「自動車の性能は上がっているのに、人の輸送効率は悪化している」
<自動運転の未来>大口敬氏「私の仮説は人間が運転に熱心でなくなった」
自動運転はバラ色の未来のように語られがちだ。しかし最初は従来の車との混在が必要など、十分に機能を果たせないことも考えられる。専門家はどう見ているのだろうか。東京大学生産技術研究所教授で交通制御工学を担当する大口敬氏は、政府の審議会等で活躍する一方、2018年7月にモビリティ・イノベーション連携研究機構の立ち上げにも深く関わって学際的な研究にも着手した。自動運転が交通システムにもたらすイノベーションの可能性について聞いた。
ー自動運転の未来について、どう考えますか。
「同じ『自動運転』でも、人によって意味がまるで違うんですよ。物流だったり、シェアリングが絡んだり。ドライバーはいるのか、それともハンドルのない車なのか。低速のモビリティーサービスから、奇想天外な“空飛ぶクルマ”みたいなものまであります。ここでは話を絞って、現在の乗用車に自動機能がついて人の移動をする一般的なものを前提にしましょう」
「自動運転が世間にもてはやされるようになって5年ぐらいでしょうか。しかしメーカーや、先端的なサービス事業者にとっては、一つの技術進歩に過ぎません。それに、例えば自動運転車が今の乗用車の数倍もする価格で発売されて、どれだけの人が買うでしょうか。それだけのステータスがあるか。そうした社会的制約もあります。技術が進んだからといって世の中が激変するわけではありません」
ー実用化には時間がかかるということでしょうか。
「高速道路向けにオートクルーズが登場したのは1990年代。これだって自動運転の一種です。当時は使い勝手が良くなかったが、この数年、ブラッシュアップされて利用しやすくなりました。そうやって技術は段階的に進みます。オートマチック・トランスミッション(自動変速)とか、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)なども実に高度な自動化で、運転しやすさと搭乗者の安全に貢献してきました」
「人の移動を考えるとき、『戦略』となるのは『どこを目的地とするか』『どんなルートを使うか』です。その自動化したツールがカーナビゲーション・システムであり、すでに実用化されています。いま話題にしている自動運転は『どうやって安全に走らせるか』という『戦術』ツールです。自動運転のレベルは5段階に分けることが多いですが、このうち『レベル4』とか、『レベル5』の完全自動運転を実現するには、戦術と戦略の双方の自動化を統合する必要があります」
「大げさに言えば自動車というものは、誕生した時から人の移動を自動化するのが目的でした。今の戦術的ツールである自動運転も、そうした長いステップの途中にあります。しかも自動運転は、まだ群雄割拠の時代にすらなっていません」
ーただ、実用化されれば車の新しい使い方が生まれますよね。
「スイッチひとつで、あらかじめ登録した目的地に自動的に強制的に連れて行くシステムが出来たとします。そんな車を、人々は本当に望んでいるかよく考えてみる必要があります。買い物に行く途中で忘れていた別の店に寄ったり、おいしそうな店を見つけて食事に入ったり、知人と会って家まで送ったり。運転の途中で行き先を変更するのは、人間にとって当たり前ですが、自動化で混まない経路に全ての車を最適化したのに、そんな気まぐれに行き先を変えられては、完全に最適な効率化は不可能です。オートマチックは万能ではありません」
「これは大げさな話ではなくて、最近はカーナビに最新の道路工事情報が登録されていないと、通行止めの標識の前で途方に暮れるドライバーがいるそうです。『おいおい、自分で運転しろよ』と思ってしまいます(笑)。そのうちトイレ休憩もカーナビにセットしないとできなくなるんでしょうか」
ー技術が進めば効率化や渋滞解消に役立つという意見もあります。
