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【ペロブスカイト太陽電池誕生】after story 5 リコーの〝旗〟

宇宙航空研究開発機構(JAXA)が立ち上げた、将来の宇宙利用を目的にしつつ、地上での事業化を目指して大学や企業と共同研究するプロジェクト「宇宙探査イノベーションハブ」。桐蔭横浜大学の宮坂力の誘いを受けたリコーは、2017年からその枠組みでペロブスカイト太陽電池について共同研究をしていた。一方、同社は19年に色素増感太陽電池の事業化に成功し、次に事業化を目指す創エネ領域のテーマとしてペロブスカイト太陽電池に照準を絞る。そこで、宇宙探査イノベーションハブでの新たな提案をテコに研究開発を加速させる。(敬称略)

『フレキシブルガラスを用いたRoll to Roll All-Inkjet塗布型 高耐久ペロブスカイト太陽電池シートの創出』―。JAXAの「宇宙探査イノベーションハブ」第8回公募(RFP8)で22年秋に採択を受けたこのプロジェクトは、リコー先端技術研究所IDPS研究センターの田中裕二が立てた〝旗〟だった。

22年春。ペロブスカイト太陽電池の研究開発に対して社内の期待が高まる中で、田中は自らを含む太陽電池の研究者だけでなく、量産時に生かせるインクジェット技術の研究者を巻き込んだ研究グループを構築し、RFP8に提案した。JAXAのプロジェクトに乗る形で、社内のリソースをまとめて量産体制を見据えた研究開発を一気に加速させようと考えた。背景には、自ら研究開発を主導し、事業化にこぎ着けた固体型の色素増感太陽電池の研究開発と同じような運命を感じる巡り合わせがあった。

世界中にばらまく

『鉛は難しいな』。英国・オックスフォード大学のヘンリー・スネイスらが12年10月に発表した、ペロブスカイト太陽電池で変換効率10%超の成果に触れたとき、田中はそう感じた。もちろん、新しい材料として興味はあったし、実際に研究現場で性能の検証もした。ただ、実用化を考えると、毒性を含む鉛の問題が引っかかった。特に当時は、室内向けに固体型の色素増感太陽電池を製品化し「世界中にばらまく」というコンセプトで研究を進めていた。鉛含有のペロブスカイトはそれにそぐわなかったし、湿気などに対する耐性の低さも実用化は難しそうという印象を補強した。

前出(after#3)の通り、リコーにおけるペロブスカイト太陽電池の研究は堀内保が始めた。

そもそも固体型色素増感太陽電池の研究は、始まるべくして始まった感覚が田中にはあった。12年ころだ。それまで、コピー機やプリンターの主要部品となる「有機感光体」を研究しており、その技術を生かす新たな研究テーマとして据えた。社内の別の研究者が超臨界二酸化炭素(※1)の利用技術をテーマに研究しており、それを組み合わせれば、よい成果が得られると見込んだ。実際、成膜に利用すると、一般的な成膜方法であるスピンコートと比較して変換効率の高い色素増感太陽電池が実現できた。『研究のコンセプトは正しい』。そう自信を持った。

※1 超臨界二酸化炭素:二酸化炭素は常温では気体だが、臨界温度(31℃以上)、臨界気圧(73気圧以上)にすると、気体と液体の性質を併せ持った高機能性溶媒(超臨界流体)となる。これを利用することで、様々な物質の抽出や分離、含浸が可能になる。

さらに用いる材料について試行錯誤を進めたところ、低照度の室内光で高い発電性能を発揮する太陽電池にたどり着く。室内で使う電卓や時計などに使われる既存のアモルファスシリコン太陽電池に比べて2倍以上の発電性能を実現した。

「室内センサー用の電源として使えるのでは」-。ほどなくして、別の部署の人間からそんなアイデアを聞く。まだ、IoT(モノのインターネット)という言葉は一般的ではなかったが、今後の市場拡大が見込まれた。そうして低照度向けに特化して世界中にばらまくというコンセプトは固まり、14年の開発成功、19年の事業化にたどり着く。

