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「ウチは浜松の中小企業」。カリスマ・鈴木修会長退任、スズキの新経営陣は大変革期を乗り切れるか

「ウチは浜松の中小企業」。カリスマ・鈴木修会長退任、スズキの新経営陣は大変革期を乗り切れるか

トヨタとの提携で電動化戦略に弾みをつけた(豊田章男社長(左)と鈴木修会長=16年10月12日)

スズキの鈴木修会長が6月に退任する。スズキを浜松市の軽自動車メーカーから、世界的な小型車メーカーに育てた。米ゼネラル・モーターズ(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)との提携・解消、インドへの進出と、軽メーカーにとどまらない存在感を示す企業に育て上げた。その先見性と流れを読む力は、自動車業界のトップでも抜きんでていた。一方で、大企業になってからも「スズキは中小企業」と言い続けるなど、堅実経営を貫くカリスマ経営者だった。自動車の大変革期を迎え、スズキは新たな経営陣で新たな潮流をつかむ。

雪だるまの固い芯 インド進出決断、10億人市場切り拓く

「卒寿も白寿も関係ない。年齢を数えるとしわが増えるだけ」。88歳の米寿を迎えた2018年1月、鈴木修会長は余裕で笑い飛ばした。20年1月30日の90歳の誕生日は、浜松市内で地元の経済人ら90人が盛大に祝った。鈴木会長がその一人一人に送ったお礼の手紙には「これまでもこれからも、会社のために昼夜を問わず一生懸命働き、休日は趣味のゴルフに打ち込みたい」と書かれていた。

20年はスズキの創立100周年の年でもあった。誕生日会の後、新型コロナウイルスの感染が急拡大し、経営環境は厳しさを増したが、「危機を乗り切り、これをバネとして過去最高の業績を打ち立てるのが目標」と意欲を燃やしていた。

鈴木会長は創業家の娘婿として、48歳で社長に就任。国内でほとんど最下位だったスズキを一代で世界有数の小型車メーカーへと育て上げた。80年代初頭、「誰も出ていない国へ行けば一番になれる」とインド進出を決断。当時、まだ牛が道路を闊歩(かっぽ)していた10億人市場を切り拓き、今では収益の大黒柱となっている。

経営者として人生を全うする情熱の火は決して消えない。一方で、企業の存続を考えた時、そのカリスマ性ゆえに後継者問題には悩み続けていた。「交代しようと思うといろいろ起こる」。鈴木会長の苦悩を初めて聞いたのは07年、後継者として通商産業省(現経済産業省)から迎え入れた小野浩孝氏(当時専務)が急逝した時だ。小野氏は鈴木会長の娘婿でもあり、リーダーとしての資質にあふれていた。

GMとの提携解消に踏み切った(鈴木会長(左)と津田紘社長)

鈴木会長はその先見性と卓越した外交力で格上のGMやドイツのVWとも対等に提携交渉した。約20年にわたり提携関係を続けたGMと提携解消し、後ろ盾を失った08年には「火中の栗は自分で拾う」と、社長兼任を発表。15年に長男の鈴木俊宏社長にバトンタッチした。

俊宏社長が就任した15年に国際仲裁裁判でもめていたVWとの提携解消が実現し、「強い後ろ盾を得て将来の道筋をつける」のが、最後の大仕事となった。環境技術や自動運転など次世代自動車の開発競争が激化する中、鈴木会長が意を決して向かった先は創業家同士の親交があるトヨタ自動車。その業務提携、資本提携へとこぎ着け、ほっと安堵(あんど)したに違いない。

「ウチは中小」…満足しない

スズキのインド合弁会社が生産開始(インディラ・ガンディー首相〈右端〉と鈴木修社長〈中央〉=1983年当時)

「ウチみたいな中小企業は一度赤字になると坂をころがり落ちる」。08年のリーマン・ショック時、世界の自動車メーカーが軒並み赤字に陥る中で、スズキはわずかながら黒字を確保。業績が良くても「うちは浜松の中小企業」と繰り返し、どんなに業績が好調でも「この程度の成功で満足しているようでは危ない」と社員の慢心を戒め続けた。

「おふくろが作った雪だるまの根っこ(芯)は固かった」。18年秋には私財を投じて創業者の名を冠した「鈴木道雄記念財団」を設立。創業者の努力を「周りが溶けても残っていた」という雪だるまの芯に例え、自身の功績は「普通に努力すれば大きくできる」と謙遜した。

5カ年新中計 全車種、30年に電動化

スズキは24日、26年3月期の売上高が20年3月期比約4割増で過去最高の4兆8000億円、営業利益率5・5%を目指す新中期経営計画を発表した。25年までに電動化技術を確立し30年にかけ全車種で電動化対応するほか、国内での登録車販売を21年3月期比1・5倍に伸ばす目標などを盛り込んだ。出遅れていた電動化対応を最大のテーマとして、トヨタとも連携しながら取り組みを加速する。

4月からの新中計では走行時二酸化炭素(CO2)と製造時CO2の排出削減、高品質の維持の三つを柱とした。中でも最重点に置くのが、電動化だ。エンジンとモーターを使い分けて走行する「ストロングハイブリッドシステム」を自社開発するほか、商用車用ハイブリッドシステムやプラグインハイブリッド車(PHV)、電気自動車(EV)の開発も進める。5年で1兆円の研究開発費を計画するが「ほぼ全額に近い所を電動化に投じる」(鈴木社長)。

資本提携するトヨタとはEV用車体といった電動化技術や、アフリカでの物流・サービス体制構築などのほか「部品の共通化でコストダウンできる所は一緒にやりたい」(同)と、連携を深める。

販売では新興国を今後も成長の柱に位置付け、主力のインドでは取り込めていない農村部などを開拓する。26年3月期の4輪車販売目標は、20年3月期比約3割増となる370万台とした。鈴木社長は「いま一度社是の原点に立ち返り創業者の『お客様のためならどんなことをしてでもこたえろ。頑張れば、できるもんだ』を決意として取り組んでいく」と抱負を語った。

修氏「電動化、一層必要」

鈴木会長は退任について24日の会見で以下のように述べた。

中計を16年に作り、21年に終わるタイミング。ちょうど21年4月から長期計画をつくることになった。カーボンニュートラルが国家政策として受けとめられている。世界各国のCO2排出規制が厳格化されたこともありHV、EVなど電動化が一層必要と考えている。

100万台におよぶ大規模なリコールを出した。品質向上、ならびに不具合の早期対応も当社にとっては生き残りをかけるところにきている。21年1月に電動化と品質向上を二本柱とする新たな中計、初年度における22年3月期の基本方針を取りまとめた。取締役、経営幹部に同意を得て本日、取締役会で承認を受けた。今回、策定した中計は30年、50年の基礎を作るものだ。本計画の着実な実行を推進するため役員体制を一新する。本計画の経営方針に忠実に実行するために、相談役に就くこととした。

日刊工業新聞2021年2月25日

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