「そうとは限らないんですよ。道路の能力を示す『交通容量』という概念があります。私が研究を始めた1980年代は、高速道路の交通容量はおおよそ1時間に2000台程度でした。この数字は昔から今までほとんど変わらないと考えられていましたが、最近の調査で、近年は年を経るごとに減少しているようなのです。これは道路の混雑具合には関係がなく、さまざまな技術が開発され、自動車の性能が格段に上がっているはずなのに、かえって人の輸送効率は悪化しているのです」
ーそれはショッキングですね。なぜでしょう。
「原因のひとつは大型車の速度規制でしょうね。それ以外で私の仮説は『人間が運転に熱心でなくなった』ことです。スピードを出すには運転に集中しないといけませんが、エンジンをめいっぱい回すような走り方はしなくなりました。一方、交通容量の減少と同時に搭乗者の死亡事故は明らかに減っていて、自動車の技術進歩は安全面に効果的だったことが分かります」
「私が言いたいのは、自動運転は確かに自動車にとって重要な進歩だけれど、今の交通の仕組みの中に自動化をそのまま入れるだけでは、イノベーションにならないということです」
自動運転技術は、それだけでは交通イノベーションにならない懸念があると東京大学生産技術研究所教授の大口敬氏は指摘する。では自動運転を活用し、社会を変えて行くにはなにが必要なのか。
ー自動運転技術の普及と共に、すべきことは何でしょう。
「道路のことを考えてみましょう。高速道路を作るときには、まずA-Bの間を何時間で移動すると決めて、それらを元に『設計速度』を設定します。ただ道路予定地には高低差があったり、きついカーブが必要だったりします。そういう条件の悪いところは、やむを得ず速度を落として設計します」
「つまり平坦で走りやすい区間なら、速いスピードで走れるわけです。ところが現実の速度規制は、条件の悪い区間にあわせて『上限』を設定しています。近年、ようやく一部の高速道路で時速100キロメートルを上回る区間が認められましたが、全体としての傾向はあまり変わっていません」
ーそれが自動運転では障害になるのですか?
「自動運転車は、機械的にいまの交通ルールを守るように作られるでしょう。決して速度違反はせず、安全のために車間距離も広めにとる。結果として、交通容量が落ちてしまうことが考えられます。人間のドライバーなら、設計速度の概念から当然安全と認識できる場合には、それ相応のスピードを出すし、適当に車間も詰めます。場合によっては危険なケースもあるかも知れませんが、そうした人間の感覚を織り込んだ上で道路のリスクレベルは管理されているのです。つまり今のルールや道路の構造のまま、高速道路の車列の中に少数の自動運転車が加わると、かえって危険が増したり効率が落ちたりしかねません」
「人間のような柔軟な判断能力を持つ自動運転も、いずれは実用化されるかもしれませんが、現状のAIではまだ到底無理です。それまでには相当な時間がかかるでしょうし、そうしているうちに、自動運転の実用化は海外に先行されてしまう懸念もあります。いまのうちに、行政にカバーしてもらいたい。これまでの道路行政は、渋滞などが問題になってから改善することを繰り返してきたように思います。自動運転を普及させようというなら、将来のことを考えて道路構造のあり方やリスク管理の方法を見直し、イノベーションを促してはどうでしょう」
ー都市の中の道路でも同じことがいえますか。
「基本的には同じですね。いまの自動車の延長で自動運転を認めるという方針だったら、大きな変化は起きないんじゃないかな。本来、自動運転にはパーソナル・モビリティー機能など従来にはない新しい人の移動の形を生む可能性があります。自動車は欧州の伝統的なコーチ(大型四輪馬車)やクーペ(2人乗り馬車)の置き換えとして生まれたものですが、新しい形を生むには道路環境や交通ルールから変えないといけません」
ー高齢者の都市内移動などはどうでしょう。
「車体は小さくて乗り降りが楽。スピードはゆっくりでいい。行き先も、あらかじめ設定した場所だけ。しかし、ドライバーが自分の意思で運転をスタートし、危険を感じたら停止する。私はそれを『究極のレベル2』と呼んでいます。そんな車が発売されたら、高齢者向けに大ヒットするんじゃないでしょうか。レベル5の完全自動運転までいかなくとも、運転支援のレベルで社会を変える可能性があります。高齢者に運転免許を返納してもらうのでなく、限定条件をつけて発行すればいい。必ずしも一気に無人移動サービスにする必要はないんですよ」
