茨城の「100年企業」が主催する女子テニス国際大会
歴代優勝者には4大大会制覇者も
関彰商事(茨城県筑西市、関正樹社長、0296・24・3121)は、筑波北部公園(同つくば市)で「セキショウ国際女子オープンテニストーナメント2016」(8月21―28日)を開いた。最終日に行われたシングルス決勝戦では、タイのプリプーチ・ペンタン選手がベルギーのミネン・グリート選手を6―4、6―0で破り、優勝した。
同大会は女子テニスにおける茨城県内唯一の国際大会で、開催は今回で30回目。関彰商事の関社長は「30年を一つの区切りとして、来年は第1回大会ととらえて意識を新たに取り組んでいく」と意気込んだ。「テニス界では若手選手の登竜門と位置付けられている」(関社長)大会で、歴代優勝者のうち2人が過去にグランドスラムのシングルスで優勝している。
「当社は商社というより、トップメーカーの代理店。取引先と顧客からの信頼があってこそ今がある」と、関正樹社長は自社の立ち位置を明確に説明する。サービスステーションはENEOS、自動車販売はホンダや独メルセデスベンツ、住宅はパナホームなど、大手企業との関係は深い。「本来であれば業種によって時間の使い方も仕事の仕方も違うが、一つの組織として共通のよりどころとなるのが企業理念である『3本柱』」と、当たり前のことを当たり前に実行できる組織を目指している。
同社は創業者である関彰氏が、1908年(明41)に茨城県西部の豪商、吉田屋から燃料油部門を引き継ぐ形で独立、創業した。石油などエネルギーに関連する事業を軸に展開。高度成長期の波に乗り順調に業績を伸ばした。70年代には住宅や情報事務機器、自動車の販売を開始し、事業の多角化を図った。「まじめに事業に取り組んでいれば、それが信頼となり新しい事業に結びついた」時代だった。当時から行動規範として基本に据えていたのが「安全と真心を基本に行動します」。“安全”は石油などエネルギー関連を扱っているため第一条件となり、“真心”は地域に対する思いだ。1988年の創業80周年を機に「地域の社会と生活の向上に貢献します」「お客様第一主義に徹します」とともに、「3本柱」としてまとめた。
6年前、次の100年に向けたスタートを切った。「今やっていることが次の創業200年につながる」という思いから、4月に組織を「商品別」から「お客さま別」に変更。法人事業本部とリテール事業本部を設置した。リテールは小売りを意味する言葉だが、同社では「おもてなしの心による接客」を意味するという。
関社長は「これまでは縦割りの組織で成長、発展してきた。だが、縦割りが強すぎて当社の本来の強みである総合力がおろそかになってしまっていた。次の世代は縦割りの組織だけでは限界がある。組織に横串を入れることで、トップ、中間管理職、現場のベクトルを合わせ、その中から新しい方向性が生まれて来る」ことを狙う。
ビジネス面では、自立支援型デイサービスセンターで介護事業に参入。サービス付き高齢者住宅の建設も計画している。「介護分野は後発で厳しい面もあるが、将来を見据えた上で必要な事業。当社に対する信頼と同等のサービスを提供していく」。またエネルギー分野では、北浦複合団地(茨城県行方市)で4事業者が協力したメガソーラー(大規模太陽光発電所)「北浦複合団地太陽光発電所」に参画。石油中心のビジネスモデルから再生可能エネルギーなど新しいエネルギー分野への布石を打つ。またこれまでは茨城県を中心に、県境までを商圏としていたが、今後は東京も主戦場にするように戦略を転換する。
次の100年に向け、企業理念を根幹とした挑戦は新たなステージを迎えている。
企業概要
1908年(明41)に茨城県筑西市(旧下館市)で創業。日本石油の特約店として地元を中心に商店や工場、一般家庭向けに灯油、軽油などの販売を開始したことが始まりだ。64年に現会長の関正夫氏が社長に就任。高度成長期とともに一気に業容を拡大。地域貢献の一環として「関彰育英会」や「セキショウふれあい基金」を創設し、社会福祉活動を支援している。06年に3代目となる関正樹氏が社長に就任。次代に向けた体制の強化を進める。13年9月期の連結売上高は1570億円。>
