トヨタも参画「磁石」の大型研究開発、「データ駆動」で効率高める
AI・ビッグデータ駆使 サイクル加速
磁石研究で人工知能(AI)やビッグデータなどを活用し開発効率を高める「データ駆動型」の産学連携が進んでいる。文部科学省と経済産業省の事業で10年プロジェクトが進んできたためだ。学術界が基本原理を解き明かすと、産業界は物理現象まで立ち返って〝源流品質〟を作り込む―。こうした連携の中から産学での上手なデータの使い方が見えてきた。モーターなどのモデルベース開発に材料データを提供して設計の自由度を高めるなど、学理で産業競争力を底上げする動きが活発化している。(小寺貴之)
効果的な活用法 学→理論/産→事業化
「材料科学とDX(デジタル変革)が研究の強みになった。手法やツールがそろいデータの効果的な活用法が見えてきた」と、物質・材料研究機構の広沢哲元素戦略磁性材料研究拠点代表研究者は目を細める。磁石は物質探索と材料組織、製造プロセスが重要な研究分野だ。学術界が有望な物質を見つけて磁石材料を作ると、産業界が量産プロセスを開発して事業化する。理論上は強力な磁石になるはずの物質も、材料中の微細組織を作り込めないとものにならない。材料組織をいかに安く安定して作るか、磁石メーカーは知恵を絞る。材料組織の開発が産と学の結節点になっている。
そしてこの10年、文科省と経産省で磁石の大型研究事業が進められてきた。文科省事業では「元素戦略磁性材料研究拠点(ESICMM)」、経産省事業では「高効率モーター用磁性材料技術研究組合(MagHEM)」が活動している。
例えばESICMMでは磁石が外からの力に負けるメカニズムが解き明かされた。大型放射光施設(SPring―8)で磁石が外部磁場に負けて、微細組織の磁化方向が反転する瞬間を捉えた。材料組織のどこから磁化反転が始まるか見えるため、磁石の弱点を特定できた。MagHEMに参画するトヨタ自動車の加藤晃技範は「原理原則までさかのぼって品質を作り込む〝源流品質〟が可能になった」と振り返る。
ネオジム磁石、高品質 レアアース不足のリスク減
強力な磁力を持つネオジム磁石では、小さな結晶粒が一方向に緻密に並んだ材料組織が優れているという。結晶粒と結晶粒の隙間の粒界が磁化反転を防ぐ壁となるためだ。そこでトヨタは粒界にネオジムを浸透させて壁の効果を増強した。結晶粒の内部はネオジムの一部をランタンやセリウムに置き換え、同時に結晶粒の表面はネオジムの濃度を高める。これでネオジムの使用量を減らせ、希土類(レアアース)の供給リスクを下げられる。学術界が学理を打ち立て、産業界が産業競争力を高めるサイクルの好例だ。
産学での開発を通してデータ駆動の研究手法も培われてきた。物材機構は磁石材料の熱力学データベース(DB)を構築。ESICMMの三俣千春企画マネージャーはDBについて「7元素に対応し、数百万種の組み合わせの検証が可能。物質探索の効率化につながった」と説明する。DB活用の一例としてネオジム鉄ボロンに微量元素を混ぜた際に、狙った組成の物質が安定的に存在しうるのか判断できるようになったという。
製造プロセスでは能動学習で最適化を実現した。熱間プレスと押出加工において、6600万通りの製造条件からデータを使って有益な知見を導き出す「データ科学」の手法で条件を絞り込み、能動学習と実験を繰り返して合計58回の実験を実施。磁石の性能を1・5倍に高めることに成功した。物材機構の佐々木泰祐主幹研究員は「製造装置が変わっても、プロセス間の違いを学習していくことで、プロセスの差に対応できる」と話す。
このようにデータ科学は物質探索から材料組織、製造プロセスまでフル活用されている。同機構の大久保忠勝首席研究員は「この知見は材料組織が重要になる構造材料など、他分野にも展開できる」と力を込める。
データ駆動進む 磁石データ、モーター設計に
データ駆動の研究開発はMagHEMでも進んでいた。トヨタは高エネルギー加速器研究機構の小野寛太特別教授らとの共同研究で、放射光計測から得られる大量データを解析するためにデータ分析基盤を構築した。X線分析などのデータをアップロードすると自動で重要因子を抽出するものだ。
