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「コスト」ベースから「価値」ベースへ。意識改革を訴える産総研理事長の狙い

コストベースから価値ベースへ-。会長・社長としてAGCグループをけん引してきた産業技術総合研究所の石村和彦理事長は意識改革を訴える。日本では大学や研究機関の技術シーズが原価で買われ、科学技術への公的資金が投資として機能していない。投資とするには価値を正しく評価する必要がある。一方で価値ベースへの転換は産業界にとって値上げ映る。イノベーションを生み出すエコシステム(協業の生態系)の構築が必要だ。両者をどうすりあわせるのか。狙いを聞いた。

-学術界を国が支え切れなくなったから民間に頼る。産学連携の値上げと受け取られませんか。

「価値ベースでなければ次につながらない。現状は人件費や研究資金にいくら使ったかコストを積み上げて研究成果が計られている。研究で生み出した価値が評価されなければ研究者の手元には何も残らない。次の研究への投資ができない。研究資金を使い切ったら終わりになってしまう。研究者とユーザーがウィン-ウィンとなり、シーズの価値を評価され次の研究開発につながる。イノベーションのサイクルを回していくことが重要だ。コストベースでは未来がない」

「日本企業の研究開発投資は約14兆円。この内、大学などオープンイノベーションに投入されている金額は約1000億円と0・7%にすぎない。これではエコシステムになっていない。ドイツは同5・6%。必ずしも大学や公的研究機関に連携先を絞る必要はないが、日本も効率的にオープンイノベーションを進める必要がある」

-税金で支えられる研究から生まれた成果は無償で配るべきだという考えもあります。

「研究者にとって税金だけでやっていけるなら楽だ。それだけで好きな研究を続けられる。企業や社会から価値を認められるためには研究の質を上げないといけない。でなければ企業のマインドセットは変わらない。企業の技術者は大学ですごい技術が生まれたとしても、自分たちでやった方が早い、真剣にやれると、本気で信頼してはこなかった。これではエコシステムにならない。企業と組むということは、研究の価値が認められなければ次のオーダーはこない厳しい話だ」

「そもそも2003年に米ハーバード大でヘンリー・チェスブロウ氏がオープンイノベーションを唱えてから、政府も経団連も同友会も大学もオープンイノベーションは重要だと言ってきた。だが産学連携は0・7%に留まったままだ。かけ声で終わらず、真剣に進めないといけない。オープンイノベーションはダイバーシティー(多様性)を広げる活動でもある。自分の組織の文化を変えていく取り組みにもなる」

「その上で産総研は日本のイノベーション・エコシステムの中核になる。0・7%の1000億円の内の1割の約100億円が産総研に集まっている。この0・7%がドイツ並みとはいかなくても、3%や4%に向上すれば、産総研は現在の民間資金100億円が600億-700億円になるだろうと経営方針に掲げた。これは金額ありきではない。日本のイノベーションエコシステムが育てば、結果として産総研の規模はこのくらいになるだろうと目安として挙げた」

-経営方針では2030年度以降の事業規模で2000億円、民間資金が600億-700億円が掲げられました。この規模の研究機関が日本に存在するとどんなインパクトがありますか。

「繰り返すが、金額ありきではない。産総研をコアとしてイノベーションエコシステムのプロトタイプを作り発展させていく。結果として金額がある。例えば研究者は『研究資金をとってくる』と表現する。所内では資金獲得を目的とするなと言っている。資金獲得が目的になるから本末転倒になる。価値を生み、エコシステムが回ることが重要だ」

-その価値を評価できないことが問題でした。

「もちろん基礎的な研究は計れない。無理に計るつもりもない。そうした領域では自由に挑戦することが重要だ。産総研では研究者個々の力を伸ばす施策を打っていく。一方で出口に近い研究もある。これは国内総生産(GDP)や製品売り上げ、社会に対する影響力、評価の時間軸は考慮しないといけないが、M&A(合併・買収)と同じ考え方で将来価値や現在価値を計れるだろう。もちろんM&Aと同じように精緻な評価はむずかしい。評価の精緻さを求めても限界がある。そこは経営者同士で腹をくくってやるしかない。研究者には本気で取り組んでもらう」

