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ビール臭い歴史上の偉人は人間臭い

端田晶サッポロビールエビスビール記念館館長に聞く
ビール臭い歴史上の偉人は人間臭い

エビスビール記念館公式ページより

 ―本を書いたきっかけは。
 「サッポロビールで広報を担当するかたわら、エビスビール記念館の館長を約10年勤め、ビール愛好家からいろんな質問を受けた。そこで感じたのが『ビールのことを分かっているようで、実は分かっていない』ことだった。2013年からサッポロが始めたビール検定の仕事もするようになり、本格的にビールの歴史を調べた。本書でビールに興味を持ち、おいしく飲んでもらえたら幸いだ」


ビール会社の社長たちは総じてバイタリティーにあふれ、夢があった


 ―日本麦酒社長の馬越恭平をはじめ、渋沢栄一や大倉喜八郎、三菱財閥の岩崎久弥ら経済界の偉人が続々と登場します。
 「歴史上の偉人も“酒”がからむと妙に人間臭い。それがまた、ビールの歴史の面白さでもある。ビールはあくまで商品であり飲料だが、設備投資など業界を動かすのは“人間”だ。ビール会社の社長たちは総じてバイタリティーにあふれ、夢があった。時代のなせる業かも知れないが、今の日本企業の経営者には彼らのようなタイプは少ない」

 ―馬越社長が、現在の世界トップ企業の前身であるアンハイザー・ブッシュの社長と会話する場面も出てきますね。
 「麦芽、ホップだけが原料のドイツビールと違い、日本がビールにコメを入れたのは、やはり原料安定調達の問題があったと思う。敗戦によりすべて白紙になったが、戦前の大日本麦酒は海外に約20カ所の工場があった。第1次大戦時、ドイツ領だった中国の青島ビール、韓国のハイトビールなどはこの流れをくむものだ」

 ―一方で、ビール会社が設備投資を競ったのは、ほぼ全部が淡色のピルスナータイプビール。最近はエールなど個性的な味のクラフトビールが若者に人気ですが、国内ビールの競争がピルスナーの競争だけで“味”や“製法”の競争に進まなかったのは、やや違和感もあります。
 「それも確かにあるが、ビールの世界は基本的に装置産業。同じものを大量に作り、スケールメリットで価格を下げれば消費者がさらに増える。その意味で戦前の設備投資競争は高嶺の花だったビールの価格を下げ、大衆商品に育てた功績面もあるのではないか。価格が下がらなければ、ビールがこのように日本人に普及することもなかっただろう」

 ―ビールの消費量はここ20年近く、減少トレンドが続いています。若者や女性が甘口の缶チューハイやワインに流れているとの指摘もありますが、海外では1人当たりの消費量が伸びている国も多い。これをどう考えますか。
 「最近のクラフトビール人気で、流れに多少、変化が出始めたと感じる。一般商品のビールは中高年ユーザーに偏っており、消費量が年々減少しているのは事実だが、クラフトビールはいろいろな年代の人が飲んでいる。若者ばかりではない。ビールについて、いろいろな品種や味があるんだということを熱心に勉強し、海外にも出かけて学ぶという人も増えてきた。これらの結果や成果はこの先、必ず出てこよう。その意味では国内ビール市場の将来に、悲観はしていない」
(聞き手=嶋田歩)
※著書『大日本麦酒の誕生』(雷鳥社)
 【略歴】
端田晶氏(はしだ・あきら)サッポロビール エビスビール記念館館長。80年(昭55)慶大法学部卒、サッポロビール入社。本社ビール営業部、宣伝部などを経て96年広報部担当部長、00年広報・IR室長、04年恵比寿麦酒記念館館長、13年日本ビール文化研究会理事、14年エビスビール記念館館長。東京都出身、60歳。
日刊工業新聞2016年8月15日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
自分がビール業界を担当していたのはもう20年も前になる。当時のビールメーカーの経営トップをみると、アサヒが一番人間臭かった。会長は住友銀行から来て再建に手腕を発揮した樋口廣太郎氏、社長は21年ぶりの生え抜き、瀬戸雄三氏。そして現在の会長兼CEOの泉谷さんはまだ広報副部長ぐらいだった。キリン、サッポロとも経営者や社員の人たちは総じて優秀だったが、やっぱりスマート過ぎた印象がある。今のビール業界を子細に見ているわけではないが、アサヒも苦境の時代を知らない社員が増え官僚的になっているのではないか。

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