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堀場製作所会長が考える「トップにすべき人」の条件

高身長で格好良くスーツを着こなし、ウイットに富んだオチを交えつつ物事の本質にズバッと切り込む。堀場製作所の堀場厚会長兼グループ最高経営責任者(CEO)には一流の言葉が似合い、その人柄を慕う人は多い。

「信念で行うことに人はついてくる。経営者に必要なのは人徳」

京都大学理学部長など歴任した祖父・信吉氏、国内初の学生ベンチャーで創業者の父・雅夫氏のスピリッツを受け継ぐ。社長就任前は当時の経営陣と営業や生産などの改革で真っ向対立。今も「一番のアンチ本社は私だ」と公言する。

きっかけは新人の米国勤務時代。「本社は決め打ちで何もせず、“防人(さきもり)の苦しみ”を理解しなかった」。気候などが原因と後々わかる最前線の品質トラブルに対し、「社長の息子やろ。どうすんねん」との空気が漂っていた。そうした中でも精査し、流れを変えると個人の実力が認められていった。「オープンでフェアなジャッジの大切さを学んだ。今も一番気をつけているポイントだ」という。

社長就任時との比較で売上高は5倍に伸長。分析計測機器の世界的企業になるのを後押ししたM&A(合併・買収)の声かけはいずれも相手からだ。

「オープン&フェアで“ほんまもん”の研究にしっかり投資し、現場を大事にする。ウチの製品は一流の顧客向けで、極めたものに興味がある。(相手は)この企業文化に魅力を感じてくれている」

今こそソフトな語り口調だが、小学校時代のあだ名は「短気の堀場」。多趣味で、20代半ばに飛行機免許を取得。この時、悪天候、燃料ギリギリで管制官が指示した場所まで飛べないと考え、別の飛行場に強行着陸した。叱責(しっせき)覚悟でドアを開くと「コングラチュレーション」との声が聞こえた。最も大事な墜落を防ぐという行動を選択し、一流パイロットになったと祝福された。「日本は失敗者を外し、残った人が最後に失敗して会社をつぶす。失敗者をプロモートすべき」と主張する。

「情報集めと経験でベストを尽くす。30歳の時に病気で死にかけ人生観が変わり、その時のベスト判断で駄目なら仕方がないとの考えになった。究極の時に判断できる人をトップにすべきだ」

失敗からも多くを学び得てきた経験を生かし、これからも常にベストを尽くして挑戦を続けていく。(京都総局長・松中康雄)

【略歴】ほりば・あつし 71年(昭46)甲南大理学卒、同年米オルソン・ホリバ入社。72年堀場製作所入社。77年カリフォルニア大院工学部電子工学科修了。同年海外技術部長、81年海外本部長、82年取締役、88年専務、92年社長、05年会長兼社長、18年会長兼グループCEO。京都府出身、73歳。

日刊工業新聞2021年8月10日

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