「シュガーロード」の面影なし。苦戦する九州の菓子業界に甘美な未来はあるか?
地域を代表した核となる菓子少なく。日本食ブームに乗って世界に目を向けよう!
「シュガーロード」という言葉をご存じだろうか。現在の長崎市から佐賀県を経て北九州市を結ぶ全長約230キロメートルの旧長崎街道を指す。鎖国下の江戸時代、海外との唯一の窓口だった長崎・出島から陸揚げされた南蛮渡来の希少な食材や良質な砂糖は、この道を経て京や江戸へと運ばれていた。
沿線には多くの菓子屋や菓子職人が集い、華やかな食文化が育まれた。一般に九州の食品が「甘くて濃い」と言われるのは、多分にこのシュガーロードの影響が濃い。長崎のカステラや佐賀のようかんが代表だが、九州各地に点在するユニークな郷土菓子は、現代人の心まで甘く溶かし続けている。
カステラやようかん以外にも、卵黄と砂糖を素麺(そうめん)状にかためた「鶏卵素麺=福岡県」、山芋と米粉の蒸しまんじゅう「軽羹(かるかん)=鹿児島・宮崎・大分県」、もち米・水あめ・砂糖を練った「朝鮮飴=熊本県」、ポルトガル船員の保存食と伝えられる焼き菓子「丸ぼうろ=佐賀県」などがあり、一部は幕府へ献上されていた。
炭鉱が数多く点在した九州では、労働者の疲労回復に砂糖が推奨されたこともあり「ひよ子」「千鳥饅頭」「栗饅頭」(いずれも福岡県)が生まれ、現在でも九州銘菓として販売されている。昭和に入ると氷菓「白くま」や焼き菓子「チロリアン」「チロルチョコ」といった安価な菓子が多く生まれ、全国に普及して行く。バレンタインデーのチョコレートのお返しにマシュマロを送るホワイトデーを1977年に考案したのは、黄身あんをマシュマロ生地でくるんだ「鶴乃子」を明治時代から販売する石村萬盛堂(福岡市博多区)だ。
【市場は戦国】
そんな“スイーツアイランド九州”だが、近年は苦戦を強いられている。かつてのような九州を代表する銘菓が生まれず、また洋菓子に押されて往時の輝きを失っている。砂糖や小麦粉といった食材の入手が難しかった昔と異なり、今や日本だけでなく世界各地からいろいろな食材を豊富に調達できる。保存や流通技術が飛躍的に向上し、北は北海道から南は沖縄まで、バラエティーに富んだ菓子を消費者が簡単に口にできるようになったことで需給バランスが崩れてしまった。
特徴のない菓子屋が淘汰(とうた)される一方で、全国の百貨店の催事場で長蛇の列を作る地方の有力メーカーが続々と生まれている。また安価で良質な和・洋菓子を全国展開するにチェーンの勢いもすさまじく、市場は戦国の様相を呈している。
九州の菓子メーカーも手をこまねいているわけではない。大都市部や百貨店への出店は続けている。だが、ある中堅メーカー社長は「東京の百貨店に商品を卸しているが、顧客はほとんどが九州出身者。おいしいのは当たり前で、味にプラスワンがなければ扱ってももらえない」とため息をつく。各社各店が味にしのぎを削ってきた歴史があるだけに、逆に沖縄の「ちんすこう」、広島の「もみじ饅頭」、京都の「八ツ橋」、東京の「人形焼」といった地域を代表した核となる菓子が少ない点も、存在感がない理由の一つ。
【売るよりも手間暇を】
1979年に焼き菓子「ダックワーズ」を考案、全国に広め現代の名工にも選ばれたフランス菓子16区(福岡市中央区)の三嶋隆夫オーナーシェフは近年の食品業界について「おいしさよりも、まずは売れる商品を作りたがる。気持ちは分かるが、ブームはやがて去る。お客さまに長く支持される商品は、真面目に手間暇かけたものだけしか残らない」と警鐘を鳴らす。
現在、NHKで放送中の朝の連続テレビ小説「まれ」は主人公がパティシエ。このパティシエという言葉が日本で一般的になってからまだ20年足らずしかたっていない。だが今や多くの有名パティシエが誕生し、連日メディアをにぎわせているが、国内には何万人もの和・洋菓子職人が技を競い、消費者に夢を与え続けてくれている。食事と同じように菓子を食べ、甘いひとときに浸ることができる。
日本は世界有数の美食大国に成長した。味、食材、技術は世界を魅了している。これからはデザートとして菓子がこの輪に加わっても何の不思議もない。「おいしいのは当たり前」。そんな極めて水準の高い日本の甘味を世界は認めてくれる。九州の菓子業界は今苦境にあえいでいるが、市場を国内に限る必要はない。400年以上前に開かれたシュガーロードは、世界へと通じる道になる可能性を秘めている。
