りそなHDの再建と成長を主導、東シニアアドバイザーの経営哲学
株主席から拍手が沸き起こった。“コミュニケーション”と“リレーション”を大事にする姿勢が伝わっていたと実感した。
6月末の定時株主総会をもって取締役を退任した東和浩シニアアドバイザー。公的資金の注入でりそなホールディングス(HD)が実質国有化された2003年に財務担当の執行役に就任し、社長、会長を歴任した。ピーク時は約3兆円に膨らんだ公的資金を15年に完済するなど、同社の再建と成長を主導した。
再建途上は「やはり株主からすごく怒られた」と振り返る。同社の戦略に理解を求めてもらう日々だった。だからこそ取締役最後の総会で株主から自身に送られた拍手は「大変うれしかった」。
あらゆる場面で“説明”を尽くしてきた。株主はもちろん、取引先や社員などのステークホルダーに企業の方針を説明し、理解してもらう努力を続けた。
約2兆円の公的資金が注入されて同社が実質国有化となった03年。当時、公的資金の返済は不可能という見方が圧倒的だった。だが「注入の翌日から、どうやって返済するかを考えていた」。
社員には動揺が広がり、会社を去っていく人もいた。JR東日本副社長から同年6月にりそなHD会長に転じた細谷英二氏(故人)による構造改革も始まる時期。再建に向けて社員が前向きになれるように訴えた。「会社は人の集合体。『変えていこう』という意思を持てるかが極めて重要だ」と指摘する。
社長に就任した13年、支店長会議で打ち出したデジタル化などの「オムニチャネル戦略」は大勝負だった。まだ公的資金の返済途中で、デジタル投資の余裕は無かった。しかし世の中は急速にネット利用が拡大。顧客接点を拡大する準備をしなければ競争力が落ちるのは明らかだった。
「15年よりも投資が遅れてはいけない」。従来計画では公的資金の完済時期は18年3月までだったが、15年に前倒しで実現。デジタル投資が可能な環境を整えた。新サービスを一つの象徴として提示することで「簡単ではなかったが、(社員、株主、取引先と)みんなが当社の方向性を理解してもらえるようになった」。
りそなHDは“細谷改革”以来、銀行業から金融サービス業への転換を掲げる。顧客に対する説明の仕方一つとっても「銀行のサービスを金融の言葉で話すのは誰でもできる」と喝破。「お客さまに理解してもらえるように説明するのが『サービス業』だ」と確信する。(日下宗大)
【略歴】ひがし・かずひろ 82年(昭57)上智大経済卒、同年埼玉銀行(現りそなグループ)入行。03年りそなHD執行役財務部長、09年副社長、13年社長、20年会長、22年シニアアドバイザー。福岡県出身、65歳。