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「日本製鉄」復活、稲山嘉寛と永野重雄からの悲願

「統合時の日本名は『新』が付いても良いが、海外の名称は復活させよう」
「日本製鉄」復活、稲山嘉寛と永野重雄からの悲願

八幡製鉄と富士製鉄の合併方針を伝える1968年4月18日付本紙の特報

 戦後の1950年の旧日本製鉄解体後、「日本製鉄」の名称が69年ぶりに復活する。新日鉄住金は16日、2019年4月に「日本製鉄」に社名変更すると発表。1970年の八幡製鉄、富士製鉄合併で発足した旧新日本製鉄歴代社長の悲願が半世紀を経てようやく実現する。

 「社名は今はこれでいい。いずれその時期が来る」。2012年10月、当時の新日本製鉄と住友金属工業が合併して現社名になった時から新日鉄出身のある最高幹部はこの日が来るのを予想していた。

 現社名の新日鉄住金という商号も「『住友』の名称を残してほしい」という旧住金側の要求に対し「我々も『日本製鉄』にこだわっていない」とやんわり断り、現社名に落ちついた経緯がある。

 ただ、海外での商号は「NIPPON STEEL&SUMITOMO METAL CORPORATION」とフル表記している。世界のシームレスパイプ市場で圧倒的なブランド力を持つ「井桁」マークが必要だったからだ。

 実は、旧新日鉄発足当時から同社の海外商標は「NIPPON STEEL CORPORATION」だった。明治の官営八幡製鉄所をルーツとし、それに民間製鉄所が大同団結して1934年に発足した旧日本製鉄。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による過度経済力集中排除法で引き裂かれたが、再統合が実現した際、稲山嘉寛、永野重雄両氏の「統合時の日本名は『新』が付いても良いが、海外の名称は復活させよう」との合意があったといわれる。
1969年4月1日の富士製鉄入社式(左は永野重雄社長)

(文=八木沢徹)
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
日本製鉄の名称復活は意味深い。「グローバルに展開していく時に日本発祥の製鉄会社であることを打ち出す」。そう宣言する進藤孝生社長は、旧新日鉄発足から3年後に入社した生え抜きである。 (日刊工業新聞・八木沢徹)

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