-イノベーション・エコシステムの例として強者連合を挙げています。大企業と組むということですか。

「お互いに強みを持ち寄って連合を組むということだ。強みとは事業規模だけではない。ベンチャーなどを含め差別化された技術を持っていて相乗効果が出る相手と組んでいく。研究から強い製品や競争力を生み出していく。それができる相手はたくさんはいないだろうとも考えている。とにかく連携の数を集めるようなことはしない」

「例えばトヨタ自動車と豊田中研との三者でカーボンニュートラルの共同研究について検討を進めている。エネルギーシナリオや街のエネルギーネットワーク、車載用太陽光発電システム、水素社会の要素技術。三者での共同研究に閉じず、新しい相手との連携をオープンに検討している。SOMPOホールディングスとは介護業界の社会課題を解決するために包括的に連携している。産総研のAI・ロボット技術で介護品質の評価方法開発や標準化、心身健康状態の評価方法の開発などを進める。介護に関わるエコシステムの構築を目指している」

「地域発のイノベーションも目指している。産総研の中国センターは東広島市にあり中国地域の公設試験研究機関などと連携して材料診断の技術支援を展開している。広島の自動車産業では材料の軽量化や廃棄後の環境影響評価のニーズがある。四国センタ-ではセンター自体を中津氏とした連合体を新技術の実証の場にして、地域の活性化につなげようとしている。身体動作解析や脳機能測定などで健康寿命を延ばす」

-この数年はAIやデジタルへの投資が続きました。デジタル変革(DX)研究自体を効率化しようという試みが産総研の強みになりませんか。

「DXはやるのが当たり前で、やらないと負けるだけだ。DXをやったら勝てる訳ではない。日本が競争力を保っているマテリアルや生産技術ではDXを前提とし、その先を見据えた戦略が必要だ。私は産総研の理事長に就任してからイノベーションを起こすにはどうしたらいいか考えてきた。まず優秀な個人がいなければ始まらない。ただ教育投資の結果がでるのは数十年後だ。組織の多様性を高める。これはジェンダーや国籍、年齢の多様性を高める。研究者だけでなく、製造や品質、営業など部門を広げて多様性を高める。だがそれでも足りない。もっと速く進めるには、やはりオープンイノベーションだ。外部の力を取り込んでいくしかない」

「ただ闇雲に連携すればいいものではない。幸い産総研には七つの領域があり、各領域の研究者同士が交わることで新しい発想が生まれる。所内で領域融合の相乗効果を出せる。しかし産総研の外に向けて、こんなシーズがあるからと売り込んでもマッチングするものではない。連携相手とビジョンを共有してバックキャスト型で研究テーマを決め、価値を作っていく必要がある。これは技術に明るいだけでなく、ビジネスモデルを考える力が必要だ。市場規模予測や企業の価値査定の手法が必要だ。現在の産総研のリソースだけでは難しい。こうした人材は産総研の給与だけでは雇えない可能性もある。別組織でやる可能性もある。制度についてタスクフォースを設置して検討している。これらは先行投資になるが理事長裁量で振り分けていく」

「そして私はトップセールスをかける。1年間で100社を回る予定だ。トップダウンで意思決定して、バックキャスト型で詳細を組み立てていく。産業界でも現状のままでは競争力低下を止められないと危機感があり、経営者は変わろうとしている。トップセールスで産総研とともにイノベーションを起こす強力な仲間を探す。このインタビューを読んだら、この顔が訪ねてくると覚悟していてほしい」

小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
研究者は同じ研究を続けたがるという前提をおくと、技術を実用化する企業が見つかっても次のアクションは応用寄りの共同研究になると思います。すると、成果評価の価値ベースへの転換が叶ったとしても、共同研究の予算をコストベースで計算するので、実態は変わりません。特許収入などで投資を回収するとしても、企業に移転して事業として成功してからでは投資から回収までに時間がかかりすぎます。これでは研究機関の経営の時間軸と合いません。研究機関の理事長は数年で交代します。せっかくトップセールスをかけても売却するタイミングで、そのトップがいないことになってしまいます。企業の研究所も似たような問題を抱えてました。研究テーマの新陳代謝や研究組織の経営に反映するには、早めの売却で現金化する道も必要になります。売却可能な技術と組織のパッケージにしておくことも必要だと思います。

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