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“実用化間近”、AIが高精度に味覚を判別する「電気舌」とは?

“実用化間近”、AIが高精度に味覚を判別する「電気舌」とは?

センサーデバイス(左側の円形の機器)は小型・軽量で手軽に持ち運んで使える。測定結果はスマートフォンに表示される

食品品質管理・水質検査など多様な用途

人間は食べ物や飲料のうま味を舌にある味蕾(みらい)で感知する。この原理を応用した、溶液中の多様な化学物質を即座に測定できる人工知能(AI)対応の小型センサーデバイス「ハイパーテイスト」の実用化が間近だ。「電子舌」とも呼ばれ、溶液に入れるだけで誰でも使える。開発拠点は米IBMがスイスに置くチューリヒ研究所。海外では飲料メーカーなど数社と開発で協業しており、国内では長瀬産業が実用化に向けた実証実験を進めている。(編集委員・斉藤実)

人間の味蕾は刺激を受けると、神経信号を脳に送り、味覚を感じる。ハイパーテイストは脳の代わりにAIを用い、トレーニング(学習)済みのAIモデルと比較して、判別した結果を数値で表す。

チューリヒ研究所との共同研究チームの一員である日本IBM東京基礎研究所の松本圭司氏は「イタリア産の赤ワイン10種類を99・1%、ミネラルウオーターなら98・8%の精度で判別できる」と成果の一端を語る。

ただ、目指すのは高感度を追求する特定用途向けの味覚センサーではない。「飲料などの味覚だけでなく、さまざまな化学物質を測定できる広範な適用領域と、センサーデバイスとしての使い勝手の良さ」(松本氏)だ。

頭脳を担うAIはクラウド上にある。用途に沿って事前にトレーニングしたAIモデルを作っておけば、センサー部を変えずに広範な化学物質の測定に柔軟に対応できる。

ハイパーテイストが目指すのは簡易検査であり、感度と使い勝手のバランスが妙味。味覚センサーをはじめとする専用のセンサー・検査装置は感度にこだわる分、測定に時間がかかり、コスト面でも高価になる。松本氏は「人手を極力かけずに多様な化学物質を素早く測定できる安価なセンサーデバイスは世の中にはなく、ハイパーテイストで狙うのはこうしたホワイトスペース(空白領域)の市場だ」と語る。

センサーデバイスは円形。その円の4分の1部分に丸くはまるように装着するセンサーと、同部分に円状ではなく、そのまま装着する直方体センサーの2種類がある。重さはいずれも数十グラム程度で、さまざまな場面で手軽に持ち運んで使える。

味蕾に相当するのは電気伝導性のポリマー材料を用いた1・5ミリメートル程度の電気化学センサー。同センサーは計16個あり、それぞれ異なる感度を持ち、これらをデバイスの表と裏に8個ずつ配置している。

「同じようなポリマー材料でも作成時にパラメーターを変えることで、感度が変わる。多様な用途に対応するため、それ以外にも、分子構造がまったく異なるポリマー材料も使っている」(同)という。

1―2分で分析 スマホに結果表示

測定手順はごく簡単だ。まず分析基準となる「参照溶液」にセンサーデバイスを入れる。その後、化合物や物質が含まれた分析対象の「ターゲット溶液」に浸せば、1―2分で作業が完了する。

仕組みは電池に近いイメージとも言える。液体中のイオン分布によるセンシング電極の電圧の変化から、液体中のイオンなどの成分を分析して測定に用いる。溶液中で電気信号として検知する特徴は①電圧の絶対値②電圧の相対比(比較)③最大値④傾き⑤電圧が一定化する時間―の五つ。これを基に「15の作動電圧で合計75の特徴量を抽出する」(同)。

コーヒーの酸味、苦み、香りなどを数値化してレーダーチャートで確認する事も可能になる

収集した信号は近距離無線通信技術のブルートゥース経由で手持ちのスマートフォンの専用アプリケーションに送られ、クラウドへと転送する。これをAIモデルと比較・分析し、結果を分かりやすい表示でスマホに返す。品質チェックなどを行う現場の作業者にも分かるように、スマホアプリを用いてアラート(通知)を出したり、分かりやすいグラフで表示したりすることも可能だ。

用途は食料製品の成分欠損の検出といった品質管理や、水質検査などの環境モニタリング、食品・飲料の産地・ブランド偽造の防止など多種多様だ。

コーヒーの新ブレンドの提案では、目指すブレンドがどのような味なのかについて、酸味、苦み、香りなどを数値化してレーダーチャートで確認できる。「人の味覚の相関モデルを作れば、人手を介さずにハイパーテイストのみで味覚が測定でき、新ブレンドの提案なども迅速化できる」(同)。 

IBMチューリヒ研究所の開発チーム

唯一、時間がかかるのはAIのトレーニング。用途によっては8時間程度を要する。これについては市販の測定装置のロボット部分を改造し、自動でトレーニングできるようにしている。その結果、自動でバラつきなく24時間学習・測定できるようになったという。

チューリヒ研究所がハイパーテイストの研究に着手したのは2016年。AIの再ブームの波が来ていた時であり、将来を見据えた試みの一つとして、取り組みが始動した。

当初はコンソーソアム(共同事業体)方式で研究活動を始め、その後、1対1での協業型にシフトした。19年にはハイパーテイストの技術発表も行い、研究成果についての論文発表も行ってきた。

長瀬産業、化学薬品追跡管理に活用

長瀬産業とは20年に共同研究をスタート。同社は現在、化学薬品の追跡管理でハイパーテイストを用いた実証実験に取り組んでいる。具体的には化学薬品を出荷し、客先に届くまでに通る営業所などの中継点で行う品質検査にハイパーテイストを用いている。

長瀬産業は23年度中をめどに、グループ会社が取り扱う化学品や食品素材の取引にハイパーテイストを活用し、グループのサプライチェーン(供給網)の迅速化や安定供給を支えることを目指すとしている。

日本IBMの松本氏は、長瀬産業との協業を先駆けとして「まずビジネス用途で実用化することが目標」と語る。その上で「将来的にはコンシューマー(一般消費者)向けにも展開したい」と展望する。センサーデバイスは現在、内製化しているが、外注でも作れるようにし、デバイスの市販価格を1000円以下で提供する考え。日本は飲料・化学メーカーが多数あり、ハイパーテイストが電子舌として、幅広く普及する土壌は整っている。

日刊工業新聞 2023年月5月2日

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