過去の甘い思い出に浸ったまま低迷を続けるのか、はたまたグローバルな成功という甘美な夢を描くのか。九州の菓子業界は今、その踊り場に立っている。
(文=北九州支局長・大神浩二)
沿線には多くの菓子屋や菓子職人が集い、華やかな食文化が育まれた。一般に九州の食品が「甘くて濃い」と言われるのは、多分にこのシュガーロードの影響が濃い。長崎のカステラや佐賀のようかんが代表だが、九州各地に点在するユニークな郷土菓子は、現代人の心まで甘く溶かし続けている。
カステラやようかん以外にも、卵黄と砂糖を素麺(そうめん)状にかためた「鶏卵素麺=福岡県」、山芋と米粉の蒸しまんじゅう「軽羹(かるかん)=鹿児島・宮崎・大分県」、もち米・水あめ・砂糖を練った「朝鮮飴=熊本県」、ポルトガル船員の保存食と伝えられる焼き菓子「丸ぼうろ=佐賀県」などがあり、一部は幕府へ献上されていた。
炭鉱が数多く点在した九州では、労働者の疲労回復に砂糖が推奨されたこともあり「ひよ子」「千鳥饅頭」「栗饅頭」(いずれも福岡県)が生まれ、現在でも九州銘菓として販売されている。昭和に入ると氷菓「白くま」や焼き菓子「チロリアン」「チロルチョコ」といった安価な菓子が多く生まれ、全国に普及して行く。バレンタインデーのチョコレートのお返しにマシュマロを送るホワイトデーを1977年に考案したのは、黄身あんをマシュマロ生地でくるんだ「鶴乃子」を明治時代から販売する石村萬盛堂(福岡市博多区)だ。
【市場は戦国】
そんな“スイーツアイランド九州”だが、近年は苦戦を強いられている。かつてのような九州を代表する銘菓が生まれず、また洋菓子に押されて往時の輝きを失っている。砂糖や小麦粉といった食材の入手が難しかった昔と異なり、今や日本だけでなく世界各地からいろいろな食材を豊富に調達できる。保存や流通技術が飛躍的に向上し、北は北海道から南は沖縄まで、バラエティーに富んだ菓子を消費者が簡単に口にできるようになったことで需給バランスが崩れてしまった。
特徴のない菓子屋が淘汰(とうた)される一方で、全国の百貨店の催事場で長蛇の列を作る地方の有力メーカーが続々と生まれている。また安価で良質な和・洋菓子を全国展開するにチェーンの勢いもすさまじく、市場は戦国の様相を呈している。
九州の菓子メーカーも手をこまねいているわけではない。大都市部や百貨店への出店は続けている。だが、ある中堅メーカー社長は「東京の百貨店に商品を卸しているが、顧客はほとんどが九州出身者。おいしいのは当たり前で、味にプラスワンがなければ扱ってももらえない」とため息をつく。各社各店が味にしのぎを削ってきた歴史があるだけに、逆に沖縄の「ちんすこう」、広島の「もみじ饅頭」、京都の「八ツ橋」、東京の「人形焼」といった地域を代表した核となる菓子が少ない点も、存在感がない理由の一つ。
【売るよりも手間暇を】
1979年に焼き菓子「ダックワーズ」を考案、全国に広め現代の名工にも選ばれたフランス菓子16区(福岡市中央区)の三嶋隆夫オーナーシェフは近年の食品業界について「おいしさよりも、まずは売れる商品を作りたがる。気持ちは分かるが、ブームはやがて去る。お客さまに長く支持される商品は、真面目に手間暇かけたものだけしか残らない」と警鐘を鳴らす。
現在、NHKで放送中の朝の連続テレビ小説「まれ」は主人公がパティシエ。このパティシエという言葉が日本で一般的になってからまだ20年足らずしかたっていない。だが今や多くの有名パティシエが誕生し、連日メディアをにぎわせているが、国内には何万人もの和・洋菓子職人が技を競い、消費者に夢を与え続けてくれている。食事と同じように菓子を食べ、甘いひとときに浸ることができる。
日本は世界有数の美食大国に成長した。味、食材、技術は世界を魅了している。これからはデザートとして菓子がこの輪に加わっても何の不思議もない。「おいしいのは当たり前」。そんな極めて水準の高い日本の甘味を世界は認めてくれる。九州の菓子業界は今苦境にあえいでいるが、市場を国内に限る必要はない。400年以上前に開かれたシュガーロードは、世界へと通じる道になる可能性を秘めている。
過去の甘い思い出に浸ったまま低迷を続けるのか、はたまたグローバルな成功という甘美な夢を描くのか。九州の菓子業界は今、その踊り場に立っている。
(文=北九州支局長・大神浩二)
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