「破たん」劇的ビフォーアフター!JALは変わったか(4)火中のクリを拾う人たち
「管財人ではなく会長として」という稲盛氏の思い
日本航空(JAL)が会社更生法を申請する1カ月前の2009年12月初旬、企業再生支援機構の再生支援委員長だった弁護士の瀬戸英雄は、更生管財人への就任を依頼するため、京セラ創業者の稲盛和夫を訪ねた。稲盛の下には機構が関わる前から当時の前原誠司国土交通相が日参し、JALの経営参画を打診。2次破たんの懸念も囁かれていたJALに、京セラ内部からは「晩節を汚す」との声もあり、当初、稲盛は頑(かたく)なに固辞していた。しかしJALの消滅による日本経済への影響を危惧し、最終的に“火中のクリ”を拾う決断をする。
現会長の大西賢が稲盛と初めて会ったのは、会社更生法を申請する数日前のこと。当時大西は、鹿児島を拠点にプロペラ機などを運航する日本エアコミューターの社長を務めていた。会社更生法申請後の経営体制の変更を見越し、次期社長候補の一人として稲盛と対面することになった。
社長の適性を見きわめられる「面接」に臨む大西は、経歴や今後の経営方針などさまざまなことを質されると思い、身構えていた。しかし稲盛はそんな大西に構わず、京セラや第二電電(現KDDI)立ち上げの苦労話、会長を引き受けた理由を訥々(とつとつ)と話した。大西は当時を振り返り、「どういう思いで会長を引き受けたのか、共有しようとしていたのだと思う」と話す。
【意中の人】
一方、瀬戸はJALの更生手続きの中で財務の健全化やビジネスモデルの見直しを進める上で、「(経営陣が)プロパーだけでは難しい」と考えていた。意中の人に稲盛を選んだ理由を、「JALに一番必要な意識改革を実行するには、象徴的な経営者に来てもらわなければならなかった」と振り返る。
瀬戸は当初、稲盛に更生手続きを進める更生管財人への就任を求めていた。しかし、JALに関わることを固辞していた稲盛が、再建を引き受ける替わりに条件として出したのが、管財人ではなく会長としてJALの中に入って、経営改革に当たることだった。
「人生をかけた勝負になる」―。稲盛は長年秘書を務め、ともに京セラからJALへ乗り込んだ取締役の大田嘉仁に、JAL再生に臨む決意をこう伝えた。(敬称略)
現会長の大西賢が稲盛と初めて会ったのは、会社更生法を申請する数日前のこと。当時大西は、鹿児島を拠点にプロペラ機などを運航する日本エアコミューターの社長を務めていた。会社更生法申請後の経営体制の変更を見越し、次期社長候補の一人として稲盛と対面することになった。
社長の適性を見きわめられる「面接」に臨む大西は、経歴や今後の経営方針などさまざまなことを質されると思い、身構えていた。しかし稲盛はそんな大西に構わず、京セラや第二電電(現KDDI)立ち上げの苦労話、会長を引き受けた理由を訥々(とつとつ)と話した。大西は当時を振り返り、「どういう思いで会長を引き受けたのか、共有しようとしていたのだと思う」と話す。
【意中の人】
一方、瀬戸はJALの更生手続きの中で財務の健全化やビジネスモデルの見直しを進める上で、「(経営陣が)プロパーだけでは難しい」と考えていた。意中の人に稲盛を選んだ理由を、「JALに一番必要な意識改革を実行するには、象徴的な経営者に来てもらわなければならなかった」と振り返る。
瀬戸は当初、稲盛に更生手続きを進める更生管財人への就任を求めていた。しかし、JALに関わることを固辞していた稲盛が、再建を引き受ける替わりに条件として出したのが、管財人ではなく会長としてJALの中に入って、経営改革に当たることだった。
「人生をかけた勝負になる」―。稲盛は長年秘書を務め、ともに京セラからJALへ乗り込んだ取締役の大田嘉仁に、JAL再生に臨む決意をこう伝えた。(敬称略)
日刊工業新聞2015年03月10日 建設・エネルギー・生活面