心疾患・脳卒中の4人に1人の命を救う、“奇跡の薬”を生んだ日本人
“ノーベル賞にもっとも近い日本人”が発見した高脂血症薬スタチン
**研究者の執念
「経営の神様」とも呼ばれるパナソニック創業者の松下幸之助は数々の名言を残しているが、その一つに次のようなものがある。
「執念ある者は可能性から発想する。執念なき者は困難から発想する」
確かに、目標や目的に対し、たとえば「部長は勇ましいこと言っているけど、現場を知らないからだ。そんなの無理に決まってるでしょ」とか言いながら渋々取り組んでいても、なかなか達成はできないだろう。ちょっとした困難にぶつかったら、すぐにあきらめてしまいそうだ。
しかし、たとえ1%の可能性しかなくても、粘り強く試行錯誤を繰り返していけば、何かのきっかけで成功したりするものだ。漫画『SLAM DUNK』からよく引用されるように「あきらめたらそこで試合終了」なのである。
「執念」が偉大な発見やイノベーションに結びついたエピソードは枚挙にいとまがない。電球の発明に使うフィラメントに何千もの素材を試したトーマス・エジソンが「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ」と言ったのは、あまりにも有名だ。
『世界で一番売れている薬』(小学館新書)に描かれているのも、「執念」を偉業につなげた人物の姿だ。タイトルにもなっている「世界一売れている薬」とは、高脂血症薬「スタチン」。血中のコレステロール濃度を下げることで動脈硬化、ひいては心筋梗塞や脳梗塞の発症を抑える薬だ。
高脂血症(高コレステロール血症、高中性脂肪血症などの総称)患者の大半が薬物治療に用いるスタチンは、同書によれば市場に出回って以来、世界中で4000万人が毎日服用しているとされる。過去に行われた大規模臨床試験の結果、心臓疾患や脳卒中の発症率をいずれも3割近く低下させたそうだ。おおよそ3人に1人がスタチンで命を救われるということになる。
このように世界的に優れた効果が認められた“奇跡の薬”を発見したのは、実は遠藤章という日本人研究者なのだ。『世界で一番売れている薬』は、ノンフィクション作家の山内喜美子さんが遠藤博士の足跡を追った評伝である。
遠藤博士は1933年生まれで、製薬会社の三共(現・第一三共)醗酵研究所に勤めていた1973年に、スタチンを発見した。しかしながら、1987年に認可を受け、世界初の製品化にこぎつけたのは米国製薬大手の「メルク」だった。遠藤博士と三共はメルクにサンプルや資料を渡しており、秘密保持契約の甘さからメルクに出し抜かれるかたちになってしまったのだ。
製品化では「世界初」を譲ったものの、遠藤博士の評価が消えたわけではない。2008年「アルバート・ラスカー臨床医学研究賞」、2017年「ガードナー国際賞」といった数々の医学・生理学賞を受賞。今“ノーベル賞にもっとも近い日本人”の一人と言われている。
数々のエピソードを総合すると、遠藤博士は、まさしく「執念の人」だったようだ。執念が、博士の研究の「核」にあったといえる。
博士の執念が如実に現れていると思われるエピソードが二つある。
一つは、世界で最初のスタチンである「ML-236B」(一般名メバスタチン)を発見するまでのプロセスである。ML-236Bは、青カビ(Pen-51)の培養液から抽出精製されたのだが、それまでに2年をかけて、なんと6,388株もの微生物を試しているのだ。
もう一つのエピソードは、動物実験に関するものだ。遠藤博士はML-236Bを三共の中央研究所に送り、ラットによる薬理試験を依頼する。しかし、残念なことにラットには効果がない、という結果が出てしまう。
当時、スタチンのような脂質低下剤の評価には、まずラットを使い、結果がよければイヌに投与してみる、というプロセスが一般的だったという。「ラットに効けばヒトに効く、ラットに効かなければヒトにも効かない」というのが、この世界の常識だった。
