互いに会話し助け合う、“生きている森”驚異のネットワーク
<情報工場 「読学」のススメ#41>『樹木たちの知られざる生活』(ペーター・ヴォールレーベン 著)
**樹木は音を聴き、根にある“脳”で判断、記憶する
『森は生きている』という戯曲がある。ソビエト連邦時代のロシアの児童文学者サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャークによる1943年の作品だ。1956年にソ連にてアニメーション映画化され、同年に日本では実写映画化。その後1980年に日本版のアニメーションも制作された。ミュージカルの舞台も上演され続けている。
本だったか映像作品かは忘れたが、子どもの頃にこの作品に触れた記憶がかすかにある。この原稿を書こうと思った時にふと思い出し、1943年のアニメ映画をYouTubeで改めて視聴してみた。さすが名作だけあって、74年経った今でも色あせておらず、面白い。12の月の精霊たちの優しさが心にしみた。
舞台は、とある王国に広がる森。まだ幼くわがままな女王が、大晦日に、4月にならないと咲かない花が欲しいと言う。主人公の貧しい孤児の村娘は、女王からの褒美を狙う継母の命令で、吹雪のなか花を探しに森に出かける。そこで出会った(12の月をそれぞれ担当する)精霊たちは、娘に力を貸す。普段から正直で勤勉、自然を傷つけない娘を見ていたからだ。
精霊たちは季節を操り、娘に花を摘ませる。しかし、話全体の教訓としては「自然の動きを人間が無理やり捻じ曲げてはいけない」ということだと思う。
前置きが長くなったが、ドイツの森林管理人であるペーター・ヴォールレーベン氏による『樹木たちの知られざる生活』(早川書房)には、まさしく「森は生きている」ことが納得できる、多彩なエピソードが描かれている。
『森は生きている』のストーリーに関連するところでは、樹木の時間感覚について書かれた章がある。森林の樹木は昼の長さと気温差で季節の移り変わりを判断するが、その基準を記憶しているというのだ。なぜなら、たとえば樹木を北半球から南半球に移植しても同じような季節ごとの対応をするからだ。
日数を数えたり、記憶、判断するための“脳”は「根」にある可能性が高いという。また、森の樹木たちは互いに「会話」をしている。
樹木同士の会話には、たとえば「警報ガス」によるものがある。アフリカのサバンナでキリンはアカシアの葉を食べる。アカシアとしては食べられ尽くされては種が滅んでしまうから、キリンが近づいたときに葉の中に有毒物質を集めることがある。研究者の観察によると、アカシアはキリンが近づくと、離れた場所に生える仲間にガスを発して危険を知らせるのだそうだ。いわば「嗅覚」によるコミュニケーションといえる。
また、西オーストラリア大学の進化生態学者モニカ・ガリアーノ氏らの実験は、植物が「音」に反応することを明らかにしている。つまり植物に「聴覚」があるかもしれないということ。植物と話ができる日がやってくる可能性もなくはないのだ。
樹木同士のコミュニケーションは、それだけではない。というかこちらの方がメインなのだが、森林の樹木は「根」同士が触れ合うことで、意思を持った情報のやり取りをすることがわかっている。それによって森林の樹木はネットワークを形成しているのだ。
さらに、直接「根」が触れ合ってなくてもよい。「菌類」が媒介するからだ。樹木と共生する菌類は菌糸を伸ばすことで、樹木の根同士をつなぐ。インターネットの光ファイバーのような働きをするということだ。
この菌糸によるネットワークは、私たちの想像をはるかに超える規模に広がっている。たとえば森の土をティースプーンですくうと、1杯の中に数キロ分の菌糸が含まれている。一つの菌が数平方キロメートルの森全体に菌糸を張り巡らせていることもある。
樹木同士は、根と菌類を通して互いに情報や栄養のやり取りをするわけだが、とくに重要なのは、病気になったり虫や動物に食われたりして弱った個体を、周囲の木が助けていることだ。森全体が相互扶助のコミュニティになっている。どんなに堂々とした巨木でも、森の“仲間”たちのサポートがなければ生きていけない。
ここまで述べてきたのは「原生林」の話だ。人工林の場合、こうしたネットワークが遮断されていることが多いのだという。あまりごちゃごちゃしているのは良くないと、木と木の間を離して植林すると、根同士のコミュニケーションがなくなる。人工林なので菌類も排除されている。そのせいで一本一本の木が弱くなり、害虫の攻撃を受けやすくなったりするらしい。
『森は生きている』の教訓にもつながるが、人為的なコントロールは、自然の摂理の足下にも及ばないのだ。
森林のコミュニティから人間社会の根本原理を読み取ることもできる。「社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる」という原理だ。
先日第1回と第2回が放送されたNHKスペシャル・シリーズ「人体 神秘の巨大ネットワーク」では、人体の各臓器が互いにコミュニケーションをとることで身体全体を維持しているという衝撃の研究結果が紹介された。この仕組みは森林に酷似している。
NHKスペシャルで取り上げられた人体のネットワークは、従来信じられてきた脳を中心とした中央集権的なものとはまったく異なる分散型ネットワークだ。森林も同様だ。森林の中心としてリーダー役を務める木など存在しない。
仮想通貨ビットコインの基盤技術であるブロックチェーン、新しいツイッター型のSNSマストドンなど、人間社会でも分散型ネットワークの効率性が注目され、活用されるようになってきている。森林、人体、人間社会に共通するこのネットワーク形態こそがもっともレジリエント(強靭)で効率的な「自然の摂理」に近いということではないだろうか。
(情報工場「SERENDIP」編集部)
『樹木たちの知られざる生活』
-森林管理官が聴いた森の声
ペーター・ヴォールレーベン 著
長谷川 圭 訳
早川書房
