本社幹部に抜擢された日本マイクロソフト社長、その手腕と希望
「平野拓也」とは何者か?
日本マイクロソフトの平野拓也社長が2019年8月31日付で退任し、9月1日付で、米MicrosoftのOne Microsoft Partner Group(ワンマイクロソフトパートナーグループ)バイスプレジデント グローバルシステム インテグレーター ビジネス担当に就任することが発表された。
平野氏は、9月1日以降、米国ワシントン州レドモンド市の米マイクロソフト本社で勤務。日本を含む全世界を対象にしたパートナー支援を担当することになる。マイクロソフトでは、全世界のビジネスの95%をパートナー経由で販売しており、平野氏が担うのは、同社のビジネスをドライブする上で、まさに重要な役割となる。
そして、もうひとつ興味深いのは、9月以降、日本マイクロソフトの特別顧問に兼務で就任するということだ。これまでにはない役職で、米本社に籍を置きながら、日本法人にも役職を置くのは異例だ。
現在、マイクロソフトでは、本社に勤務する幹部が、それぞれの出身国の企業のデジタルトランスフォーメーションを支援するため、3カ月に一度、母国に帰って、最重要顧客との接点を強化するという取り組みを戦略的に行っている。
日本人では唯一、米マイクロソフト本社幹部に名前を連ねる、クラウドビジネスを統括する沼本健コーポレートバイスブレジデントが、昨年来、3カ月に一回のペースで来日。その活動のなかで、マイクロソフトとソニーのストリーミングゲーム領域での共同開発の提携が生まれた。
平野氏の場合も、こうした取り組みに加えて、日本マイクロソフトの特別顧問という立場で、同社の経営面での支援を行うことになりそうだ。
平野氏は、マイクロソフトのなかでも異例の経歴を持つ。1970年に日本人の父と米国人の母の間に生まれ、北海道出身の自らを「道産子」と呼ぶ平野氏は、千葉県幕張の高校を卒業後、米ブリガムヤング大学に進学。卒業後、1995年に、Kanematsu USAに入社し、社会人としてのキャリアをスタートした。
2001年には、ハイペリオンの日本法人社長に就任。その経験を経て、2005年8月にマイクロソフト(現日本マイクロソフト)に入社し、ビジネス&マーケティング部門を担当。その後、エンタープライズビジネスを担当してきた。
大きな転機は、2011年7月からの3年間、Microsoft Central and Eastern Europe担当マルチカントリーゼネラルマネージャーとして、東欧や中欧の25カ国のビジネスを統括したことだ。
対象としたのは、バルト3国や地中海沿岸国、そして、モンゴルまでを含む。その多くが新興国だ。日本法人に勤務していた社員が、海外の現地法人のビジネスを統括するという例はそれまでになく、米本社からもその手腕が高く評価されていたことがわかる。
「日本では、単一民族の環境のなかで仕事をしていたが、まさにダイバーシティといえる環境で仕事をした。文化が異なるなかでの苦労の連続だった」と平野氏は振り返るが、この時の経験が、自らを成長させたとも語る。
そして、このときに大きな成果をあげている。全世界のマイクロソフトを対象にした社内表彰制度において、平野氏は、TOP SUB AWARDを2年連続で受賞。事業を成長させた平野氏の手腕が、米本社からも高い評価を受けていたことがわかる。
2015年7月からは、前任の樋口泰行氏(現・パナソニック代表取締役専務執行役員)の後を継いで、日本マイクロソフトの社長に就任。日本マイクロソフトをクラウド企業へと大きく変革させながら、事業成長をドライブさせた。
たとえば、2016年度までにクラウドの売上げ構成比を全社の50%に引き上げること、2019年度にはSurfaceの国内販売台数を前年比1.5倍に拡大することを目標に掲げて事業を推進。いまは、2020年度に国内ナンバーワンクラウドベンダーになることを目指しているところだ。
実際、平野氏が、社長として日本マイクロソフトを指揮した2016年度~2018年度の3年間の総成長金額は、2006年~2016年度の10年間の総成長金額の2倍に達しており、日本のビジネスを大きく伸ばした。そして、今年度に1.5倍増にするSurfaceの販売計画も、すでに達成している。
また、働き方改革に率先して取り組み、日本マイクロソフトを、「働き方改革推進企業」と名付け、日本マイクロソフトが実証ケースとなりながら、勤務制度の変更や、在宅勤務やモバイルワークを促進してきた。
平野社長自らも、まったく紙を使わない仕事をしたり、社長室の会議スペースやオフィス内の会議エリアには、椅子を置かず、立ったまま会議をすることで効率的な会議をするといったことも実行してきた。こうした様々な働き方改革の成果をもとに、2019年8月には、週休3日の取り組もうとしているところだ。
今回の平野氏の米本社バイスプレジデントへの就任は、東中欧および日本マイクロソフトの経営トップとしての功績が評価されたものだ。特に、日本は、パートナーとの連携が極めて強い国であり、そこでの実績が、今後は、グローバルで生かされることになる。
外資系企業の日本法人トップが、本社のなかで幹部として活躍する例は意外にも少ない。時価総額世界トップ5に入るマイクロソフトにおいて、そうした動きが生まれたことは、マイクロソフトにおける幹部への日本人登用、ひいては外資系IT企業において、日本が幹部として活躍できる道筋を作るきっかけになるかもしれない。
スポーツ界では、すでに多くの日本人がグローバルで活躍し、先頃、八村塁選手が、NBAのドラフト一巡目に指名され、話題を集めたばかりだ。経済界やIT業界においても、日本人が本社幹部として活躍する動きを加速させることができるか。その点でも、平野氏の新たなポジションでの挑戦に注目したい。
