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コロナ感染予防にも期待される「ダチョウ」の恐るべき免疫パワー

〈情報工場 「読学」のススメ#91〉『ダチョウはアホだが役に立つ』(塚本 康浩 著)

「ダチョウ」と聞いて、その姿かたちを思い浮かべられない人は少ない。しかし、その生態について詳しく語れる人も、そう多くないだろう。

ダチョウは、アフリカ中部・南部に生息し、成鳥の体高が2メートルを超える世界最大の鳥だ。翼はあるが飛べない。だが、走るのは得意で、時速60キロメートルで30分間走り続けられる。二足歩行の生物では「地球最速」ということになる。

意外と知られていないのが、その知能の低さである。脳の重さは40グラムしかなく、60gの眼球よりも小さい。脳の表面はツルツルだという。飼育されているダチョウは、どれだけ世話をしても、人間の顔を覚えない。人間だけではない。同じダチョウの自分の家族も見分けられないらしい。

そして今、俄然注目を浴びているのが、その「免疫力」だ。ダチョウは、骨が見えるほどの大ケガを負っても、滅多に死なない。それどころか、手当てをさほどしなくても、すぐに回復する。傷から感染症になることも少ない。

その驚異的な自己治癒力の秘密は、「抗体」をつくる能力の高さにある。ひとたび体内にウイルスなどの異物(抗原)が侵入すると、ダチョウは猛スピードであらゆるパターンの抗体を大量につくりだす。それらの抗体がすばやくケガや病気を治すのである。

こうしたダチョウのパワーを応用した研究を手がけるのが、『ダチョウはアホだが役に立つ』(幻冬舎)の著者、京都府立大学で学長を務める、獣医学博士の塚本康浩教授である。同書は、ダチョウの興味深い生態や、ダチョウ抗体やそれを使った製品の開発、最新研究、自身の生い立ちなどを軽妙なタッチで語る科学エッセー。

塚本教授は2006年、研究の成果として、ダチョウの卵から抗体を大量生産する方法を確立。2008年には、マスクのフィルター表面にダチョウ抗体を配合した「ダチョウ抗体マスク」を開発した。このマスクをつければ、マスク表面に付着したウイルスが不活性化するため、感染リスクが抑えられる。

新型コロナウイルスのダチョウ抗体の精製にも、世界に先駆けて成功。実際に、コロナ対応のダチョウ抗体マスクを販売している。

アメリカでは、ダチョウの卵から精製したコロナウイルスの抗体が、承認前ではあるが治療薬としても使われている。ダチョウは、コロナ禍に苦しむ世界の救世主になる可能性を秘めている。

「ダチョウで稼ぐ」を成功させた大学教授の「ビジネスの嗅覚」

塚本教授は、ダチョウ抗体を実際にどのようにつくっているのだろうか。

まず、無害化したウイルスや細菌の一部を抗原としてダチョウに注射。すると、ダチョウの体内で抗体がつくられ、メスの場合、抗体は卵に送りこまれる。その卵の黄身から抗体溶液をつくり、純度を高めて抗体を精製する。

ちなみに医薬品などに用いられる抗体は、ウサギやマウスの血液から精製されるのが普通だが、1グラムで億単位になるほど高価だという。ところが、ダチョウの卵からつくる抗体は1グラム10万円程度で済む。

時間もかからない。マウスなどでは抗体の精製に1年ほどかかるが、ダチョウならば、なんと2週間強だ。塚本教授に言わせれば、ダチョウ抗体は「速くて安い! おまけに質は天下一品。めちゃくちゃお得」なのである。

塚本教授は、かくのごとくダチョウの研究で画期的な研究成果を上げている。だが同教授の武器は「研究」だけではない。鋭いビジネスの嗅覚も持ち合わせているのだ。

そもそも塚本教授は、大学生時代、画廊の絵の発送業務を請け負う会社を立ち上げ、月70万円ほど稼ぎ、研究費にあてていた。獣医師免許を取得した後は、大学院で研究を続けながら、夜間対応可能な「往診専門病院」を開設した。

そんな塚本教授が、十分に実用可能な抗体の生産方法を確立して、事業化しないわけがない。

塚本教授は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の助成金「大学発ベンチャー創出推進事業」を受け、3年間で2億円近い助成金を得た。さらに、早々にベンチャー企業のクロシードと提携して「ダチョウ抗体マスク」を開発。新型インフルエンザに対応させて商機をつかんだ。

その後、花粉症、アトピー、インフルエンザ、ノロウイルスなどを予防するダチョウ抗体入り飴や化粧品などのほか、ダイエットサプリや、抗薄毛抗体などを配合した薄毛に効くシャンプーまで発売。ベンチャー経営者としての手腕を存分に発揮している。

いまや海外にも飛び出し、アメリカ陸軍の感染症医学研究所やハーバード大学の医学部、関連病院とも共同研究を行っているという。コロナを機に、産学連携による成功事例として注目され、世界に飛躍することが期待される。

「ダチョウ愛」に込められた「大丈夫」というメッセージ

書籍『ダチョウはアホだが役に立つ』の魅力の一つが「知能が低く、丈夫だけが取り柄のダチョウが、人類を危機から救うパワーを秘めている」という意外性にあるのは間違いない。だがもう一つ、魅力として見逃せないのが、塚本教授のあふれんばかりの「ダチョウ愛」だ。何せ、「超」がつくほどの鳥好きで、「たぶん世界一アホ」なダチョウについて、「世界一はなんでもカッコええやないですか」と、諸手を挙げて絶賛するほどなのだ。

塚本教授は子ども時代、吃音があって学校になじめず、小学校1年生から4、5年生ごろまでほとんど学校に行っていなかった。当然、成績も悪かった。

しかしその一方で、幼稚園の頃から鳥が大好きで、小学生になると次々と鳥を飼い、産卵を促すエサの研究などを独自に行っていた。それが高じて獣医学部に進学し、ダチョウと出会い、現在に至る。「鳥好き」が切り開いた人生ともいえるだろう。

ダチョウはアホだが、驚異的な生命力を持っている。同じように、「不登校でまわりからはアホやと思われた僕でも」、感染症から人を守るという形で人の役に立てるようになったと、塚本教授は言う。

既存の価値観からすると「アホ」であっても、「他と違う」ことは強みになり得る。そう考えると、この本からは、「だからあなたも大丈夫」というダチョウと塚本教授からのメッセージが聞こえてくる。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

『ダチョウはアホだが役に立つ』
塚本 康浩 著
幻冬舎
192p 1,540円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#91
冨岡 桂子
冨岡 桂子 Tomioka Keiko 情報工場
人間は、進化によって高度な知性を手に入れたが、昨今の状況を見てもわかるように感染症にはきわめて脆弱だ。一方ダチョウは、知能は低いが、その驚異の免疫力で感染症を寄せつけない。すなわち、人間とダチョウは、正反対の進化を遂げたと言ってもいいかもしれない。それゆえダチョウは、人間の弱いところを補い、生き残りを助けてくれる貴重な存在となり得る。このように、地球上に多様な進化を遂げた生物がいるからこそ、人類はサバイブできているともいえる。その意味で、「生物多様性」が人類の未来を左右する重大な問題であるのは間違いなさそうだ。

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