カリブのベトナムになるか!?キューバ経済の可能性をキーパーソンが語る
日本キューバ経済懇話会の近藤会長インタビュー。部品組み立てに医療産業・・
米国との関係改善で世界の注目の的となったキューバ。先ごろ岸田文雄外務大臣が、日本の外務大臣としては初めて公式訪問し、日本企業も世界に残された数少ない未開拓市場として熱い視線を注ぐ。これまで日本は米国に配慮してキューバで目立つようなビジネス活動を行えなかったが、実は1974年に商社や製造業などが中心となり「日本キューバ経済懇話会」を設立、脈々と経済交流を続けてきた。2002年から同懇話会で会長を務める近藤智義氏は岸田外相の訪問にも同行したキーパソン。独占インタビューから見えてきたビジネスの有力分野とは―。
―最近も訪問されましたが、キューバ政府の対応をどのように見ていますか。
「非常にクレディビリティ(信頼性)が高いと感じる。米国の制裁や債務問題があったために、日本の大手企業はキューバと積極的にビジネスを行ってこなかった。しかし、債務問題にメドがつき、米国との関係も改善に向かっているため、今はいろいろな企業がビジネスチャンスを探している状況だ」
「昨年10月にも、政官民で構成する200人規模の視察団を組み訪問したが、政府から目玉事業の『マリエル港経済特区(SEZ)』を案内された。港と隣接して工業団地を整備する計画で、港はすでに動いていた。カリブ海のハブ港を目指しているようだ。工業団地は総面積465平方キロメートルもあり、ちょうど整地中だった。外資にも土地を割り当てる計画で、世界の300社以上が手を挙げているという。簡単に進出できるわけではないが、新しい5カ年計画が始まる16年以降に動きだすだろう」
―国民の生活環境はいかがですか。
「キューバの所得は月2500円程度。だが、医療費、住宅、食費は全部支給される。ぜいたくはできないが、最低限の生活は保障される。キューバの一人あたりの国内総生産(GDP)は6000ドル台(72万円)と言われるが、実態はベトナムと同じ2000ドル(24万円)ぐらいか、1000ドル台(12万円)だろう。キューバで人を採用する際には、政府の人材派遣会社を通す必要がある。企業が自由に採用できない。給料もいったん政府に納め、政府が労働者に支給する。実際に労働者が手にする金額は微々たるものだ。キューバ政府には企業が直接採用できるよう、改善をお願いしているところだ」
―キューバの人口は日本の10分の1の1100万人でマーケットとしては小さいです。
「現地の市場だけを狙ったビジネスには限界がある。私は生産物流のハブとして活用するのが良いと感じる。地図を見ると、すぐ上には米国があり、左にメキシコ、下の方にはブラジルがある」
―モノづくりをすることは可能ですか。
「現地で走るクルマは1950年代の米国のクラシックカーが中心で、2万1000台普及しているという。キューバ人は誰に教えられたわけでもないのに、自分たちで自動車を整備している。手先はとても器用だ。キューバ人が自動車部品そのものをつくる技術はないだろうが、部品を組み立てる能力はあると思う。アジアで言えば、日本の組立工場が増えているベトナムに似ている。同じ共産主義であり、国民はまじめだ。キューバの政府高官も、ベトナムを目指していると発言している」
―資源開発はいかがでしょう。
「海底油田があると言われる。一部の中国やシンガポールの企業が開発しているようだが、国際メジャーのような掘削技術がなく、あまり採れていない。一時、ブラジルの石油会社も来ていたが、自国で海底油田が見つかって撤退した。ニッケルの埋蔵量も多いと言われる。だが、石油もニッケルも足元の相場が下落しており、今の状況では、手を着ける企業は少ないのではないか」
―ではこれから強みになる可能性のある産業は。
「医療教育が盛んで、人口あたりの医者の数は日本以上に多い。中南米のベネズエラやアフリカのアンゴラなどへ医者を派遣している。医薬品も約900種類も作っているという。そのうち590種類ぐらいを輸出していて、制ガン剤もつくっているそうだ。キューバの医薬品は中南米や東欧諸国が購入している。中国にはキューバの医薬品メーカーと中国企業との合弁による製薬会社もあると聞く。中国側がキューバの医薬品の製造技術を導入しており、中国よりもキューバの方が医薬品をつくる技術は高いようだ」