ー信号や交差点の形も変わりますか。
「自動運転なら車内で表示すればいいという主張もあります。私は賛成しません。交通社会は、常に他人がどう動くかを意識して成り立っています。信号とは『公的に掲出された情報』であり、皆がその情報を共有しているという安心感が移動の安全を支えています。それに信号がないと、自転車が1台、道路に入っただけでも混乱してしまうでしょう。遠い将来はともかく、当面は変わらないと思います」
ーその他にも、大口先生が自動運転で気にかけていることがあれば教えて下さい。
「いろいろ難しい点を上げましたが、自動車の自動運転は、まあ時間をかければ普及していくし、なんとかなるだろうと思っています。本当に悩ましいのは、公共交通における都市と地方の格差です」
「公共交通って、なんとなく鉄道やバスだと思われているでしょう?しかし人間が生きていく上で、移動は『必然』なんです。食や住と同じで、健康で文化的な最低限度の生活に欠かせない要素です。地域によって大きな格差があるのは、良いことではない。『生きるために必要な移動手段を国民に提供するのは公共的な責任である』、人の移動を、そんな風に定義し直せないでしょうか。MaaS(Mobility as a Service)なども、そういう視点で臨むべきです。日本は課題先進国ですから、世界最先端の取り組みが可能なはずです。その中からイノベーションが生まれれば、世界の模範となり得ます。自動運転が、移動のあり方を考えるきっかけになればと思います」
<プロフィール>
おおぐち・たかし 1964年東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了。日産自動車総合研究所交通研究所を経て、95年東京都立大学工学部土木工学科講師。2000年同大学院助教授。首都大学東京准教授、教授を経て、11年より東京大学生産技術研究所次世代モビリティ研究センター教授、18年同センター長。専門は交通制御工学、交通容量、道路・街路計画設計、交通挙動解析、交通運用影響評価、モビリティシステムなどの研究に従事。警察庁規制速度決定の在り方に関する調査研究委員会など各種委員を多数務める。14年、高速道路サグ部等交通円滑化システムの開発で、国土技術総合政策研究所などとともに、内閣府第12回産学官連携功労者表彰国土交通大臣賞を受賞。主な著作に『平面交差の計画と設計 基礎編 -計画・設計・交通信号制御の手引-』(担当委員会・委員長)『交通渋滞徹底解剖』(編著・前著ともに丸善)『コンパクトシティ再考』(分担執筆・学芸出版社)などがある。>
ー自動運転の未来について、どう考えますか。
「同じ『自動運転』でも、人によって意味がまるで違うんですよ。物流だったり、シェアリングが絡んだり。ドライバーはいるのか、それともハンドルのない車なのか。低速のモビリティーサービスから、奇想天外な“空飛ぶクルマ”みたいなものまであります。ここでは話を絞って、現在の乗用車に自動機能がついて人の移動をする一般的なものを前提にしましょう」
「自動運転が世間にもてはやされるようになって5年ぐらいでしょうか。しかしメーカーや、先端的なサービス事業者にとっては、一つの技術進歩に過ぎません。それに、例えば自動運転車が今の乗用車の数倍もする価格で発売されて、どれだけの人が買うでしょうか。それだけのステータスがあるか。そうした社会的制約もあります。技術が進んだからといって世の中が激変するわけではありません」
ー実用化には時間がかかるということでしょうか。
「高速道路向けにオートクルーズが登場したのは1990年代。これだって自動運転の一種です。当時は使い勝手が良くなかったが、この数年、ブラッシュアップされて利用しやすくなりました。そうやって技術は段階的に進みます。オートマチック・トランスミッション(自動変速)とか、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)なども実に高度な自動化で、運転しやすさと搭乗者の安全に貢献してきました」
