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「松下電器産業」最後の日

富士重工業は明日から「SUBARU」に社名変更
「松下電器産業」最後の日

松下電器産業の看板を取りはずす

 明日から新年度。4月1日からさまざまな制度も変わり、社名を変更する企業もあるだろう。代表的な企業では富士重工業が創業100周年を機に「SUBARU」になる。特に老舗企業にとって社名が変わるのは歴史的な出来事。

 大手企業では松下電器産業が2008年10月1日に「パナソニック(Panasonic)」に変更した。同社は来年、100周年を迎える。富士重工業はどのような最後の1日になったのだろうか(プレミアムフライデーだが…)。
  

「パナソニック富国論」


 松下電器産業としての最後の日は、エレクトロニクス・ITの総合展示会「シーテックジャパン2008」の開幕日だった。大坪文雄社長は9時に自社のブースを訪れ、「全社がほんとに一つになった。家庭生活の進化そのものを提案している」と感慨深げに語った。来場者はこの展示から、パナソニックの未来をどのように感じるだろうか。

 日本、そして世界のエレクトロニクス産業史を振り返る時、「これぞ松下」という製品や技術は多くはない。ビデオテープレコーダー「VHS」も元は日本ビクターの技術だ。成長をけん引するプラズマテレビやデジタルカメラも後発組から技術改良の積み重ねでシェアを高めた。実はそれこそが松下の真骨頂だ。

 社名を変えただけで、従来の延長線上の製造業のままではあまりにも寂しい。大坪社長はグローバルエクセレンスを目指すという。“エクセレンス”には数字だけでは表せない、新しい中核技術や産業を興す意味も込められているはず。

 インターネットの普及はコンピューターの役割を一変させた。もともとは計算機だったが、今は電子メールや検索などのコミュニケーションツールである。マイクロソフトやインテルなど米国企業が独占してきたパソコン時代はまもなく最期を迎えるだろう。

 コミュニケーションツールとしてのパソコンは使い勝手が悪い。テレビのような形をした新しいデスク型ディスプレーは、製品が人に合わせるようなユーザーインターフェースを持ち、家庭と屋外の間で情報をつなぐだろう。しかし、その新しい機器は、今のパソコンやテレビで使っているソフトウエアやデバイスからは生み出せない。

 中村邦夫社長時代に創設したマーケティング本部によって顧客指向は徹底されたが、逆に各事業部門の製品開発の足腰は弱っていないか。独創的な技術開発には思い切ったテクノロジーオリエンテッド(技術志向)の視点も重要になる。

 その原動力となる人材は事業部や研究部門にいるに違いない。その人たちを発掘し、目的意識を共有するフラットな組織をつくることが、能力を最大限に発揮させることにつながる。創業者精神は大切だが、同じ文化的背景を持つ均質な集団ではイノベーションを起こすことは難しい。

 パソコンのビジネスモデルは利益率の高いソフトを米国が握り、付加価値の低いハードはアジアで生産するという水平分業モデル。次世代のコンシューマー機器はハードとソフトの技術を切り離せない複雑なもので、製造業のノウハウを抱えている日本に有利になる。

 中でもパナソニックのポテンシャルは他社より抜きん出ている。日本がこれからも豊かな国であるよう、松下幸之助氏も「パナソニック富国論」の実践を願っているはずだ。
※内容、肩書は当時のもの

日刊工業新聞2008年10月1日

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
日刊工業新聞の連載の最終回(2008年10月1日付)の記事。パナソニックも理想と現実の違いはたくさんある。富士重も現在、連載企画をやっているが、担当記者、メディアとしても何年後かにどのように企業が変わったのかを振り返って検証する作業をしないといけない。

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