秋の気配。訪れる変化に必要なものを見窮めよう

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 「何(いず)れの処よりか秋風至る」―。中唐の劉禹錫の五言絶句『秋風引』は、古今和歌集の藤原敏行作「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と並び、秋の到来をいち早く知る感性の高さを詠んだ詩だ。

 詩歌ではないが、淮南子(えなんじ)の一節「一葉落ちて天下の秋を知る」も名高い。サトウ・ハチロー作詞の童謡『ちいさい秋みつけた』はモズの声や曇りガラスのすきま風、ハゼノキの紅葉に見いだした秋を叙情的に描く。

 天高く、風は涼やかで木々が色づき、黄金(きん)の稲穂が頭を垂れる。芸術にスポーツ、勉学に読書、そして食欲と、充実や豊穣(ほうじょう)を迎えるはずの秋は一面で必ず“寂しさ”とともに語られる。鮮やかな夏の日が永続することを、人が無意識に願うからだろう。

 バブル景気の崩壊もリーマン・ショックの激震も、ガラガラと大きな音が聞こえて来る前に小さな予兆があった。終わりが来ると皆が知っていたはずなのに、熱狂の渦中にいる多くの人は変化に気づけずにいた。

 『秋風引』の結句は「孤客、最も先に聞く」。秋の気配に誰よりも早く気づいたのは、ひとり旅の旅人だった。旅愁にはなくとも耳を澄まし、感度を上げて景気や社会の変化を見逃さぬようにありたい。

日刊工業新聞2016年9月7日

COMMENT

土田智憲
かねひろ

「耕母黄昏」という宮沢賢治が書いた歌曲がある。「風たちて穂麦さわぎ 雲とびてくれぬ 子らよ待たん いざかへり 夕餉たきていこひなん」  ここでも「風」は秋を叙情的に描き出している。「風」は、秋の稔りのときが訪れ、穂麦が豊穣を迎え、命を移行するときが来たということの報せ。その大地の雄大さと、夕餉を炊いて、子どもたちを待っている母のそれが重なる。また、この秋の少し涼しくなった風に乗って、夕餉のいい香りがしてきそうだ。  春の命が芽吹く力強さとはまた別の、秋の命をつなぐ力強さ。冬を越えるために、次の春にどんなものを生むために、何をつないで、何を捨てるのか。豊かに稔ったものを味わうと同時に、訪れる変化に必要なものを見窮めたい。

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