「人の移動を考えるとき、『戦略』となるのは『どこを目的地とするか』『どんなルートを使うか』です。その自動化したツールがカーナビゲーション・システムであり、すでに実用化されています。いま話題にしている自動運転は『どうやって安全に走らせるか』という『戦術』ツールです。自動運転のレベルは5段階に分けることが多いですが、このうち『レベル4』とか、『レベル5』の完全自動運転を実現するには、戦術と戦略の双方の自動化を統合する必要があります」
「大げさに言えば自動車というものは、誕生した時から人の移動を自動化するのが目的でした。今の戦術的ツールである自動運転も、そうした長いステップの途中にあります。しかも自動運転は、まだ群雄割拠の時代にすらなっていません」
技術進展=効率化ではない
ーただ、実用化されれば車の新しい使い方が生まれますよね。
「スイッチひとつで、あらかじめ登録した目的地に自動的に強制的に連れて行くシステムが出来たとします。そんな車を、人々は本当に望んでいるかよく考えてみる必要があります。買い物に行く途中で忘れていた別の店に寄ったり、おいしそうな店を見つけて食事に入ったり、知人と会って家まで送ったり。運転の途中で行き先を変更するのは、人間にとって当たり前ですが、自動化で混まない経路に全ての車を最適化したのに、そんな気まぐれに行き先を変えられては、完全に最適な効率化は不可能です。オートマチックは万能ではありません」
「これは大げさな話ではなくて、最近はカーナビに最新の道路工事情報が登録されていないと、通行止めの標識の前で途方に暮れるドライバーがいるそうです。『おいおい、自分で運転しろよ』と思ってしまいます(笑)。そのうちトイレ休憩もカーナビにセットしないとできなくなるんでしょうか」
ー技術が進めば効率化や渋滞解消に役立つという意見もあります。
「そうとは限らないんですよ。道路の能力を示す『交通容量』という概念があります。私が研究を始めた1980年代は、高速道路の交通容量はおおよそ1時間に2000台程度でした。この数字は昔から今までほとんど変わらないと考えられていましたが、最近の調査で、近年は年を経るごとに減少しているようなのです。これは道路の混雑具合には関係がなく、さまざまな技術が開発され、自動車の性能が格段に上がっているはずなのに、かえって人の輸送効率は悪化しているのです」
ーそれはショッキングですね。なぜでしょう。
「原因のひとつは大型車の速度規制でしょうね。それ以外で私の仮説は『人間が運転に熱心でなくなった』ことです。スピードを出すには運転に集中しないといけませんが、エンジンをめいっぱい回すような走り方はしなくなりました。一方、交通容量の減少と同時に搭乗者の死亡事故は明らかに減っていて、自動車の技術進歩は安全面に効果的だったことが分かります」
「私が言いたいのは、自動運転は確かに自動車にとって重要な進歩だけれど、今の交通の仕組みの中に自動化をそのまま入れるだけでは、イノベーションにならないということです」
生きるために必要な移動手段
自動運転技術は、それだけでは交通イノベーションにならない懸念があると東京大学生産技術研究所教授の大口敬氏は指摘する。では自動運転を活用し、社会を変えて行くにはなにが必要なのか。
ー自動運転技術の普及と共に、すべきことは何でしょう。
「道路のことを考えてみましょう。高速道路を作るときには、まずA-Bの間を何時間で移動すると決めて、それらを元に『設計速度』を設定します。ただ道路予定地には高低差があったり、きついカーブが必要だったりします。そういう条件の悪いところは、やむを得ず速度を落として設計します」
「つまり平坦で走りやすい区間なら、速いスピードで走れるわけです。ところが現実の速度規制は、条件の悪い区間にあわせて『上限』を設定しています。近年、ようやく一部の高速道路で時速100キロメートルを上回る区間が認められましたが、全体としての傾向はあまり変わっていません」
ーそれが自動運転では障害になるのですか?