この「世界の常識」に照らせば、ML-236Bはあきらめざるを得ないと考えるのが普通だ。しかし博士はどうしてもあきらめられず、さまざまな過去の文献をあさった。すると、「ラットに効かなくてヒトに効く」薬もあることが判明した。
そこで中央研に任せず、自分たちで動物実験を続けることに。そんなある時、行きつけの飲み屋で「出会い」がある。中央研病理部の主席研究員の北野訓敏さんと知り合ったのだ。北野さんはメンドリを使って動物役の病理試験をしていたが、ちょうど終わったところだった。
北野さんに頼み、処分するはずだったメンドリにML-236Bを投与してみたところ、見事にコレステロール値を下げるのに成功した。その後イヌでの評価も成功し、ML-236Bの効果は確かめられたのである。
ML-236Bをあきらめず、執念をもって実験を継続したことが、ひょんなことから「メンドリでの実験」を行える、という「運」を呼び込んだことになる。
遠藤博士の成功の秘訣としては、執念の他に「常識を気にしない発想」「国内外の研究者との密なコミュニケーションと情報交換」を挙げることができる。だが、この二つは、「執念」がなければ、おそらく効果を発揮しないのではないか。
博士の「常識を気にしない発想」は、先ほどの「動物実験にラットではなくメンドリを使う」だけではない。微生物から薬効成分を取り出すには、当時は「放線菌」を使うのが常識だった。だが博士は「カビやキノコ」に賭けることにした。カビやキノコは食品にも使われることから、人体への安全性が放線菌より高いと考えたからだ。
だが、「カビやキノコを使う」という常識外れのアイデアも、遠藤博士の「執念」がなければ成果に結びつかなった。
もちろん執念は他業種においても重要だ。企業などでは、各自が執念を発揮できるような環境を整えることが、イノベーションにつながるのかもしれない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『世界で一番売れている薬』
-遠藤章とスタチン創薬
山内 喜美子 著
小学館(小学館新書)
256p 820円(税別)>
「経営の神様」とも呼ばれるパナソニック創業者の松下幸之助は数々の名言を残しているが、その一つに次のようなものがある。
「執念ある者は可能性から発想する。執念なき者は困難から発想する」
確かに、目標や目的に対し、たとえば「部長は勇ましいこと言っているけど、現場を知らないからだ。そんなの無理に決まってるでしょ」とか言いながら渋々取り組んでいても、なかなか達成はできないだろう。ちょっとした困難にぶつかったら、すぐにあきらめてしまいそうだ。
しかし、たとえ1%の可能性しかなくても、粘り強く試行錯誤を繰り返していけば、何かのきっかけで成功したりするものだ。漫画『SLAM DUNK』からよく引用されるように「あきらめたらそこで試合終了」なのである。
「執念」が偉大な発見やイノベーションに結びついたエピソードは枚挙にいとまがない。電球の発明に使うフィラメントに何千もの素材を試したトーマス・エジソンが「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ」と言ったのは、あまりにも有名だ。
『世界で一番売れている薬』(小学館新書)に描かれているのも、「執念」を偉業につなげた人物の姿だ。タイトルにもなっている「世界一売れている薬」とは、高脂血症薬「スタチン」。血中のコレステロール濃度を下げることで動脈硬化、ひいては心筋梗塞や脳梗塞の発症を抑える薬だ。
高脂血症(高コレステロール血症、高中性脂肪血症などの総称)患者の大半が薬物治療に用いるスタチンは、同書によれば市場に出回って以来、世界中で4000万人が毎日服用しているとされる。過去に行われた大規模臨床試験の結果、心臓疾患や脳卒中の発症率をいずれも3割近く低下させたそうだ。おおよそ3人に1人がスタチンで命を救われるということになる。
このように世界的に優れた効果が認められた“奇跡の薬”を発見したのは、実は遠藤章という日本人研究者なのだ。『世界で一番売れている薬』は、ノンフィクション作家の山内喜美子さんが遠藤博士の足跡を追った評伝である。
