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デンソーの名工、忘れがたい仕事はマツダの「ル・マン」優勝だった

最初にエンジンが動いた時の感動は今も色あせない
デンソーの名工、忘れがたい仕事はマツダの「ル・マン」優勝だった

技術開発センター・射延恭二氏(左)

 「家電とか時計とか何でもバラして内部の機構を見るのが好きでしたね」。デンソーの射延恭二さんは電気工事屋だった父親の影響で幼い頃から電気回路が好きだった。小学校時代にはラジオ、高校時代には簡単なリニアモーターカー、軽自動車を改造した電気自動車もどきをつくったりした。

 1977年、日本電装(現デンソー)に入社し試作部開発試作課に配属された。構想段階の新製品を試作する部署だ。技能員の射延さんたちに持ち込まれるのは、ちゃんとした設計図ではなく「ポンチ絵(構想図)」。開発部門の「こんなのつくられないかなぁ」という思いを次々、形にしていった。

 「忘れがたい仕事」と振り返るのは91年の「ル・マン24時間レース」。優勝したマツダの車両のエンジン電子制御ユニットがデンソー製で、射延さんはハードの設計・製作を任された。難しい仕事だっただけに、マツダ本社で最初にエンジンが動いた時の感動は今も色あせないという。

 91年に設立したデンソー基礎研究所には、準備室の段階から参画した。射延さんはそこでも技能員として、まだ世にないものを具現化、デンソーの技術力を支えてきた。現在は製造現場の技能者ではない、射延さんのような技能者「開発技能者」育成の企画や指導に従事している。

 「興味のアンテナを高く、物事の必然性を認めて否定しない、心はフラットに穏やかに」。後進に開発技能者のあるべき姿勢を伝授する。
(文=名古屋・伊藤研二)
日刊工業新聞2016年12月5日「卓越−現代の名工」より
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
モータースポーツがエンジニアにとても刺激を与えていることを改めて感じる。ロボットや人工知能が発達してきた場合、分野にもよるが名工たちはどの程度残るのだろう。

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