特徴はスペクトルデータのわずかな変化から意味のある因子を取り出せる点だ。ネオジム磁石では粒界や結晶粒表面の元素の濃度変化が手がかりになる。人間の目には歪みに見えるわずかな変化から結晶粒の変化を捉えて性能を向上させた。トヨタの庄司哲也チーフプロフェッショナルエンジニアは「計測原理から結晶粒の特徴がスペクトルに現れることは予想できた。データ科学で特徴量を抽出して道標とし性能を高めた」と振り返る。この手法は磁石開発に限らず、炭素材料や触媒など社内外の研究で利用が進んでいる。
磁石データをモーター設計に利用する試みも始まっている。この10年は磁石の研究開発を効率化するためにデータを活用してきた。次の段階として磁石研究のために蓄積したデータと、モーターなど磁石を使うシステムのモデルベース開発(MBD)をつなぐ試みが始まる。
自動車の電動化の加速に伴い、基幹部品である駆動モーターの性能向上が競争軸の一つになっている。モーターの性能を決める要素の一つが磁石というわけだ。自動車などの複雑なシステムでは、シミュレーションを駆使したMBDが浸透。モーターの性能をシミュレーションする際に、入力する磁石の性能データに幅を持たせることでモーター設計の自由度が上がるとともに、必要な磁石の性能を見極めることもできる。基幹部品とシステムのすり合わせをデータとシミュレーションで進められ、開発の効率化につながる。
ダイキン工業の山際昭雄主席技師は「モーター開発ではカタログ通りの性能で磁石が使えることはほとんどない」と指摘する。カタログにはチャンピオンデータ(最も効果的な結果)が載っているが、実際はプロセスによって磁石の性能が変わってくる。成形や研磨熱などで材料組織が変化するためだ。だが、組織変化などを踏まえた幅のあるデータで、モーターと磁石の最適な性能の組み合わせをはじき出せれば、開発期間の短縮が期待できる。これは強力な技術営業力になる。
山際主席技師は「MagHEMの10年でノウハウの交換が進んだ。次はデータ連携。どのデータを産学の共有財産として蓄えていくべきか見えてきた」と話す。それは学理から製造プロセス、システム設計までをデータでつなぐ試みだ。一般に材料は研究から実用化まで数十年かかるとされる。これが数年に短縮し、材料からシステムまでのすり合わせが可能になったとき、産業競争力はより強固なものになる。
【記者の追記】マテリアルズインフォマティクス(MI)の観点からは物質探索、材料合成、製造プロセスでデータ駆動型の研究が成果を上げています。最終製品の観点からはモデルベース開発が普及期にあってシミュレーションにさまざまざデータを入れてすり合わせを行っています。各ステージでデータ駆動とシミュレーション駆動の研究開発が進んでいて、それぞれに必要なデータ、シミュレーションモデルが準備されています。モーターの場合は出力のシミュレーションは成熟していて、損失のシミュレーションがまだ課題あり、データで補完しつつ評価条件との合わせこみで運用されているそうです。
各段階データやシミュレーションを使うなら、それを前提にデータの取り方や使い方を考えておきたいところです。材料開発の場合は論文やカタログに載せるためのチャンピオンデータよりも制御可能な幅やスペック空間の方が重要になってきます。企業にとっては企業秘密かもしれません。ただそれでモーター設計の幅が広がるなら、その設計通りに材料を調達してくれるならデータ提供は営業努力として認められるかもしれません。民間同士では難しくでも、国プロや産学連携ならできることは広いです。新しいデバイスやシステム開発で材料レベルから競争力を仕込むことができるかもしれません。
MIやデータAI活用は電池や磁石、触媒、構造材料など、水平方向で事例は積み上がり、連携できる部分も見えてきました。ただ、これは材料開発の効率化です。次は垂直方向に上位のデバイスやシステムのモデルベース開発とつないでいくことが大事になります。企業のシステム設計の幅を広げるため、面的にデータをとることが大学の役割なのか?と思うかもしれません。マテリアルとデバイスの先生同士の連携と捉えると、すでにやっている話です。まだ各分野に成功事例があるだけなのに大風呂敷広げすぎでは?と思うかもしれません。自動車は業界をあげてモデルベース開発の普及を進めています。むしろ民間は系列で圧力をかけられる部分しか進みにくく、中立な研究機関への期待は増しています。
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