「JR本州3社」の社長はくしくも国鉄時代の同期、連携は深まるか
JR東日本・東海でトップ交代、足元の課題と将来への布石
今年、JR東海とJR東日本で社長交代があり、くしくも本州3社の社長が、国鉄78年入社組の同期となった。連携の深化が期待されるところだが、二人の新社長と先輩社長であるJR西日本の来島達夫社長はどんな経営の舵取りを見せるのか。
4月1日付でJR東海の社長に就いた金子慎氏。副社長を6年間務め、満を持して柘植康英会長(前社長)からバトンを引き継いだ。
「鉄道事業は安全が大前提だ。(歴代トップと)同じことを考えながら補佐してきた。施策の内容はこれまでの継続となる。社長が一人で仕事をするわけではない。社員がどれだけ力を出せるか、にかかっている。質問や指示など分かりやすい言葉で語りかけることが大切だ。メッセージの影響を考えながら社員の力を引き出したい」という。
社運をかけるリニア中央新幹線を担当してきたが、静岡県との交渉が難航し、唯一着工できない状況が続く。
「県とは意見が一致しておらず、誠意を尽くして話をしている最中だ。考え方の差を丁寧に埋めていく作業が必要。理解を得て、スケジュールを前へ、前へと進めたい」と話す
一方、東海道新幹線の輸送では日々サービスの改善も求められているが、「(東海道新幹線の)完成度は増してきたが、リニアの開業までは、まだ10年ある。これからも競争力強化の投資を継続していく。相変わらず、経営の“ど真ん中”にある。2020年春には、すべての車両が最高時速285キロメートルになり、良いダイヤが引ける。チケットレスも推進する。リニア開業時の主力は、インターネットで予約をする形にしたい」という。
「若い頃から活躍できる」職場として国鉄を選んだ金子社長。同じく4月1日に社長になったJR東日本の深沢祐二氏は、父親が国鉄連絡船の船乗りだった。大学時代はヨット部で、国鉄に進んだのは「体育会系を積極的に採用していたからだ」と話す。
長らく社長候補の大本命と目されてきた。冨田哲郎会長(前社長)が「引き継ぐことはない」と話すほどだ。冨田氏を最も近くで支え、ともに難題に立ち向かってきた。社長就任の打診にも動じることはなく即答した。会社の課題について誰よりも熟知するからこそ「グループを発展させていく責任を感じている」との言葉に笑みはない。
30年前の国鉄改革で多くの仲間が鉄道の仕事を離れたのが忘れられないという。根底には「2度と(大量離職を)起こしてはいけない」との誓いがある。東日本大震災も自らの仕事に大きな影響を与えた。地元自治体と膝詰めで話し合い、復興に全力で取り組んできた。
16年に就任したJR西日本の来島達夫社長も同社の最大の課題である安全・安心と向き合ってきた。05年の福知山線列車事故の被害者対応の責任者として、事故の遺族や負傷者との対話。広報室長の経験も踏まえ、安全・安心に関する情報発信も重視する。
先日の入社式でも「当社は2005年の福知山線脱線事故、17年に新幹線で重大インシデントを起こした。お客さまの尊い命をお預かりしているのを意識するのは、何より重要。安全性向上に力強く取り組もう」と呼びかけた。
昨年、JRグループは国鉄分割民営化から30周年を迎えた。国鉄時代に開業した新幹線は東海道、山陽、東北(盛岡まで)、上越の4路線だったが、分割民営化後、開発が加速し、九州や北海道にも延伸した。今や高速鉄道のネットワークは全国に張り巡らされている。
2022年には九州新幹線の長崎ルート、23年には北陸新幹線が敦賀まで、31年には北海道新幹線が札幌まで延伸する計画だ。新幹線のネットワークに加え、27年には東京・品川―名古屋間で、リニア中央新幹線が開業する。難工事が想定される品川駅、名古屋駅、南アルプストンネルは、すでに着工しており、リニア中央新幹線は今後のJR東海の行く末も左右する、大事業となる。
JR東日本、JR東海、JR西日本の本州3社は、民営化の際に与えられた車両やネットワーク、サービスを磨きながら事業規模を拡大。それぞれの個性を発揮している。同期3社長は仲間でありライバルでもある。「次の30年」へどんな布石を打つのか。
<3社長の略暦>
●JR東日本・深沢祐二氏。78年(昭53)東大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。06年JR東日本取締役、08年常務、12年副社長。北海道出身。
●JR東海・金子慎氏。78年(昭53)東大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。04年JR東海取締役、08年常務、12年副社長。富山県出身。
