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まもなく阪神大震災から22年、神戸にあふれる活気

頑丈な鉄のロボットと繊細な“培養ロボット”が象徴
まもなく阪神大震災から22年、神戸にあふれる活気

JR新長田駅前に設置された『鉄人28号』のモニュメント

 「帰省子の投げてゆきたる一波紋」(藤崎美枝子)。帰郷したわが子が、都会に戻る姿を見送る複雑な感情を詠んだ歌だろうか。昔は船で往来することも多かった。水面(みなも)のかすかな揺れが、内なる心の微動を映す。

 ジャズやコーヒー、ゴルフといった西洋文化の“玄関口”として知られる神戸港。かつて世界2位を誇ったコンテナ取扱数は1995年の阪神・淡路大震災後に低迷期に陥ったものの、現在は東京港に次ぐ規模となり、震災前の水準にまで回復した。

 17日で震災から満22年。神戸は再び、以前の輝きを取り戻したように見える。復興のシンボルとして2009年にJR新長田駅前に設置された『鉄人28号』のモニュメントは昨年11月、原作漫画に近い色に塗り替えられて威厳を増した。

 頑丈な鉄のロボットならぬ、繊細な“培養ロボット”。川崎重工業は昨年末、自社開発のロボットで培養した細胞を世界で初めて再生医療に用いたと発表した。神戸発祥の川重は今も市内に多くの拠点を置き、「医療産業都市・神戸」の一翼を担う。

 震災を乗り越えた人々の強い心は共鳴し、高いうねりとなり、それが大きな波紋となって徐々に広がっていく。そんな港町の、あふれる活気を感じる。
崩壊した神鋼の神戸本社(震災当時)

日刊工業新聞2017年1月12日



神戸医療産業都市が快進撃


 神戸市が人工島ポートアイランドで展開する国内最大級のバイオメディカルクラスター「神戸医療産業都市」。進出企業・団体が320を超え、新たな施設の建設も進む。特に最近は医療機器メーカーや製薬会社など関連する企業の進出が目立ち、構想が実を結びつつある。今後はさらに誘致を加速する一方、集積を生かす仕組みづくりも求められる。

 医療産業都市は阪神・淡路大震災の復興プロジェクトとして1998年に構想の検討が始まった。進出企業・団体は06年に100、11年に200、15年に300を達成。10月末現在で327、雇用者数は6月末時点で8100人を数える。15年度の経済効果は1615億円と推計されている。

 6月末時点の進出企業・団体の内訳をみると、医療機器24・6%、研究開発支援19・5%、医薬・バイオ14・7%、ヘルスケア11・0%、再生医療9・4%の順に多い。

 この1年は武田薬品工業田辺三菱製薬大塚製薬など製薬大手の進出が相次いだ。新日本科学、クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン(東京都港区)といった研究開発支援の企業の進出も目立ち、集積がさらなる集積を呼ぶ状況となっている。

iPS細胞で目の難病治療、「京」後継機も


研究機関や大学、病院、企業が集積する神戸医療産業都市


 医療産業都市は理化学研究所多細胞システム形成研究センター(CDB)、先端医療センターをはじめ、研究機関や大学、病院、企業が徒歩圏内に集積している。

 メディカル、バイオ、シミュレーションの三つのクラスターに分かれているのも特徴だ。17年にはさらに四つの施設が開設する予定。その一つがiPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った目の難病治療などを手がける神戸アイセンター(仮称)。基礎研究から臨床応用、治療、リハビリまでトータルに対応できる拠点を目指す。

 小児がんに重点を置いた新粒子線治療施設は、がん細胞にピンポイントで照射できる陽子線治療を提供する。神戸医療イノベーションセンターはレンタルラボラトリー施設だ。

 創薬関連企業やベンチャーの入居に対応したラボや、再生医療の製品開発向けに細胞培養施設を設けたラボなどを備える。

 神戸大学大学院医学研究科・医学部は診療、研究、教育の新拠点である国際がん医療・研究センター(仮称)を設置する。同センターは120の病床を予定し、がんに対する先進的外科的治療や先進的治療・革新的医療機器の開発、医工連携などを進める。

 このほかスーパーコンピューター「京(けい)」の後継機の立地も決まっており、医療産業都市のインフラ整備は今後も続く。

 一方、支援の仕組みづくりも進んでいる。一例が医療機器開発のコンソーシアム。神戸市が立ち上げに向けて取り組む。医療産業都市に拠点のある約20社が参加する勉強会を8月にスタート。参加企業が臨床現場の医師らと意見交換しながら開発テーマを選定する。

 市の担当者は「16年度中にテーマを確定できるよう努めたい」としており、テーマが固まり次第、開発テーマごとにコンソーシアムを立ち上げる計画だ。

 医療産業都市のあり方について、神戸商工会議所の家次恒会頭(シスメックス会長兼社長)は11月7日の就任記者会見で「特徴ある専門病院の集積が進んだが、集積したがゆえにシナジーが出せる仕組みをどうつくっていくかがこれからの課題。

 少しバラバラな状況にあるものをうまくまとめていけば、今度は企業がさまざまな形で臨床と関われる。それが企業を引きつける一つの力になる」と指摘した。

先端医療振興財団名誉理事長・井村裕夫氏


 98年の構想の検討段階から長年、医療産業都市を先導してきた井村裕夫先端医療振興財団名誉理事長(京都大学名誉教授)に現状や課題などを聞いた。

 神戸医療産業都市は(構想懇談会と構想研究会を通じ)1年ぐらいかけて慎重に構想をつくった。初めにかなり詰めて話をしたのがよかった。基本的には当時に目指した方向で発展してきた。

 医療産業都市が簡単にできると思っていなかったが、一つは理化学研究所が来たことが大きかった。企業の進出に弾みがついた。その後、スーパーコンピューター「京」の立地も決まり、状況の変化に合わせ構想を練り直した。現在の三つのクラスターの枠組みはそのときに出てきた。

 病院群とトランスレーショナル・リサーチ(橋渡し研究)を進めるセンターができているだけでなく、これからいろいろな意味で重要になるシミュレーション(の施設)までそろっているのが医療産業都市の魅力だ。

 欲を言えば、企業にもっと進出してもらいたい。情報を集めるためにオフィスだけ置いているところが結構、多いが、本格的な研究施設が増えてほしいと思っている。そのためには医療産業都市として基礎研究の力をつけないといけない。大学のように幅広くはできないが、限られた範囲でもしっかりやっていく必要がある。

 研究レベルを上げないと海外から認められないし、(企業からみれば)魅力がないと進出する意味がない。トランスレーショナル・リサーチのレベルを上げることも大事。研究者と企業の人が自由に交流できる仕組みも重要だ。(談)
(文=神戸・村田光矢)

日刊工業新聞2016年11月21日



明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
復興においては地元の方々を始め多くの関係者の想像を絶する努力があってのものだろうが、やはりもともと「神戸」という街が持っていたポテンシャルも大きかった。その点、東日本大震災をはじめこの20年間でおきた他の震災は、地方がほとんどで復興はより困難なものだろう。外見の復興だけでなく100、1000年と受け継がれる祭りのような「文化」が残っていけばいいと思う。

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