《ヤマハ編》ザ・インタビュー~「ボーカロイドの父」新たな挑戦(後編)
剣持秀紀ニューバリュー推進室室長「若い人たちに成功の実感を味わってもらうことが正しい方向性」
後編は剣持さんの新しいプロジェクトに話が展開していきます。
「結局、剣持さんが決めちゃうんでしょ」という空気を変える
―ヤマハに入るきっかけを教えて下さい。
「大学での専攻は電波。その中でも波長が低くて60ヘルツぐらいの電波で、地球の周りのプラズマで自然発生するものを扱っていました。そのような電波を人工衛星『あけぼの』のアンテナで観測して、データを信号処理して到来方向を推測するような研究です。今年、『あけぼの』引退のニュースをみて懐かしくなりました」
「信号処理とかソフトウェアの素養がヤマハで生かせるんじゃないか、と考えたのと、地元の静岡(ヤマハの本社は静岡県 浜松市)に戻ろうと。小さいころはピアノ教室にも通っていて、家のピアノもヤマハでしたから」
―会社生活で曲折がありながら、今では「ボーカロイドの父」と呼ばれています。
「ちょっと恥ずかしいですけど、企業人としては嬉しいです。ヤマハの楽器のことを知らなくても、ボーカロイドのことは知っている子どももたくさんいますし、『こういう面白いことをやっている会社なんだ!』ということを世の中に伝えられたのかな、と思っています」
ボーカロイドの学会発表を積極的にやったことで他の分野にも波及
―ビジネス面以外でボーカロイドが社内に生み出した価値があったとすれば。
「一つは、学会発表をより積極的にやるようになったことでしょうか。ヤマハは以前から建築音楽の分野で学会発表とかもしていましたが、他の分野ではあまりしていませんでした。以前は、ノウハウを外に話すのはどうなのか、という雰囲気もあったかもしれません」
「ボーカロイドの研究開発では意識的に発表をやって、学会で仲間が見つかったり、それで共同研究につながったりしたケースもあります。あとは、リクリーティングの面でも音声分野の技術系の学生さんが希望して入ってくれるようになりましたね」
―これからもっと「ボーカロイド」が広がる可能性がある中で、今年1月にプロジェクトから外れました。ご自身の意向ですか。
「15年もボーカロイドをやってきて悪い面も出てきていると思うんですよ。私がやってもできないこともある。上の人には2011年くらいから将来は別のことをやりたいと伝えていました」
―結構前からですね。具体的に悪い面とは。
「『結局、剣持さんが決めちゃうんでしょ』という空気があるように感じました。また、会議で高圧的になったり、自分の考えを押しつけてしまったり、振り返るとそういう部分が実際にあったかなと。ただ同じ仕事を10年以上、ヤマハの中でやらせてもらった事は本当にありがいことです」
―次のポジションは新規事業を支援するニューバリュー推進室のトップです。これもご自身の意向ですか
「いえ。上からです。去年の12月21日に呼び出されて1月1日付で、と言われました。聞いた時は、大変そうだけど面白そうだと思いましたね。あと、あいさつ回りが大変だなと(笑)」
「クリプトンの伊藤さん、佐々木さんとかには要件を言わず、新年早々アポだけを入れて札幌に行きました。異動の件を話した時は、非常に驚かれましたが、特に不安のような事は表だって言われませんでした。内心はどうお感じになったかは分かりませんが、半年が過ぎて、自分がいないチームも新しいカラーが出てきて良かったと思っています」
「結局、剣持さんが決めちゃうんでしょ」という空気を変える
―ヤマハに入るきっかけを教えて下さい。
「大学での専攻は電波。その中でも波長が低くて60ヘルツぐらいの電波で、地球の周りのプラズマで自然発生するものを扱っていました。そのような電波を人工衛星『あけぼの』のアンテナで観測して、データを信号処理して到来方向を推測するような研究です。今年、『あけぼの』引退のニュースをみて懐かしくなりました」
「信号処理とかソフトウェアの素養がヤマハで生かせるんじゃないか、と考えたのと、地元の静岡(ヤマハの本社は静岡県 浜松市)に戻ろうと。小さいころはピアノ教室にも通っていて、家のピアノもヤマハでしたから」
―会社生活で曲折がありながら、今では「ボーカロイドの父」と呼ばれています。
「ちょっと恥ずかしいですけど、企業人としては嬉しいです。ヤマハの楽器のことを知らなくても、ボーカロイドのことは知っている子どももたくさんいますし、『こういう面白いことをやっている会社なんだ!』ということを世の中に伝えられたのかな、と思っています」
ボーカロイドの学会発表を積極的にやったことで他の分野にも波及
―ビジネス面以外でボーカロイドが社内に生み出した価値があったとすれば。
「一つは、学会発表をより積極的にやるようになったことでしょうか。ヤマハは以前から建築音楽の分野で学会発表とかもしていましたが、他の分野ではあまりしていませんでした。以前は、ノウハウを外に話すのはどうなのか、という雰囲気もあったかもしれません」
「ボーカロイドの研究開発では意識的に発表をやって、学会で仲間が見つかったり、それで共同研究につながったりしたケースもあります。あとは、リクリーティングの面でも音声分野の技術系の学生さんが希望して入ってくれるようになりましたね」
―これからもっと「ボーカロイド」が広がる可能性がある中で、今年1月にプロジェクトから外れました。ご自身の意向ですか。
「15年もボーカロイドをやってきて悪い面も出てきていると思うんですよ。私がやってもできないこともある。上の人には2011年くらいから将来は別のことをやりたいと伝えていました」
―結構前からですね。具体的に悪い面とは。
「『結局、剣持さんが決めちゃうんでしょ』という空気があるように感じました。また、会議で高圧的になったり、自分の考えを押しつけてしまったり、振り返るとそういう部分が実際にあったかなと。ただ同じ仕事を10年以上、ヤマハの中でやらせてもらった事は本当にありがいことです」
―次のポジションは新規事業を支援するニューバリュー推進室のトップです。これもご自身の意向ですか
「いえ。上からです。去年の12月21日に呼び出されて1月1日付で、と言われました。聞いた時は、大変そうだけど面白そうだと思いましたね。あと、あいさつ回りが大変だなと(笑)」
「クリプトンの伊藤さん、佐々木さんとかには要件を言わず、新年早々アポだけを入れて札幌に行きました。異動の件を話した時は、非常に驚かれましたが、特に不安のような事は表だって言われませんでした。内心はどうお感じになったかは分かりませんが、半年が過ぎて、自分がいないチームも新しいカラーが出てきて良かったと思っています」
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