―そうすると、医療機器のビジネスにも可能性がありそうですね。
「機器は輸入に頼っている。一番は日本製を購入している。日本製は欧米製よりもコンパクトで使い勝手がよく、しかも長持ちだと現地で評価が高い」
(聞き手=大城麻木乃)
<近藤智義氏のプロフィール>
日商岩井(現双日)副社長時代の2002年にキューバ経済懇話会会長に就任し、副社長退任後も懇話会会長を続けている。日本企業の対キューバ債権問題を巡り、日本側の交渉担当者としてねばり強く問題解決に努め、2012年に交渉を決着に導いた。真摯(しんし)に交渉に当たったことが評価され、2013年にキューバ政府から友好勲章を受章した。岸田文雄外相のキューバ訪問(4月30日~5月3日)にも同行するなど、日本経済界の対キューバ窓口として活躍している。1964年早大商学卒、同年日商岩井(現双日)入社。穀物部長や食糧開発部長などを経て副社長。神奈川県生まれの74歳。
<日本とキューバの経済のつながり>
2014年は安土桃山時代の武将、支倉常長(慶長遣欧使節団)がキューバに上陸して400周年と実は日本との関わりは長い。1974年には製造業や商社などが中心となって「日本キューバ経済懇話会」が発足。脈々と経済交流を続けていた。
1970年代半ばには、日本はキューバにとって最大の貿易相手国であり、両国の関係は悪くなかった。キューバの国づくりのために、日本の建設機械が多く輸出されていた。土光敏夫氏が経団連会長を務めていた時に、キューバ政府から経団連に対話の窓口となるキューバ経済委員会をつくってほしいと依頼があった。
しかし米国とキューバが断交していたため、経団連の中に組織をつくることはできず、外部に置くことになったのが日本キューバ経済懇話会である。80年代後半からキューバの経済環境が悪くなり、日本企業に対し多額の債務が発生し経済交流は停滞した。1998年に第1次の債務条件の変更で合意したが、支払いは実行されなかった。再度、懇話会が中心となり、交渉を重ねて2012年に合意。1年に4回、1回あたり4億円台の支払いが契約通り行われている。
現在、日本キューバ経済懇話会は製造業や商社、金融機関など50社弱が加盟、キューバ要人が来日した際には懇談の場などを設けている。
―最近も訪問されましたが、キューバ政府の対応をどのように見ていますか。
「非常にクレディビリティ(信頼性)が高いと感じる。米国の制裁や債務問題があったために、日本の大手企業はキューバと積極的にビジネスを行ってこなかった。しかし、債務問題にメドがつき、米国との関係も改善に向かっているため、今はいろいろな企業がビジネスチャンスを探している状況だ」
「昨年10月にも、政官民で構成する200人規模の視察団を組み訪問したが、政府から目玉事業の『マリエル港経済特区(SEZ)』を案内された。港と隣接して工業団地を整備する計画で、港はすでに動いていた。カリブ海のハブ港を目指しているようだ。工業団地は総面積465平方キロメートルもあり、ちょうど整地中だった。外資にも土地を割り当てる計画で、世界の300社以上が手を挙げているという。簡単に進出できるわけではないが、新しい5カ年計画が始まる16年以降に動きだすだろう」
―国民の生活環境はいかがですか。
「キューバの所得は月2500円程度。だが、医療費、住宅、食費は全部支給される。ぜいたくはできないが、最低限の生活は保障される。キューバの一人あたりの国内総生産(GDP)は6000ドル台(72万円)と言われるが、実態はベトナムと同じ2000ドル(24万円)ぐらいか、1000ドル台(12万円)だろう。キューバで人を採用する際には、政府の人材派遣会社を通す必要がある。企業が自由に採用できない。給料もいったん政府に納め、政府が労働者に支給する。実際に労働者が手にする金額は微々たるものだ。キューバ政府には企業が直接採用できるよう、改善をお願いしているところだ」
―キューバの人口は日本の10分の1の1100万人でマーケットとしては小さいです。