「社内にある多様な情報やリソースを組み合わせて研究を推進した成果でした」

インクジェット技術と連携

固体型色素増感太陽電池の事業化に成功した田中は、20年ころにJAXAの宇宙探査イノベーションハブにおけるプロジェクトに参加する。前出(after#4)の通り、桐蔭横浜大の宮坂からの誘いを受けて、17年に始まったRFP3の終盤だった。田中はそのとき、改めてペロブスカイト太陽電池の研究の進展に触れる。

「初めて触ったころとはずいぶん違う印象を受けました。当時はペロブスカイトを作製してそのまま大気に放置しておくと、翌日には劣化して黄色くなっていたのですが、全然そうならない。(変換効率も上がっており)形になるのではないかとも思いました」。

その後、RFP3は20年10月に幕を閉じるが、リコーの社内では色素増感太陽電池の次としてペロブスカイト太陽電池への期待が高まり始める。また、堀内の退社に伴い、田中が研究を主導する立場になっていった。

22年ころだ。ペロブスカイト太陽電池に対する社会の関心の高まりもあり、経営層からは社内の研究開発状況を気にする声が頻繁に聞かれるようになった。現場でも、RFP3の経験を踏まえつつ、事業化に挑む創エネ技術の次のテーマとして屋外用途の大面積の太陽電池に挑むならペロブスカイトが筆頭という認識が共有されていく。その中で、どうせ大面積化を研究していずれ量産体制の確立を目指すなら、リコーの強みで、量産時にペロブスカイト膜の形成に生かせるインクジェット技術の研究者らと共に、一気に研究開発を進めるべきという考えが、田中の頭の中で醸成されていく。

JAXAから宇宙探査イノベーションハブRFP8への応募を誘われたのはそんな時だった。

「JAXAのプロジェクトという〝旗〟があると、他部署を含めた周りを動かしやすいと考えました。社内のいろいろな状況を踏まえ、リソースを掛け合わせて開発を加速するために(JAXAのプロジェクトに)乗っかろうと思い、提案しました。(社内のいろいろな情報、リソースを掛け合わせたという意味では、事業化に成功した)色素増感太陽電池の始まりと同じような、ちょっとした運命を感じていました」

宇宙利用を目指す意味

リコーではRFP8以降、ペロブスカイト太陽電池に関わる研究開発体制の増強を継続的に行っているという。もちろん、宇宙利用は一朝一夕にはいかない。JAXAの宮澤優や桐蔭横浜大の宮坂らによって放射線耐性の高さが示された(after#4)ことは朗報だが、宇宙環境の厳しさはそれだけではない。例えば耐熱・耐寒性。月面で利用する場合、130℃の高温からマイナス110℃の低温まで耐える性能が、一つのデバイスに求められる。ハードルは非常に高い。

そのため、宇宙探査イノベーションハブのコンセプトでもあるように、まずは地上用の実用化が目標になる。リコーはその具体的な時期を明言していないが、積水化学工業パナソニックなどは2025-30年ころを目標に掲げており、その時期は当然、意識しているようだ。

では、社内のリソースを集中するための〝旗〟として立てたJAXAのプロジェクト、そして宇宙利用を目指すという大目標はこれからどのような意味を持つだろうか。田中が力を込める。

「ペロブスカイト太陽電池の世界において、リコーの存在感を示せる意味があると思います。それによって社内外の理解が進められます。もちろん、月面で必要になってくる時期に供給できる準備を進めます。(その中で)宇宙用を意識して研究開発を進めれば、地上用途は問題ないですから」

宇宙利用への挑戦は、リコーのペロブスカイト太陽電池の研究開発を推し進める〝旗〟として今日もはためく。

証言者:田中裕二・宮澤優・宮坂力・堀内保
主な参考文献:「FrontRunner SPECIAL【座談会】完全固体型色素増感太陽電池」(リコーHPより)
ニュースイッチオリジナル
葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
ペロブスカイト太陽電池の事業化に向けた2大課題として、耐久性の向上と大面積化したときの高い変換効率の維持が挙げられます。リコーは固体型色素増感太陽電池の研究開発で培った封止技術が前者の課題解決に、インクジェットプリンターの技術は後者の課題解決に貢献すると考えています。そうした技術を生かし、リコーがどのような研究成果を発信するか、今後の動向が注目されます。

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