同大会は女子テニスにおける茨城県内唯一の国際大会で、開催は今回で30回目。関彰商事の関社長は「30年を一つの区切りとして、来年は第1回大会ととらえて意識を新たに取り組んでいく」と意気込んだ。「テニス界では若手選手の登竜門と位置付けられている」(関社長)大会で、歴代優勝者のうち2人が過去にグランドスラムのシングルスで優勝している。
関彰商事はこんな会社
「当社は商社というより、トップメーカーの代理店。取引先と顧客からの信頼があってこそ今がある」と、関正樹社長は自社の立ち位置を明確に説明する。サービスステーションはENEOS、自動車販売はホンダや独メルセデスベンツ、住宅はパナホームなど、大手企業との関係は深い。「本来であれば業種によって時間の使い方も仕事の仕方も違うが、一つの組織として共通のよりどころとなるのが企業理念である『3本柱』」と、当たり前のことを当たり前に実行できる組織を目指している。
同社は創業者である関彰氏が、1908年(明41)に茨城県西部の豪商、吉田屋から燃料油部門を引き継ぐ形で独立、創業した。石油などエネルギーに関連する事業を軸に展開。高度成長期の波に乗り順調に業績を伸ばした。70年代には住宅や情報事務機器、自動車の販売を開始し、事業の多角化を図った。「まじめに事業に取り組んでいれば、それが信頼となり新しい事業に結びついた」時代だった。当時から行動規範として基本に据えていたのが「安全と真心を基本に行動します」。“安全”は石油などエネルギー関連を扱っているため第一条件となり、“真心”は地域に対する思いだ。1988年の創業80周年を機に「地域の社会と生活の向上に貢献します」「お客様第一主義に徹します」とともに、「3本柱」としてまとめた。
6年前、次の100年に向けたスタートを切った。「今やっていることが次の創業200年につながる」という思いから、4月に組織を「商品別」から「お客さま別」に変更。法人事業本部とリテール事業本部を設置した。リテールは小売りを意味する言葉だが、同社では「おもてなしの心による接客」を意味するという。
関社長は「これまでは縦割りの組織で成長、発展してきた。だが、縦割りが強すぎて当社の本来の強みである総合力がおろそかになってしまっていた。次の世代は縦割りの組織だけでは限界がある。組織に横串を入れることで、トップ、中間管理職、現場のベクトルを合わせ、その中から新しい方向性が生まれて来る」ことを狙う。
ビジネス面では、自立支援型デイサービスセンターで介護事業に参入。サービス付き高齢者住宅の建設も計画している。「介護分野は後発で厳しい面もあるが、将来を見据えた上で必要な事業。当社に対する信頼と同等のサービスを提供していく」。またエネルギー分野では、北浦複合団地(茨城県行方市)で4事業者が協力したメガソーラー(大規模太陽光発電所)「北浦複合団地太陽光発電所」に参画。石油中心のビジネスモデルから再生可能エネルギーなど新しいエネルギー分野への布石を打つ。またこれまでは茨城県を中心に、県境までを商圏としていたが、今後は東京も主戦場にするように戦略を転換する。
次の100年に向け、企業理念を根幹とした挑戦は新たなステージを迎えている。
1908年(明41)に茨城県筑西市(旧下館市)で創業。日本石油の特約店として地元を中心に商店や工場、一般家庭向けに灯油、軽油などの販売を開始したことが始まりだ。64年に現会長の関正夫氏が社長に就任。高度成長期とともに一気に業容を拡大。地域貢献の一環として「関彰育英会」や「セキショウふれあい基金」を創設し、社会福祉活動を支援している。06年に3代目となる関正樹氏が社長に就任。次代に向けた体制の強化を進める。13年9月期の連結売上高は1570億円。>
日刊工業新聞2016年9月1日 中小企業・地域経済面、2014年7月24日 ひと&会社面