なお、日本マイクロソフトの次期社長については、2019年8月後半以降に発表される公算が高そうだ。
(文=フリージャーナリスト・大河原克行)
平野氏は、9月1日以降、米国ワシントン州レドモンド市の米マイクロソフト本社で勤務。日本を含む全世界を対象にしたパートナー支援を担当することになる。マイクロソフトでは、全世界のビジネスの95%をパートナー経由で販売しており、平野氏が担うのは、同社のビジネスをドライブする上で、まさに重要な役割となる。
「日本」の特別顧問を兼務
そして、もうひとつ興味深いのは、9月以降、日本マイクロソフトの特別顧問に兼務で就任するということだ。これまでにはない役職で、米本社に籍を置きながら、日本法人にも役職を置くのは異例だ。
現在、マイクロソフトでは、本社に勤務する幹部が、それぞれの出身国の企業のデジタルトランスフォーメーションを支援するため、3カ月に一度、母国に帰って、最重要顧客との接点を強化するという取り組みを戦略的に行っている。
日本人では唯一、米マイクロソフト本社幹部に名前を連ねる、クラウドビジネスを統括する沼本健コーポレートバイスブレジデントが、昨年来、3カ月に一回のペースで来日。その活動のなかで、マイクロソフトとソニーのストリーミングゲーム領域での共同開発の提携が生まれた。
平野氏の場合も、こうした取り組みに加えて、日本マイクロソフトの特別顧問という立場で、同社の経営面での支援を行うことになりそうだ。
異色の経歴
平野氏は、マイクロソフトのなかでも異例の経歴を持つ。1970年に日本人の父と米国人の母の間に生まれ、北海道出身の自らを「道産子」と呼ぶ平野氏は、千葉県幕張の高校を卒業後、米ブリガムヤング大学に進学。卒業後、1995年に、Kanematsu USAに入社し、社会人としてのキャリアをスタートした。
2001年には、ハイペリオンの日本法人社長に就任。その経験を経て、2005年8月にマイクロソフト(現日本マイクロソフト)に入社し、ビジネス&マーケティング部門を担当。その後、エンタープライズビジネスを担当してきた。
大きな転機は、2011年7月からの3年間、Microsoft Central and Eastern Europe担当マルチカントリーゼネラルマネージャーとして、東欧や中欧の25カ国のビジネスを統括したことだ。
対象としたのは、バルト3国や地中海沿岸国、そして、モンゴルまでを含む。その多くが新興国だ。日本法人に勤務していた社員が、海外の現地法人のビジネスを統括するという例はそれまでになく、米本社からもその手腕が高く評価されていたことがわかる。
「日本では、単一民族の環境のなかで仕事をしていたが、まさにダイバーシティといえる環境で仕事をした。文化が異なるなかでの苦労の連続だった」と平野氏は振り返るが、この時の経験が、自らを成長させたとも語る。
そして、このときに大きな成果をあげている。全世界のマイクロソフトを対象にした社内表彰制度において、平野氏は、TOP SUB AWARDを2年連続で受賞。事業を成長させた平野氏の手腕が、米本社からも高い評価を受けていたことがわかる。
「クラウド」企業へ導く
2015年7月からは、前任の樋口泰行氏(現・パナソニック代表取締役専務執行役員)の後を継いで、日本マイクロソフトの社長に就任。日本マイクロソフトをクラウド企業へと大きく変革させながら、事業成長をドライブさせた。
たとえば、2016年度までにクラウドの売上げ構成比を全社の50%に引き上げること、2019年度にはSurfaceの国内販売台数を前年比1.5倍に拡大することを目標に掲げて事業を推進。いまは、2020年度に国内ナンバーワンクラウドベンダーになることを目指しているところだ。
実際、平野氏が、社長として日本マイクロソフトを指揮した2016年度~2018年度の3年間の総成長金額は、2006年~2016年度の10年間の総成長金額の2倍に達しており、日本のビジネスを大きく伸ばした。そして、今年度に1.5倍増にするSurfaceの販売計画も、すでに達成している。
また、働き方改革に率先して取り組み、日本マイクロソフトを、「働き方改革推進企業」と名付け、日本マイクロソフトが実証ケースとなりながら、勤務制度の変更や、在宅勤務やモバイルワークを促進してきた。
平野社長自らも、まったく紙を使わない仕事をしたり、社長室の会議スペースやオフィス内の会議エリアには、椅子を置かず、立ったまま会議をすることで効率的な会議をするといったことも実行してきた。こうした様々な働き方改革の成果をもとに、2019年8月には、週休3日の取り組もうとしているところだ。
今回の平野氏の米本社バイスプレジデントへの就任は、東中欧および日本マイクロソフトの経営トップとしての功績が評価されたものだ。特に、日本は、パートナーとの連携が極めて強い国であり、そこでの実績が、今後は、グローバルで生かされることになる。
道筋を作る
外資系企業の日本法人トップが、本社のなかで幹部として活躍する例は意外にも少ない。時価総額世界トップ5に入るマイクロソフトにおいて、そうした動きが生まれたことは、マイクロソフトにおける幹部への日本人登用、ひいては外資系IT企業において、日本が幹部として活躍できる道筋を作るきっかけになるかもしれない。
スポーツ界では、すでに多くの日本人がグローバルで活躍し、先頃、八村塁選手が、NBAのドラフト一巡目に指名され、話題を集めたばかりだ。経済界やIT業界においても、日本人が本社幹部として活躍する動きを加速させることができるか。その点でも、平野氏の新たなポジションでの挑戦に注目したい。
なお、日本マイクロソフトの次期社長については、2019年8月後半以降に発表される公算が高そうだ。
(文=フリージャーナリスト・大河原克行)
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