遠藤博士は1933年生まれで、製薬会社の三共(現・第一三共)醗酵研究所に勤めていた1973年に、スタチンを発見した。しかしながら、1987年に認可を受け、世界初の製品化にこぎつけたのは米国製薬大手の「メルク」だった。遠藤博士と三共はメルクにサンプルや資料を渡しており、秘密保持契約の甘さからメルクに出し抜かれるかたちになってしまったのだ。
製品化では「世界初」を譲ったものの、遠藤博士の評価が消えたわけではない。2008年「アルバート・ラスカー臨床医学研究賞」、2017年「ガードナー国際賞」といった数々の医学・生理学賞を受賞。今“ノーベル賞にもっとも近い日本人”の一人と言われている。
約6,000株の微生物を試す
数々のエピソードを総合すると、遠藤博士は、まさしく「執念の人」だったようだ。執念が、博士の研究の「核」にあったといえる。
博士の執念が如実に現れていると思われるエピソードが二つある。
一つは、世界で最初のスタチンである「ML-236B」(一般名メバスタチン)を発見するまでのプロセスである。ML-236Bは、青カビ(Pen-51)の培養液から抽出精製されたのだが、それまでに2年をかけて、なんと6,388株もの微生物を試しているのだ。
もう一つのエピソードは、動物実験に関するものだ。遠藤博士はML-236Bを三共の中央研究所に送り、ラットによる薬理試験を依頼する。しかし、残念なことにラットには効果がない、という結果が出てしまう。
当時、スタチンのような脂質低下剤の評価には、まずラットを使い、結果がよければイヌに投与してみる、というプロセスが一般的だったという。「ラットに効けばヒトに効く、ラットに効かなければヒトにも効かない」というのが、この世界の常識だった。
この「世界の常識」に照らせば、ML-236Bはあきらめざるを得ないと考えるのが普通だ。しかし博士はどうしてもあきらめられず、さまざまな過去の文献をあさった。すると、「ラットに効かなくてヒトに効く」薬もあることが判明した。
そこで中央研に任せず、自分たちで動物実験を続けることに。そんなある時、行きつけの飲み屋で「出会い」がある。中央研病理部の主席研究員の北野訓敏さんと知り合ったのだ。北野さんはメンドリを使って動物役の病理試験をしていたが、ちょうど終わったところだった。
北野さんに頼み、処分するはずだったメンドリにML-236Bを投与してみたところ、見事にコレステロール値を下げるのに成功した。その後イヌでの評価も成功し、ML-236Bの効果は確かめられたのである。
ML-236Bをあきらめず、執念をもって実験を継続したことが、ひょんなことから「メンドリでの実験」を行える、という「運」を呼び込んだことになる。
遠藤博士の成功の秘訣としては、執念の他に「常識を気にしない発想」「国内外の研究者との密なコミュニケーションと情報交換」を挙げることができる。だが、この二つは、「執念」がなければ、おそらく効果を発揮しないのではないか。
博士の「常識を気にしない発想」は、先ほどの「動物実験にラットではなくメンドリを使う」だけではない。微生物から薬効成分を取り出すには、当時は「放線菌」を使うのが常識だった。だが博士は「カビやキノコ」に賭けることにした。カビやキノコは食品にも使われることから、人体への安全性が放線菌より高いと考えたからだ。
だが、「カビやキノコを使う」という常識外れのアイデアも、遠藤博士の「執念」がなければ成果に結びつかなった。
もちろん執念は他業種においても重要だ。企業などでは、各自が執念を発揮できるような環境を整えることが、イノベーションにつながるのかもしれない。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
-遠藤章とスタチン創薬
山内 喜美子 著
小学館(小学館新書)
256p 820円(税別)>
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