転身だ。トヨタでのキャリアで、新たな目標に目覚めたためだ。
小野さんのトヨタ入社は2005年。スポーツカー「トヨタ86」の企画などを担当して順風だった14年春、転機が訪れた。大型連休前、上司から労働組合専従への異動を告げられた。「異動先の選択肢になかった」と頭が真っ白になった。
組合活動に強い関心があったわけでもない。しかし、「組合員のためにパフォーマンスを発揮しないと背信になる」と気持ちを切り替えた。組合の副執行委員長として経営陣とカーボンニュートラル(温室効果ガス排出量実質ゼロ)について議論すると「欧州メーカーは電気自動車へのゲームチェンジをしかけてきた。雇用の問題であり、日本のモノづくりを守らないといけない」と、熱い思いがこみ上げてきた。
21年に職場復帰すると豊田章男社長(当時)のトップサポート渉外チームに配属された。政府や業界団体との交渉が増えた。国益のために働く経済産業省の若手官僚にも感化され、闘争心が高まった。そして40歳となった節目、「トヨタの看板なしで勝負したい。脱炭素の取り組みは全産業で必要であり、雇用を守ることにもつながる」と意志を固めた。
周囲の反対があったが、ゼロボードの“30番目”の社員として入社した。いま、営業本部長となって約170人の社員の命運を握る。「大切なのは一人ひとりが能力を発揮し、幸せに働けるかどうか。組織の大きさが違っても根本的には変わらない」と、組合時代の責任感をのぞかせる。
ほかにもトヨタ時代の経験が大きな財産だ。「豊田社長(当時)は『対立軸を作ってはならぬ』と言われた。いま、その言葉の意味を痛感している」と語る。脱炭素は全世界共通の目標であり、競争相手を冷静に見定める。そして、日本のモノづくりと雇用を守るため「もっと果たす役割がある」と自身を鼓舞する。(随時掲載)
【略歴】おの・たいじ 2005年トヨタ自動車入社、22年ゼロボード入社。42歳。モットーは「今という瞬間、瞬間を全力で生きる」、好きな言葉は「産業報国」。