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財界総理「ナショナル・イノベーション」に秘めた決意

21世紀の『坂の上の雲』を目指して<榊原定征経団連会長>
 
 経団連会長に就任して8カ月が経過した。わたしは会長に内定した時から、ある決意を胸に秘めていた。日本全体に息が詰まるような閉塞(へいそく)感が広がり、経済の活力を失った20年間から脱却し、国民が将来への希望と夢を描くことができる処方箋を打ち出したい―。そんな切なる想いで策定したのが、「経団連ビジョン」である。司馬遼太郎の『坂の上の雲』。欧米列強や近代国家を雲にたとえ、日本人がまい進した時代を描いた長編小説だが、経済において坂の上の雲を目指したのが60年代から70年代。欧米先進国に追いつけ・追い越せと、日本全体がダイナミズムにあふれ、明日への期待に夢を膨らませていた時代である。

 わたしが高校から大学へ入る頃、知多半島から伊勢湾越しに四日市工業地帯や中京工業地帯からモクモクと力強く立ち上る煙を見て、自分もあんな工場で働いて日本の経済復興に貢献したいと胸を躍らせた記憶がある。戦後の経済復興を産業の力で成し遂げたいという強い気概が国民全体にみなぎっていたことが今でも思い出される。閉塞感の打破には、あの時代のダイナミズムを取り戻すことが不可欠である。

 人口減少や高齢化社会への対応に加え、財政再建、社会保障改革、エネルギー問題など、日本はさまざまな重要政策課題に直面している。今回まとめたビジョンは、このような課題を解決するための具体的方策を提示し、政治や経済界、国民、そして経団連それぞれが何をすべきかを明示している。これらはいずれも喫緊の課題であり、今すぐ取り組まなければならない。今なら間に合う。今、対処すれば十分対応可能な問題ばかりである。決して悲観することなく、日本全体で危機感を共有し、果敢に実行に移せば、日本の明るい未来を実現できると私は確信している。

 では、2030年までに目指すべき国家像とは何か。ビジョンでは以下の四つの姿を描いている。「豊かで活力ある国民生活を実現する」「人口1億人を維持し、魅力ある都市・地域を形成する」「成長国家として強い基盤を確立する」「地球規模の課題を解決し世界の繁栄に貢献する」―。これら四つの国家像を目指す中で、頑張った者が報われる社会を築き、「若者が日本国民であることに誇りを持ち、チャレンジ精神を発揮し、希望ある未来を切りひらいていける国」、そして「世界から信頼され、尊敬される国」を実現しなければならない。未来を担う若い世代に勇気や希望を与え、新たな挑戦を促すため、経団連はこのビジョンの具現化に向けて、先頭に立って精力的に取り組んでいくつもりである。

 もちろん簡単な話ではない。大きな改革はどの時代においても、国民に痛みや社会的摩擦を引き起こす。しかし、勇気を持って障害を乗り越えて行かなければならない。われわれには未来に対する責任がある。今こそ日本再生に向けたラストチャンス。一致団結して「豊かで活力ある日本」を創造したい。

<イノベーション・ナショナルシステムの時代へ>
 目指すべき国家像を実現するための処方箋を示したい。カギを握るのが「イノベーション」と「グローバリゼーション」だ。 わたしが定義するイノベーションには二つの意味がある。ひとつが果敢に研究開発や技術開発に挑戦し、新産業・新事業を起こす「技術革新」。もうひとつが旧来の制度や慣行、その根底にある国民的な意識や社会的通念を変革する「社会・制度のイノベーション」である。これらイノベーションの創出を通じて、日本の潜在的な活力を最大限引き出していくことが可能になる。

 イノベーション創出に向け、主導的役割を果たすのが製造業だ。20世紀、日本を世界第2位の経済大国に導いた原動力は、モノづくりにおける圧倒的な技術力。技術革新は資源に乏しいわが国が国際競争力を強化するための「生命線」であり、経済成長のもっとも大きなエンジンである。これは、わが国にとっての基軸であり、現在も不変である。わが国は、この「技術立国」の原点に立ち返る必要がある。企業はリスクを取って果敢に研究開発や技術開発に挑戦し、新たな市場を創造する「積極経営」を指向するべきである。

