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財閥より同族企業の方が投資に積極的な日本

「成長していた頃のメカニズムを思い出そう」(橘川氏)
**橘川武郞東京理科大大学院教授に聞く
 ―経営史学会の会長を務めています。経営史と経済史の大きな違いは何でしょうか。
 「経済史はマクロで、経営史がミクロと思われがちだが、一番の違いは経済史が共通性を見るのに対して、経営史は違いを見ることだ。経営史は同じ経営環境で競争の勝ち負けが生じた場合に結果よりプロセスを見る。経済史はそこで働いた客観的なメカニズムや法則性を導き出そうとするが、経営史は違いの出た主体性に光を当てる」

 「学会創立約50年の歴史のうち最初の30年間は財閥研究が中心だった。日本が経済成長や近代化を果たす上で財閥企業の存在に当然行き当たる。経済史の方は財閥全体のプラス・マイナス両面の社会的役割の大きさを強調して、三井と三菱、住友の違いなど財閥ごとの個性をあまり気にしない」

 ―経営史の主な功績は。
 「経営史は財閥研究で経済史と違うアプローチでいろいろな成果を上げてきた。財閥は家族が支配する同族的な企業というイメージがあり、それが経済史や世界の常識であった。ただ、経営史が行った一番の発見は、財閥系企業の方がむしろ大卒で非同族の専門経営者を雇い入れていたことだ。俗に言うファミリービジネスは財閥以外の会社に多い。財閥は家族が所有権を持っているが、支配はしない。所有と経営の分離が進んでいたのが日本の財閥の特徴だった」

 ―新著(※)で最も訴えたかった点はどこでしょうか。
 「財閥や企業グループみたいな仕組みは株主が口を出す昨今のような世界から、経営者が自由に成長戦略を実行できる環境を保障する仕組みだった。今もそれを忘れてほしくない。1990年以降は、むしろ同族企業の方が投資を積極的に行ってきた点が日本の問題だ。昔は同族も非同族も元気だった。だから、『成長していた頃のメカニズムを思い出そうよ』と伝えたくて執筆した」


 ―石油化学と原子力産業を今回取り上げた理由は。
 「グループ力が最も生かされた新規産業だった。当時リスクが大きな産業で、個社ではできなかったのでグループが出て行かざるを得なかった。原子力はグループで始めたものの、その後に中心となる東芝日立製作所三菱重工業が育ってグループの助けが要らなくなった。石化とは違う形になった。一方、石化はすぐ撤退戦に入ってしまったので、撤退戦もグループの力が求められる。(事業統合や撤退など)集約の段階では今でもグループの力が必要だ」

 ―ただ、最近では経営危機の三菱自動車日産自動車の傘下に入ることになりました。
 「前の不祥事の時はグループで助けたが、イエローカードが出ていた。現在は三菱重工の業績が厳しく、三菱商事伊藤忠商事に抜かれて芳しくない。日産が手を挙げてホッとしたのでは。1度目は救済されても、2度目はダメということだ」

 ―出光興産と昭和シェル石油の合併を巡り、創業家と経営陣が衝突しています。
 「その組み合わせがベストかどうかは別として、内需が減っている中で国内に(石油精製・元売りで)5グループもいて世界で勝負できるわけがない。合併自体の必然性はある」
(聞き手=鈴木岳志)
※『産業経営史シリーズ8 財閥と企業グループ』(発行=日本経営史研究所)


日刊工業新聞2016年10月10日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
「所有と経営の分離が進んでいたのが日本の財閥の特徴だった」というのは確かにその通りだろう。韓国や新興国の財閥はいまだにファミリービジネスで、その不透明な支配構造が市場では「コリア・ディスカウント」になっている。 経済雑誌がまったく売れないが、ここ最近で最も売れた号の一つは週刊ダイヤモンドの「三菱最強伝説」だった。三菱グループも大きなビジネスを生み出すというより、三菱自のようにネガティブな案件の対応時に動くことが圧倒的に多い。5年前に三菱重工と日立の経営統合の報道が出た。三菱グループが大きなダイナミズムを阻んだのであれば、「ジャパン・ディスカウント」の存在だろう。「成長していた頃のメカニズムを思い出そうよ」という橘川教授の言葉は、本インタビューだけでは分からない。

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