263p 1,600円(税別)>
『森は生きている』という戯曲がある。ソビエト連邦時代のロシアの児童文学者サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャークによる1943年の作品だ。1956年にソ連にてアニメーション映画化され、同年に日本では実写映画化。その後1980年に日本版のアニメーションも制作された。ミュージカルの舞台も上演され続けている。
本だったか映像作品かは忘れたが、子どもの頃にこの作品に触れた記憶がかすかにある。この原稿を書こうと思った時にふと思い出し、1943年のアニメ映画をYouTubeで改めて視聴してみた。さすが名作だけあって、74年経った今でも色あせておらず、面白い。12の月の精霊たちの優しさが心にしみた。
舞台は、とある王国に広がる森。まだ幼くわがままな女王が、大晦日に、4月にならないと咲かない花が欲しいと言う。主人公の貧しい孤児の村娘は、女王からの褒美を狙う継母の命令で、吹雪のなか花を探しに森に出かける。そこで出会った(12の月をそれぞれ担当する)精霊たちは、娘に力を貸す。普段から正直で勤勉、自然を傷つけない娘を見ていたからだ。
精霊たちは季節を操り、娘に花を摘ませる。しかし、話全体の教訓としては「自然の動きを人間が無理やり捻じ曲げてはいけない」ということだと思う。
前置きが長くなったが、ドイツの森林管理人であるペーター・ヴォールレーベン氏による『樹木たちの知られざる生活』(早川書房)には、まさしく「森は生きている」ことが納得できる、多彩なエピソードが描かれている。
『森は生きている』のストーリーに関連するところでは、樹木の時間感覚について書かれた章がある。森林の樹木は昼の長さと気温差で季節の移り変わりを判断するが、その基準を記憶しているというのだ。なぜなら、たとえば樹木を北半球から南半球に移植しても同じような季節ごとの対応をするからだ。
日数を数えたり、記憶、判断するための“脳”は「根」にある可能性が高いという。また、森の樹木たちは互いに「会話」をしている。
樹木同士の会話には、たとえば「警報ガス」によるものがある。アフリカのサバンナでキリンはアカシアの葉を食べる。アカシアとしては食べられ尽くされては種が滅んでしまうから、キリンが近づいたときに葉の中に有毒物質を集めることがある。研究者の観察によると、アカシアはキリンが近づくと、離れた場所に生える仲間にガスを発して危険を知らせるのだそうだ。いわば「嗅覚」によるコミュニケーションといえる。
また、西オーストラリア大学の進化生態学者モニカ・ガリアーノ氏らの実験は、植物が「音」に反応することを明らかにしている。つまり植物に「聴覚」があるかもしれないということ。植物と話ができる日がやってくる可能性もなくはないのだ。
根同士の接触と菌糸による「つながり」がコミュニティを形成
樹木同士のコミュニケーションは、それだけではない。というかこちらの方がメインなのだが、森林の樹木は「根」同士が触れ合うことで、意思を持った情報のやり取りをすることがわかっている。それによって森林の樹木はネットワークを形成しているのだ。
さらに、直接「根」が触れ合ってなくてもよい。「菌類」が媒介するからだ。樹木と共生する菌類は菌糸を伸ばすことで、樹木の根同士をつなぐ。インターネットの光ファイバーのような働きをするということだ。
この菌糸によるネットワークは、私たちの想像をはるかに超える規模に広がっている。たとえば森の土をティースプーンですくうと、1杯の中に数キロ分の菌糸が含まれている。一つの菌が数平方キロメートルの森全体に菌糸を張り巡らせていることもある。
樹木同士は、根と菌類を通して互いに情報や栄養のやり取りをするわけだが、とくに重要なのは、病気になったり虫や動物に食われたりして弱った個体を、周囲の木が助けていることだ。森全体が相互扶助のコミュニティになっている。どんなに堂々とした巨木でも、森の“仲間”たちのサポートがなければ生きていけない。
ここまで述べてきたのは「原生林」の話だ。人工林の場合、こうしたネットワークが遮断されていることが多いのだという。あまりごちゃごちゃしているのは良くないと、木と木の間を離して植林すると、根同士のコミュニケーションがなくなる。人工林なので菌類も排除されている。そのせいで一本一本の木が弱くなり、害虫の攻撃を受けやすくなったりするらしい。
『森は生きている』の教訓にもつながるが、人為的なコントロールは、自然の摂理の足下にも及ばないのだ。
森林のコミュニティから人間社会の根本原理を読み取ることもできる。「社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる」という原理だ。
先日第1回と第2回が放送されたNHKスペシャル・シリーズ「人体 神秘の巨大ネットワーク」では、人体の各臓器が互いにコミュニケーションをとることで身体全体を維持しているという衝撃の研究結果が紹介された。この仕組みは森林に酷似している。
NHKスペシャルで取り上げられた人体のネットワークは、従来信じられてきた脳を中心とした中央集権的なものとはまったく異なる分散型ネットワークだ。森林も同様だ。森林の中心としてリーダー役を務める木など存在しない。
仮想通貨ビットコインの基盤技術であるブロックチェーン、新しいツイッター型のSNSマストドンなど、人間社会でも分散型ネットワークの効率性が注目され、活用されるようになってきている。森林、人体、人間社会に共通するこのネットワーク形態こそがもっともレジリエント(強靭)で効率的な「自然の摂理」に近いということではないだろうか。
(情報工場「SERENDIP」編集部)
-森林管理官が聴いた森の声
ペーター・ヴォールレーベン 著
長谷川 圭 訳
早川書房
263p 1,600円(税別)>
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