●JR西日本・来島達夫氏。78年(昭53)九大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。06年JR西日本執行役員、09年常務執行役員、10年取締役兼常務執行役員、12年副社長。山口県出身。>
4月1日付でJR東海の社長に就いた金子慎氏。副社長を6年間務め、満を持して柘植康英会長(前社長)からバトンを引き継いだ。
「鉄道事業は安全が大前提だ。(歴代トップと)同じことを考えながら補佐してきた。施策の内容はこれまでの継続となる。社長が一人で仕事をするわけではない。社員がどれだけ力を出せるか、にかかっている。質問や指示など分かりやすい言葉で語りかけることが大切だ。メッセージの影響を考えながら社員の力を引き出したい」という。
社運をかけるリニア中央新幹線を担当してきたが、静岡県との交渉が難航し、唯一着工できない状況が続く。
「県とは意見が一致しておらず、誠意を尽くして話をしている最中だ。考え方の差を丁寧に埋めていく作業が必要。理解を得て、スケジュールを前へ、前へと進めたい」と話す
一方、東海道新幹線の輸送では日々サービスの改善も求められているが、「(東海道新幹線の)完成度は増してきたが、リニアの開業までは、まだ10年ある。これからも競争力強化の投資を継続していく。相変わらず、経営の“ど真ん中”にある。2020年春には、すべての車両が最高時速285キロメートルになり、良いダイヤが引ける。チケットレスも推進する。リニア開業時の主力は、インターネットで予約をする形にしたい」という。
「若い頃から活躍できる」職場として国鉄を選んだ金子社長。同じく4月1日に社長になったJR東日本の深沢祐二氏は、父親が国鉄連絡船の船乗りだった。大学時代はヨット部で、国鉄に進んだのは「体育会系を積極的に採用していたからだ」と話す。
長らく社長候補の大本命と目されてきた。冨田哲郎会長(前社長)が「引き継ぐことはない」と話すほどだ。冨田氏を最も近くで支え、ともに難題に立ち向かってきた。社長就任の打診にも動じることはなく即答した。会社の課題について誰よりも熟知するからこそ「グループを発展させていく責任を感じている」との言葉に笑みはない。
30年前の国鉄改革で多くの仲間が鉄道の仕事を離れたのが忘れられないという。根底には「2度と(大量離職を)起こしてはいけない」との誓いがある。東日本大震災も自らの仕事に大きな影響を与えた。地元自治体と膝詰めで話し合い、復興に全力で取り組んできた。
「次の30年」見据える
16年に就任したJR西日本の来島達夫社長も同社の最大の課題である安全・安心と向き合ってきた。05年の福知山線列車事故の被害者対応の責任者として、事故の遺族や負傷者との対話。広報室長の経験も踏まえ、安全・安心に関する情報発信も重視する。
先日の入社式でも「当社は2005年の福知山線脱線事故、17年に新幹線で重大インシデントを起こした。お客さまの尊い命をお預かりしているのを意識するのは、何より重要。安全性向上に力強く取り組もう」と呼びかけた。
昨年、JRグループは国鉄分割民営化から30周年を迎えた。国鉄時代に開業した新幹線は東海道、山陽、東北(盛岡まで)、上越の4路線だったが、分割民営化後、開発が加速し、九州や北海道にも延伸した。今や高速鉄道のネットワークは全国に張り巡らされている。
2022年には九州新幹線の長崎ルート、23年には北陸新幹線が敦賀まで、31年には北海道新幹線が札幌まで延伸する計画だ。新幹線のネットワークに加え、27年には東京・品川―名古屋間で、リニア中央新幹線が開業する。難工事が想定される品川駅、名古屋駅、南アルプストンネルは、すでに着工しており、リニア中央新幹線は今後のJR東海の行く末も左右する、大事業となる。
JR東日本、JR東海、JR西日本の本州3社は、民営化の際に与えられた車両やネットワーク、サービスを磨きながら事業規模を拡大。それぞれの個性を発揮している。同期3社長は仲間でありライバルでもある。「次の30年」へどんな布石を打つのか。
●JR東日本・深沢祐二氏。78年(昭53)東大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。06年JR東日本取締役、08年常務、12年副社長。北海道出身。
●JR東海・金子慎氏。78年(昭53)東大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。04年JR東海取締役、08年常務、12年副社長。富山県出身。
●JR西日本・来島達夫氏。78年(昭53)九大法卒、同年日本国有鉄道(現JRグループ)入社。06年JR西日本執行役員、09年常務執行役員、10年取締役兼常務執行役員、12年副社長。山口県出身。>
日刊工業新聞2018年4月6日