「自動運転車は、機械的にいまの交通ルールを守るように作られるでしょう。決して速度違反はせず、安全のために車間距離も広めにとる。結果として、交通容量が落ちてしまうことが考えられます。人間のドライバーなら、設計速度の概念から当然安全と認識できる場合には、それ相応のスピードを出すし、適当に車間も詰めます。場合によっては危険なケースもあるかも知れませんが、そうした人間の感覚を織り込んだ上で道路のリスクレベルは管理されているのです。つまり今のルールや道路の構造のまま、高速道路の車列の中に少数の自動運転車が加わると、かえって危険が増したり効率が落ちたりしかねません」
「人間のような柔軟な判断能力を持つ自動運転も、いずれは実用化されるかもしれませんが、現状のAIではまだ到底無理です。それまでには相当な時間がかかるでしょうし、そうしているうちに、自動運転の実用化は海外に先行されてしまう懸念もあります。いまのうちに、行政にカバーしてもらいたい。これまでの道路行政は、渋滞などが問題になってから改善することを繰り返してきたように思います。自動運転を普及させようというなら、将来のことを考えて道路構造のあり方やリスク管理の方法を見直し、イノベーションを促してはどうでしょう」
ー都市の中の道路でも同じことがいえますか。
「基本的には同じですね。いまの自動車の延長で自動運転を認めるという方針だったら、大きな変化は起きないんじゃないかな。本来、自動運転にはパーソナル・モビリティー機能など従来にはない新しい人の移動の形を生む可能性があります。自動車は欧州の伝統的なコーチ(大型四輪馬車)やクーペ(2人乗り馬車)の置き換えとして生まれたものですが、新しい形を生むには道路環境や交通ルールから変えないといけません」
ー高齢者の都市内移動などはどうでしょう。
「車体は小さくて乗り降りが楽。スピードはゆっくりでいい。行き先も、あらかじめ設定した場所だけ。しかし、ドライバーが自分の意思で運転をスタートし、危険を感じたら停止する。私はそれを『究極のレベル2』と呼んでいます。そんな車が発売されたら、高齢者向けに大ヒットするんじゃないでしょうか。レベル5の完全自動運転までいかなくとも、運転支援のレベルで社会を変える可能性があります。高齢者に運転免許を返納してもらうのでなく、限定条件をつけて発行すればいい。必ずしも一気に無人移動サービスにする必要はないんですよ」
ー信号や交差点の形も変わりますか。
「自動運転なら車内で表示すればいいという主張もあります。私は賛成しません。交通社会は、常に他人がどう動くかを意識して成り立っています。信号とは『公的に掲出された情報』であり、皆がその情報を共有しているという安心感が移動の安全を支えています。それに信号がないと、自転車が1台、道路に入っただけでも混乱してしまうでしょう。遠い将来はともかく、当面は変わらないと思います」
ーその他にも、大口先生が自動運転で気にかけていることがあれば教えて下さい。
「いろいろ難しい点を上げましたが、自動車の自動運転は、まあ時間をかければ普及していくし、なんとかなるだろうと思っています。本当に悩ましいのは、公共交通における都市と地方の格差です」
「公共交通って、なんとなく鉄道やバスだと思われているでしょう?しかし人間が生きていく上で、移動は『必然』なんです。食や住と同じで、健康で文化的な最低限度の生活に欠かせない要素です。地域によって大きな格差があるのは、良いことではない。『生きるために必要な移動手段を国民に提供するのは公共的な責任である』、人の移動を、そんな風に定義し直せないでしょうか。MaaS(Mobility as a Service)なども、そういう視点で臨むべきです。日本は課題先進国ですから、世界最先端の取り組みが可能なはずです。その中からイノベーションが生まれれば、世界の模範となり得ます。自動運転が、移動のあり方を考えるきっかけになればと思います」
おおぐち・たかし 1964年東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了。日産自動車総合研究所交通研究所を経て、95年東京都立大学工学部土木工学科講師。2000年同大学院助教授。首都大学東京准教授、教授を経て、11年より東京大学生産技術研究所次世代モビリティ研究センター教授、18年同センター長。専門は交通制御工学、交通容量、道路・街路計画設計、交通挙動解析、交通運用影響評価、モビリティシステムなどの研究に従事。警察庁規制速度決定の在り方に関する調査研究委員会など各種委員を多数務める。14年、高速道路サグ部等交通円滑化システムの開発で、国土技術総合政策研究所などとともに、内閣府第12回産学官連携功労者表彰国土交通大臣賞を受賞。主な著作に『平面交差の計画と設計 基礎編 -計画・設計・交通信号制御の手引-』(担当委員会・委員長)『交通渋滞徹底解剖』(編著・前著ともに丸善)『コンパクトシティ再考』(分担執筆・学芸出版社)などがある。>