 日本のモノづくりは今も世界をリードする存在である。しかしモノづくりを取り巻く環境が変化しているのも事実だ。新興国の台頭を受け国際競争が激化しているほか、多くの主要国では科学技術予算を増額。ドイツでは、公的研究機関と民間企業の連携を強め、大きな成果を挙げつつある。

 翻ってわが国では、政府の研究開発投資は第4期科学技術基本計画で掲げた「対GDP比1%」という目標を実現できない状況にある。幸い、安倍政権は「イノベーション・ナショナルシステム」強化の方針の下、産学官の英知を有機的につなげ、国全体のイノベーション創出力を底上げする方向に移行しつつある。この動きをさらに加速し、研究開発投資の政府比率を諸外国並みの3割程度に引き上げる一方、対GDP比1%目標を着実に実現することが求められる。イノベーション・ナショナルシステムという考え方自体が、日本の技術開発の強化だけに留まらず、従来の枠組みを超えた「社会・制度のイノベーション」にもつながる。

 官民が連携し、イノベーションを通じた新技術が次々に生み出されてくれば、新たな産業育成が大いに期待できる。ビジョンでは「IoT(Internet of Things)」、「人工知能・ロボット」、「スマートシティ」、「バイオテクノロジー」、「海洋資源開発」、「航空・宇宙」という有力6分野を提示しているが、いずれも日本の強みを十分発揮できる分野である。従来型の発想にとらわれず、個々の業種にとどまらない企業間連携をうまく実現すれば、2030年には新産業6分野で「約100兆円の付加価値」を創出する新たな産業構造の姿が見えてくるはずだ。民主導で数多くの科学技術イノベーションを巻き起こす―。私の夢である。

<日本の強み 世界に発信>
 イノベーションとともに、持続的成長の源泉になるのが「グローバリゼーション」だ。グローバリゼーションは、日本の「強み」や「魅力」を世界に発信しつつ、海外の活力・成長を積極的に取り込んでいくことを意味している。グローバリゼーションは次なる日本の成長に欠かせないキーワードである。

 世界に発信すべき日本の強みとは何か。まずは圧倒的な技術力。高度な技術を世界に発信することで、世界経済の発展に大いに貢献できるはずだ。たとえば日本の環境技術や鉄道システムは世界をけん引する存在であり、インフラシステムの輸出において有力な“切り札”になっている。

 日本の魅力は技術力だけにとどまらない。長年培ってきた文化や芸術、四季折々に表情を変える美しい国土。そしてユネスコの無形文化遺産に認定された「和食」など、世界に誇るべき財産を日本は数多く保有している。折しも2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックは日本を世界に発信する絶好のチャンス。経団連としても大会の成功に向けて全面的に支援していきたい。

 グローバリゼーションを推進するためのポイントのひとつは、新たな通商戦略の構築だ。その国の貿易額全体に占めるFTA締結国との貿易額の比率を示す「FTAカバー率」は中国が27%、韓国は36%、米国が37%に達する一方、わが国は18%にすぎない。主要国が「メガFTA/EPA」と呼ばれる大型の経済連携協定締結への動きを強める中で、日本の通商政策は後塵(こうじん)を拝しているのが実情だ。

 しかし、挽回のチャンスはある。環太平洋経済連携協定(TPP)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、日EUのEPAという三つのメガFTA/EPAの実現が目前に迫っている。とくにTPPはここにきて交渉が急ピッチに進展、政府が打ち出した「農業改革」も追い風になっており、今春の交渉妥結が期待できる段階に達している。20年のアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構築も十分視野に入ってきたと言えるだろう。世界のGDPの約8割、人口の6割強をカバーする巨大な自由貿易圏が日本の目の前に広がっている。