「現地の市場だけを狙ったビジネスには限界がある。私は生産物流のハブとして活用するのが良いと感じる。地図を見ると、すぐ上には米国があり、左にメキシコ、下の方にはブラジルがある」
―モノづくりをすることは可能ですか。
「現地で走るクルマは1950年代の米国のクラシックカーが中心で、2万1000台普及しているという。キューバ人は誰に教えられたわけでもないのに、自分たちで自動車を整備している。手先はとても器用だ。キューバ人が自動車部品そのものをつくる技術はないだろうが、部品を組み立てる能力はあると思う。アジアで言えば、日本の組立工場が増えているベトナムに似ている。同じ共産主義であり、国民はまじめだ。キューバの政府高官も、ベトナムを目指していると発言している」
―資源開発はいかがでしょう。
「海底油田があると言われる。一部の中国やシンガポールの企業が開発しているようだが、国際メジャーのような掘削技術がなく、あまり採れていない。一時、ブラジルの石油会社も来ていたが、自国で海底油田が見つかって撤退した。ニッケルの埋蔵量も多いと言われる。だが、石油もニッケルも足元の相場が下落しており、今の状況では、手を着ける企業は少ないのではないか」
―ではこれから強みになる可能性のある産業は。
「医療教育が盛んで、人口あたりの医者の数は日本以上に多い。中南米のベネズエラやアフリカのアンゴラなどへ医者を派遣している。医薬品も約900種類も作っているという。そのうち590種類ぐらいを輸出していて、制ガン剤もつくっているそうだ。キューバの医薬品は中南米や東欧諸国が購入している。中国にはキューバの医薬品メーカーと中国企業との合弁による製薬会社もあると聞く。中国側がキューバの医薬品の製造技術を導入しており、中国よりもキューバの方が医薬品をつくる技術は高いようだ」
―そうすると、医療機器のビジネスにも可能性がありそうですね。
「機器は輸入に頼っている。一番は日本製を購入している。日本製は欧米製よりもコンパクトで使い勝手がよく、しかも長持ちだと現地で評価が高い」
(聞き手=大城麻木乃)
<近藤智義氏のプロフィール>
日商岩井(現双日)副社長時代の2002年にキューバ経済懇話会会長に就任し、副社長退任後も懇話会会長を続けている。日本企業の対キューバ債権問題を巡り、日本側の交渉担当者としてねばり強く問題解決に努め、2012年に交渉を決着に導いた。真摯(しんし)に交渉に当たったことが評価され、2013年にキューバ政府から友好勲章を受章した。岸田文雄外相のキューバ訪問(4月30日~5月3日)にも同行するなど、日本経済界の対キューバ窓口として活躍している。1964年早大商学卒、同年日商岩井(現双日)入社。穀物部長や食糧開発部長などを経て副社長。神奈川県生まれの74歳。
<日本とキューバの経済のつながり>
2014年は安土桃山時代の武将、支倉常長(慶長遣欧使節団)がキューバに上陸して400周年と実は日本との関わりは長い。1974年には製造業や商社などが中心となって「日本キューバ経済懇話会」が発足。脈々と経済交流を続けていた。
1970年代半ばには、日本はキューバにとって最大の貿易相手国であり、両国の関係は悪くなかった。キューバの国づくりのために、日本の建設機械が多く輸出されていた。土光敏夫氏が経団連会長を務めていた時に、キューバ政府から経団連に対話の窓口となるキューバ経済委員会をつくってほしいと依頼があった。
しかし米国とキューバが断交していたため、経団連の中に組織をつくることはできず、外部に置くことになったのが日本キューバ経済懇話会である。80年代後半からキューバの経済環境が悪くなり、日本企業に対し多額の債務が発生し経済交流は停滞した。1998年に第1次の債務条件の変更で合意したが、支払いは実行されなかった。再度、懇話会が中心となり、交渉を重ねて2012年に合意。1年に4回、1回あたり4億円台の支払いが契約通り行われている。
現在、日本キューバ経済懇話会は製造業や商社、金融機関など50社弱が加盟、キューバ要人が来日した際には懇談の場などを設けている。
日刊工業新聞2015年05月05日 2面の記事を大幅に加筆・修正