「孤立」という病にどう寄り添う?つながりを取り戻すには?緩和ケア医の答え
医療技術や公衆衛生の発達に伴って人類の「生きる権利」は年々強化されてきた。しかし、寿命が伸び健康状態が改善された反面、逆に「死ぬ権利」を求める声が出てくるようになった。このような主張が展開されている背景には「どう生きるのか」を考える機会の少なさや他者とつながりの減少にあるのかもしれない。
そこで医療行為ではない「社会のつながり」といったアプローチで患者を支える「社会的処方」を実践する一般社団法人プラスケア(川崎市中原区)代表理事で緩和ケア内科医の西智弘さんに話を聞いた。
―社会的処方を始めたきっかけは。世の中には薬を処方するだけでは解決できない医療問題もあると感じていた。人とのつながりを強めないと孤立という病を解決することはできないと思う。医師や看護師などだけが、医療を作っているのではない。たまたま相談した相手が医師だった、というような肩の力が抜けた関係性が理想ではないかと思い、始めた。
・社会的処方とは? 従来の医療では対応が難しい問題に対して、患者の非医療ニーズを地域の多様な活動やサークルへ橋渡しすることで、患者の自律的に生きていく支援をしていく仕組み。―社会的処方の取り組みで重視している点は。
「おしつけ」をしない、「放置」もしない、ちょうど真ん中の「おせっかい」が重要だと思う。
例えば、引きこもりの人がいる。その人に対して、「働いた方がいい」とか「日の光を浴びるべきだ」と無理やり外へ連れ出す。これは価値観を強要するおしつけだ。その対極に全く他者に関わらない放置があるのではないか。対して、おせっかいは、その人の家に毎日行って声をかけるや郵便受けを見て、配達物が溜まっていないか確認するなど、あくまで「見守る」ことだ。
おしつけは良い方向に導いてやるといった「上から目線」なのかもしれない。実際、引きこもりの人が望んでいない支援をすることは長続きしない上、かえって状況を悪くすることもある。だから、その人が本当に外に出たくなった時に何ができるのか、どんな状況にあっても「あなたにとって最善策を一緒に考えますよ」という姿勢を示し続けることが重要だ。
―現代だと「あの人はこんな属性の人」というように他人が役割を与えてしまうことが多いです。私が担当する患者さんでも、家族や医療側が「がんになり苦しんでいる患者」という役割を与えてしまうと、患者さんはそれになりきってしまう。そうなると、元気だった人も身体的、心理的に弱ってしまうことが多い。だから例え患者さんたちが同じ病気だったとしても、病気にかかる前のそれぞれ過ごしてきた時間を無視した役割を与えてはいけない。個人の役割は誰かが与えるものではなく、本人の得意なことから見つけていくものだと思う。実際、役割を見つけられた人は心身ともに良い状態になることを実感し、社会的処方に活かしているようだ。
―役割を見つけた例は。その患者さんは「自分はただの主婦で、がんになって苦しい」というように、まさに周りから役割を与えられた患者さんだった。しかし、我々がその方のアルバムを見ながら、話をすると昔は子供服を自身で作っていたことが分かった。そこで裁縫教室を開き、子供連れの主婦の方に自身の技術を教えてもらうことにした。コミュニティーの主婦の方にすれば、中々なじみの無いミシンの技術を学ぶことができるし、その患者さんにすれば自分の経験を資産にしてつながりを得ることができる。そこには主婦の方の子供だっている。3世代が交流する仕組みになっている。
自然と多世代が集まってきて、自然と交流を深める。これこそが多世代交流だと思うし、個人の特性を見つめ、役割を見つける社会的処方の文脈にも沿っているのではないだろうか。
医師の中でも、自分が得意とする治療法が最も良く、それ以外の治療であれば他の医師に診てもらってくださいという姿勢は少なくない。それはプロではないと思う。医師と患者の差の間には大きな情報格差があり、それを無視した対応は患者にとって支配的ではないか。本当のプロはどんな状況や道であっても目を離すべきではない。「私はAの治療の方がいいと思うが、Bの選択肢であっても納得できる生き方をできるようにお手伝いします」と伝え、どんな状況でも専門知識で現状を少しでも良い方向にリカバーする心構えが必要だ。例え患者さんの余命が短くなるような治療法を選択したとしても、それによって患者さんのQOLが高まるのであれば、医師としてサポートするべきだ。 それと同時に治療を選ぶ患者さんも「本当に自分がやりたい治療法なのか」ということを考えてほしい。
―著書でも患者が家族の前で話す時と、医師と2人きりで話す時ではやりたい治療法が異なると書かれていました。だからこそ、家族や周りの人にはその人が普段何を言っていたかということを覚えておいてほしい。その人の何気ない一言や行動に死生観やどう生きたいかという意識が息づいている。家族やコミュニティーの近くの人はもっとたくさん会話をしてほしいと思う。それでも最後に重要なのは、本人が物事を「決める」という意識だ。
―自分で何かを決める前に誰かの答えを安易に求めてしまう風潮を感じます。若い世代の中には「やりたいことわからない」という声を耳にする。特に世間からは「何をしたいか考えろ」と強要されている。
さらにテクノロジーが進化していき、考える能力まで浸食され、依存しているのではないか。そこで重要なのは自身のアイデンティティや考えること。テクノロジーと切り離さなくてはいけないという姿勢だ。すべてをテクノロジーに代替されると精神までも「堕落」してしまう。そうなるとどう生きるのかや、どう死にたいのかなど、個人でしか答えの出せない問いを考えられなくなる。
―考える力はいかにして養えばよいでしょうか。やはり教育が重要ではないか。ただ、子供たちは大人が与えるドリルや教科書で勉強することだけでは、この力は身につかないだろう。些細なことだが、「今日の晩御飯は何を食べるか」など、本人の好みに基づいて行動を選択していく習慣を身に着けてほしい。
―社会に出て、働いている方は習慣を身に着ける時間が少ないように感じます。基本的には子供と同じだと思う。自分で物事を選ぶ意識を持たないといけないのではないだろうか。家と仕事の往復以外に「ほっとできる」、自分が生きている実感を感じられる時間が必要ではないか。生活に少しでも良いので、自分の色を付けていってほしい。そういった積み重ねによって考える習慣が身についてくるのではないだろうか。
【略歴】 西智弘(にし・ともひろ)
川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科医師
一般社団法人プラスケア代表理事
2005年北海道大学卒。室蘭日鋼記念病院で家庭医療を中心に初期研修後、川崎市立井田病院で総合内科/緩和ケアを研修。
その後2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科を研修。
2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。一方で、一般社団法人プラスケアを2017年に立ち上げ代表理事に就任。「暮らしの保健室」や「社会的処方研究所」の運営を中心に、「病気になっても安心して暮らせるまち」をつくるために活動。日本臨床腫瘍内科学会がん薬物療法専門医。
著書に『社会的処方(学芸出版社)』『だから、もう眠らせてほしい(晶文社)』など