 官との連携を強めつつ、われわれ経済界もグローバリゼーションを加速する必要がある。中でもインフラシステムの海外展開をより強力に推し進め、政府の「日本再興戦略」が掲げる「20年までにインフラ輸出30兆円」という目標を確実に達成したい。

 また、民間外交にも積極的に取り組む。経団連では春にインドネシア、初夏には米国にそれぞれミッションを派遣するほか、昨年に続き中国や韓国との関係改善にも尽力していく。官民が協調してグローバリゼーションをさらに前進させる―。それが「世界の中の日本」の存在感を高める近道になるはずだ。

<原発問題 大局的視点で>
 わたしは東レ入社後、大津の中央研究所の「放射線研究室」に3年半ばかり籍を置いた。おもに放射線化学を研究し、ポリプロピレンなどに放射線を照射し、架橋反応を起こして発泡体をつくる研究に取り組んだ。研究者としての初めての特許は、この関連の特許である。それだけに原子力にも強い関心を寄せているが、日本のエネルギーの将来像を見据えた場合、原子力発電所の再稼働は必要不可欠である。原子力の将来は「国家」や「地球規模」といった大局観を持って論じなければならない。

 今回のビジョンでは、2030年時点の総発電電力量に占める原発の比率を「25%超」と明記した。11年に福島第一原発で発生した不幸な事故以降、原発に対する国民の懸念が残っていることはもちろん承知している。しかし、日本の将来や温室効果ガス削減という地球規模の課題を考える際、ベースロード電源としての原子力の重要性は高い。勇気をもって具体的数値を書き込んだわけである。

 東日本大震災前の10年、政府は「エネルギー基本計画」を策定し、原子力の比率を最終的に50%まで引き上げる方針を示した。再生可能エネルギー20%、石油や天然ガスなどの化石エネルギー30%という構成は、50年に温室効果ガスの地球規模での半減に貢献することを意図した数字であり、当時としては評価できるものであった。

 世界では、温室効果ガス排出量削減に向けた真摯(しんし)な議論が続けられているが、「3・11」後の日本では、エネルギー政策において、温室効果ガス削減という重要な視点が十分議論されていない感がある。電力の安定供給のための化石燃料の輸入増で貿易収支は赤字が定着したままだ。しかし、今年末にパリで開かれる国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)では、20年以降における世界の気候変動・温暖化対策の大枠が合意される見通しだ。日本も年内の早い時期に温室効果ガスの削減目標を提示しなければならない。

 日本は「環境技術先進国」である。優れた環境技術を世界に広め、地球規模で貢献することが日本の責務と言える。そんな日本だからこそ、先頭に立って温室効果ガスを削減する姿を世界に提示する必要があり、原子力に背を向け、温室効果ガス削減に後ろ向きであってはならない。

 政府では現在、エネルギーミックスの策定作業が進められている。安全性の確保を大前提に、エネルギー安全保障、経済性、環境適合性という「S+3E」のバランスが取れたエネルギーミックスを実現することが求められる。安全性が確認され、地元了解が得られた原発については一日も早く再稼働することが今の日本には不可欠だ。エネルギー政策は国家百年の大計、原子力は大局的視点に立って語りたい。

 【略歴】さかきばら・さだゆき 67年(昭42)名古屋大学大学院工学研究科修士修了、同年東洋レーヨン(現東レ)入社。02年に社長、10年会長。炭素繊維を主力事業に育て上げたほか、「ユニクロ」との共同開発商品「ヒートテック」を生み出すなど、高い経営手腕で「東レ復活」を主導した。07年から11年に経団連副会長。14年6月に第13代会長に就任。愛知県出身、72歳。
日刊工業新聞2015年02月24/2526/27日 1面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
榊原経団連の最大の功績は政権との距離を縮めたこと。それと経済外交も積極的にやっている。ただ中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関しては、経団連をはじめ産業界がかなり無関心である、というのが気がかり。今回も経団連から政権に何か働きかけた気配はないし。

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