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マスクを寄付する“タイガーマスクな人たち”の深層心理、行為自体が快楽に!?

「ジコチュー」は生き残れないのが日本の歴史

新型コロナウイルスの感染拡大で国民の多くがマスク不足に陥っている中、匿名での寄付が相次いでいる。岩手県一関市の一関看護専門学校には3月末に、マスク100枚と消毒液9本、新潟・弥彦村にはマスク8000枚が届けられた。長野県岡谷市は4月20日にマスク3000枚が市庁を突然訪れた男性から贈られた。2011年の東日本大震災後にも「タイガーマスク」を名乗る者がでランドセルを各地で寄付した事象を覚えている人もいるだろう。果たして、匿名の寄付はどうしたメカニズムで起きるのだろうか。

日本では「情けは人の為ならず」という人生訓がある。インターネットなどでは、他人への同情はその人のためにはならない、という意味に解釈している人がいるが、正しくは、他人に優しくしたり恩義をかけることは他人に対してだけでなく、巡り巡って自分のところにも戻ってくるという教えだ。いつなんどき自分にも情けを受けたいときが来るかもしれず、そんなときのために日ごろから他人に情けをかける気持ちは大切だと諭されたことがある人もいるだろう。

この人生訓は14世紀後半までに書かれた『太平記』にも記述が登場するほど日本人とはなじみがある。そう聞くと、かなり古い教えのように思えるかもしれないが、そもそも人間は「利他的」な行動によって資源を獲得して子孫を残す能力を高めてきた歴史がある。進化生物学者が何十年も前から主張しているように人が利他的な振る舞いをするのは、自分が必要な時に他者から資源を提供してもらえるからに過ぎない。

現代はともかく、人類史を俯瞰すれば、食料が安定的に供給されなかった時代があまりにも長い。自分が狩りに出かけて食いきれないほど獲物が捕れた場合、分け与えておけば、不猟に終わった時は逆に貰えるようになる。そうしないと生活が回らなかったから、「ただ乗り」する者だけでは種の存続は厳しくなるため、フリーライダーは徹底的に阻害された。

『モラルの起源』(白揚社)によると、すでに旧石器時代に肉を集団で分け合った時には道徳感情が遺伝子に埋め込まれていた可能性が高いとされている。そして、人類の良心が長い期間を経て、緩やかに変化しており、いまだに途上であるとの仮説を掲げる。

褒め言葉も脳は報酬と捉える?

 

利他的な行為は互恵的利他行動という考え方に基づいている。これは「お互い様」の精神だ。すぐにではないにしろ、いいことをしておくと、いつかは「お返し」してもらえるという発想である。

直接的に恩を与えた人間から返ってこないにしても、利他的な行動は個人の「評判」を高める効果がある。評判が高まれば、巡り巡って、経済的な尺度でより高いリターンが期待できるようになる。

また、最近の脳の研究では金銭や名誉といったものではなく、他人の褒め言葉も脳の中では報酬になるという。「いいこと」とされる行為をすることで評判が高まり、「あの人、本当にいい人ね」といわれるとそれだけで、また、「いいこと」をしたくなるわけだ。その上、経済的な恩恵も期待できる。

ここまでで、なぜ、人は利他的な行為をするのかがぼんやりと把握できたとしても、ひとつの疑問が浮かぶはずだ。「そうはいっても、匿名で寄付する行為はどう説明するんだ」と。匿名では、第三者には誰がいいことをしたかはわからず、「評判」は生まれない。褒められもしないから快感もない。でも、匿名でいいことをする人は皆さんご存じのように意外に多い。

今回の新型コロナ感染拡大に伴う匿名の寄付以上に、世間を驚かせたのが「タイガーマスク現象」ではないだろうか。

2011年の東日本大震災以降、ボランティアや寄付行為が盛んになり、タイガーマスクの主人公である伊達直人を名乗る人物が群馬県中央児童相談所にランドセル10個を贈ったことを皮切りに、全国各地の児童養護施設にランドセルを送る動きが起き、世間の注目を集めたことを覚えている人も多いだろう。一部では「迷惑な奴だ」、「マネーロンダリングの一環だ」、「パチンコの新台のタイガーマスクの宣伝だ」などいいろいろな噂がたっては消えた。こういう噂が立つ背景には「人は報酬もなく、自ら他人のために、そんなことをするのか」という疑問があるのは明らかだ。

だが、伊達直人騒動ほど目を引かないにしろ、我々の回りにはそういう利他的な行動は少なくない。

例えば、冬の入試シーズンにはトラックの運転手が試験時間に遅れそうな受験生を車に乗せて試験会場まで送り届け、名前も名乗らず去っていったという話は何年かに一度はワイドショーで取り上げられる。

このような人々は、例え名前を名乗らないにしても他者に対して親切に振る舞うという行為自体を報酬と感じる仕組みがあるという。

『利他学』(新潮選書)によると、巡り巡って返ってくる利他行動が進化した結果、そのようなメカニズムが生まれた可能性が高いという。つまり、「伊達直人」のような人々は普段から利他的な行動をすることによって、彼・彼女を良く知る人からサポートを受けており、利他的な行為がもたらす恩恵を知っている。誰に褒められることがなくても、経験則から利他的行為が後のリターンにつながることがわかっているため、行為自体が快楽になっているというわけだ。科学的にはわからないことが多いが「脳は利他的に振る舞うように進化したのではないか」との指摘も専門家からある。

 

こういう風に述べると、「純粋に社会の役に立ちたいだけでは」との意見もあるだろう。だが、残念ながら、自身の生活が困窮しながらも寄付するような人はほとんどいないだろう(稀に存在することは否定しないが)。そもそも、前述のように、遺伝子や脳のメカニズムにもかかわる可能性のある問題だけに本人がリターンに自覚的か否かは測りようがないともいえる。

ちなみに、「伊達直人」による寄付は2019年現在の今も各地で起きている。山形県南陽市役所には毎年ランドセルが今でも届く。愛媛県松山市にある、四国唯一の朝鮮学校「四国朝鮮初中級学校」には4年ほど前から毎年秋になると米が送られてくるという。

(文=栗下直也)
ニュースイッチオリジナル
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
欧米の場合、積極的な寄付活動の下地には、金儲けは悪という宗教的な問題もありますね。

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